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 コツさえ掴めば、それは非常に簡単な事だった。難しいのは、実質的な威力。威力を求めようとすればするほど、それ相応の集中力が必要になるのである。
 三十歩ほど離れた小岩の上、そこに真っ直ぐ立てているのはくぬぎの薪木。俺は手にした狩猟刀を真っ直ぐ正面に構え、意識を額の奥から刀身へと移していく。呼吸は止めず、むしろゆっくりと定期的に深くリズムを刻むよう心がける。頭の中からは余計なイメージを払拭し、ただ構えた刀身だけを強く思い描く。何よりも硬く、鋭く、冷たいイメージだ。
 仮想の刃は実物よりも遥かに強く存在感があった。それが自信という力を漲らせ、必ず出来る、という確証をもたらせる。それがある一定の量まで蓄積したのを見計らい、構えた刃を一息に振り抜いた。
 何も無い空間に仮想の亀裂が斜めに入る。亀裂は一枚板となり真っ直ぐ突き進んでいく。狙いを定めた薪に向かって。それからほとんど息をつく間も無く、亀裂と薪が位置を重ねた。
 行け……っ!
 そして、亀裂は微かな摩擦音と共に薪を突き抜け、更に僅か進んで中空に霧散した。直後、薪は亀裂の通過点を境界に上下二つに分かれ、ずるりと滑り小岩の上で跳ねて草むらへ落ちた。それが確かに自分が始め予測した結果である事を確認すると、俺は静かに息を吐きながら構えた狩猟刀を戻し腰の鞘へと収めた。
「す、凄いよベル! うわあ、完璧に真っ二つだ!」
 嬌声を上げながらジャックは小岩の元へ駆け寄ると、分断された薪をそれぞれ持ち上げ断面を見比べはしゃぐ。まるで自分がしたかのような喜びぶりだ。
「だから、ベルって呼ぶなっていつも言ってるだろ。ダサイからさ。俺の名前はベルシュタインだ」
「ごめんごめん、長くて呼び辛いから、つい。でもさ、これ本当に凄いよ。やっぱり魔法の力なんでしょう?」
「まあな、そういう事だ。なんてったって俺は勇者の家系だからな。それから、分かってるなジャック」
「うん、この事は誰にも言わない。いつか、仇を討つ時のために取っておくんだよね」
 俺には離れた場所から物を切断するという不思議な力がある。それに気付いたのはかなり昔の事で、切っ掛けも今となっては思い出す事は出来ない。今のところ分かっているのは、この力を使えるのは村の中では俺だけで、しかもどうやら魔法の力らしいという事だ。勿論、誰にでもあるような力ではない。ある限られた血族だけに許された力があって、親父は普通の農夫だが俺の代ではたまたま強く現れたのだろう。
 力を自覚するようになってからは、弟分のジャックを除き人知れずこっそりと力を磨き始めた。初めの内は目の前のものを倒せる程度にしか過ぎなかったが、今ではこうして薪程度なら難なくぶった切る事が出来る。その気になればもっと硬いものや大きいもの、おそらくは人間ぐらいの生物ですらやれるだろう。今更改めて言うまでもないが、俺のこの力は薪を割るためのものではない。常人には出来ないような、運命的で特別な事のために使うための力だ。今はまだ成長過程でこれぐらいしか出来ないけれど、いずれはもっと強力な力にするつもりだ。敵討ちだってその過程の一つぐらいにしか思っていない。英雄譚の勇者だって子供の頃があったのだ、俺には今の自分に対して焦りや落胆は全く無い。
「さて、そろそろ帰ろうぜ。途中で日が暮れちまいそうだ」
「そうだね。最近は日が落ちるのも早くなったし、急ごう。夜になると鬼が出ちゃう」
 俺達は今日の獲物を肩に背負うと、村へと続く山道へと戻った。この山から村までは俺達の脚でおよそ一時間といった所だ。今はまだ温かいので一晩ぐらい過ごす事になっても大丈夫だが、冬になり雪が積もればそれこそ命に関わる状況になる。それだけ、この地域は未開だという事だ。
