戻る

 朝から降り続く雨は未だに止まない。ふと見下ろした校庭は長雨のせいで広く泥濘み、中央には巨大な水溜が出来上がっている。そんな様を見ているとどこか気分が重かった。
 四時限目が終わり昼休みが始まる。教室には席を並べて弁当を広げるグループがそこかしこに現れ始めた。学食へ食べに行くグループもある。俺も学食派なのだが連れ立って行く友人はおらず、またいつものように一人で席を立ち一人で教室を後にした。
 昼休みになると学校中が賑やかになる。授業という束縛が無いからみんな開放的になるのだろう。そもそもの本分である授業にそれだけの元気を向けられないのか、などと優等生染みた事を考えてみても、俺自身含めて素直に受け入れるような奴はいないだろう。学校はそういう場所だ。勉強したい奴は放っておいてもするし、しない奴は首に鎖をつけてもやらない。
 さて、今日の昼食はどうしようか。
 学食のメニューは少なく御飯か麺かの選択ぐらいしか出来ない。学生用という事でやたらボリュームだけ強調するのは子供騙しに思えるのだけれど、元々食事には極端な好き嫌いがないため、結局は腹が膨れれば何でも良かったりする。そんな客層がターゲットであるためか、割と広い食堂内にはほとんど女生徒の姿は無い。
「おい、外海」
 学食の看板が見えたその時、突然俺の目の前に現れた一人の男。背丈は俺よりも頭一つほど高く、丁度見下ろすような形だ。
 陸上部の神谷である。最近、妙な因縁の出来た仲になってしまったものだ。
「お前、まだ湊に付きまとっているらしいな。俺の言った事を憶えていないのか」
 そんな神谷の挑戦的な言葉に、ふと俺はホームルーム前に教室で訊ねた陸上部の奴の事を思い出した。どうやらあの事を神谷にチクられたらしい。同学年だというのにまるで大御所と使いっ走りだ。高校になっても、こういう縦社会文化はあるのだろうか。
「付きまとってるのはあっちだ。俺に文句言うなよ」
「言い訳だろ、それは。お前はいつもそうだな」
 何を知った口を。
 そう言い返そうとしてみたものの、神谷は更に言葉をぶつけてきた。
「さっさと湊から離れろ。お前はあいつのためにならない」
「ためにならないって何だよ」
「お前が湊に真似事を教えても仕方がないって言ってるんだ」
 神谷はわざとらしく、真似事、の部分をやけに強調して吐き捨てた。
 なんだそれ。昔、俺に負けた腹いせか?
 普段なら多少バカにされたぐらいでは何とも思わない俺だったが、昼時で空腹という事もあってさすがに苛立ち始めてきた。
 どうやって噛み付いてやろうか。
 そう反撃の言葉を画策したその時、急に神谷は俺の肩を掴んで引き寄せると耳元に向かって囁いた。
「お前だって教師に知られたくない弱みはあるだろ」
 小さくとも重みのある神谷の声に、以前に絡まれた時の事を思い出した。そう、神谷は俺がいつもタバコを持ち歩いている事を知っているのだ。
「汚ねえ奴だな」
「何とでも言え。どうせお前が騒いだ所で取り合ってくれる教師などこの学校にはいないしな」
 これが神谷の本性なのか、いよいよ手段を選ばなくなってきた感がある。そこまでして俺を湊から引き離したいらしい。もしかするとこいつは、俺が湊に言い寄っていると勘違いしているのかもしれない。そうでもなければこんなに執着するはずがない。神谷は湊を特別な意味で気にかけていて、近づいている俺が気に食わないのだろう。
「そんなに心配なら、自分で湊に言えばいいだろ」
「今は合わせる顔が無い」
「なんだそれ。でかい図体して臆病だな」
 その言葉が神谷の苛立ちに油を注いだのだろう、俺はどんっと胸を強く突き飛ばされた。
「いいか、次はないからな。今度湊に近づいてみろ。俺は全力でお前を潰すぞ」
 そのまま神谷は俺の横を擦れ違いこの場を後にした。どこかで聞き覚えのあるセリフだ。そう、よく洋画で悪役なんかが口にしている。
 今更潰されて困る面子なんかないけどね。
 そう言い返してやりたかったが、今の俺達のただならぬやり取りに気付いたらしいギャラリーが幾人か集まり出した。ここで一つ愛想でも振り撒けば今の出来事をさほど印象に残さないのだろうが、さすがにそういうのは俺のキャラではない。
 とりあえず、俺はそそくさと食堂の中へと逃げ込んだ。本当は入り口の献立で昼食を決めるつもりだったのだけれど、そんな暇は無かったので日替わり定食を頼んだ。