 俺の産まれたこの村は、大陸でも東の隅にある何の変哲も無い農村である。村の男は田畑を耕し山へ狩に出、女は男の留守を守りながら糸を紡ぐ。別に原始人のような生活をしている訳ではなく、少し離れた所にはそれなりに大きな町もある。これらの古臭い仕事はあくまで生活の糧を得るためだけの手段だ。特に最近は、いわゆる流行物が村のそこかしこで見受けられる。
 村の男は、数え年で十三歳になった時に大人として認められ、生活のために働かなくてはいけない。俺もジャックも去年から狩の仕事をする事になった。獲物を獲ってきて解体し、肉は食用にするか加工食品に、皮や骨は加工用部品として卸す。稼いだ金はほとんど家族に入れていて、一応同居という形での生活だ。
「ねえ、ベル……シュタイン。前から思ってたんだけどさ、内緒にする事なんかないんじゃないかなあ」
「何でよ?」
「敵討ちは分かるし、確かにその力も凄いと思う。でも、一人じゃ難しいと思うよ」
「だがな、俺の祖父さんは一人で戦ったんだぞ? 俺んちは勇者の血族だ。勇者とは常に一人で立ち向かうものだ」
 そうジャックに大見得を切ったが、確かにジャックの言う事も一理あると思う。俺の力の最大の欠点は、集中のために無防備な時間があるという事だ。その点、仲間が居ればその時間は安全に稼ぐ事も可能かもしれない。だが、これは誇りの問題だ。祖父さんが一人で戦ったのだから、血族の俺が誰かの力を借りてはきっと笑われるはずだ。第一、こんな程度の敵を一人で倒せないようでは到底勇者として大成するなど夢のまた夢である。
「えー、でもさ、勇者にはいつも頼れる仲間がいるじゃんか。いざという時はともかくとして、絶対に一人で戦わなくちゃいけないって訳でもないでしょ?」
「つーか、頼れる仲間って?」
「ほら、僕、僕。弓は結構うまくなったし」
「お前さ、十本射って一本当てるのがやっとの腕でどう役に立つってんだ」
「あれは獲物を罠に誘導するためにわざと外したんだよ。とにかくさ、一人で行くのだけは絶対駄目だからね。行く時は僕だけでも必ず連れてってよ」
「まあ考えといてやるよ」
 今の所、ジャックの弓の腕はほとんど信用がならないという評価である以上、戦力的には全く構想外である。ただ、どうせ連れて行くならばジャックのような山に詳しい身近の人間が適任だと思う。現実的な話、実際に決行する時は万が一のために途中まで連れて行く程度だろう。正直、俺も山の奥までは行った事がないから、一人では心細いと言えば心細いものがある。
 俺達の言うという仇とは、この山に棲んでいるある魔物の事である。実は、この山の奥には鬼が住んでいる。昼間は自分の巣の中で寝ていて夜になると活動を始める夜行性の鬼だ。背丈も肩幅も大人の三倍はあり、片手でやすやすとイノシシを摘み食いするような化け物だ。
 自分の縄張り意識が強いから山を絶対に降りないのだが、どういう訳か十年前に一度だけ村に下りてきた事がある。この時にたった一人で勇敢に戦ったのが俺の祖父だ。結果は相討ちで、鬼は片目を潰されて山奥へ逃げ帰ったが、祖父はその時の怪我が元で死んでしまった。
 俺は鬼を倒すために力を磨いている。敵討ち、とは体良く言っているものの、実際は単なる自分のステップアップにしか過ぎない。勇者は誇り高い血族だから復讐はしないのだ。ただ、人に迷惑をかける鬼を対峙するのは勇者として当然の役目であり、やがてはもっと多くの人を救うための、成長の糧とする足がかりが必要なのだ。
 祖父さんも俺にこの特別な力があると知ったら、きっと同じ事を思うはず。だからこれは祖父の遺志でもあり、その血族の使命であると、そう俺は信じている。