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 村へ到着したのは、丁度日が落ちる頃だった。
 これから夕食時という事もあってか人の行き来はほとんど見られず閑散としていた。ただでさえ人の少ない村という事もあり、昼間以上の物寂しさを感じる時間帯である。
「なんとかギリギリ帰って来れたね」
「別に俺は急ぐ理由も無いんだけどな。家に帰っても鬱陶しいのが居るだけだし」
「またそんなこと言う」
「だって、正直うんざりだぜ? 親父の奴なんか毎日毎日、同じ事ばっかり言うしさ。もうボケてんじゃねえのか」
 村には町のように街灯は建っていないため、夜の明かりは行燈などの火に頼る事がほとんどだ。それでも村中の全ての家が軒先に吊るせば、ほとんど外出には困らないぐらいの明るさにはなる。その夕方のような明るさは、都会ではちょっとしたブームになっているらしい。懐古的なものが物珍しいのだろうが、そういう所で生まれ育った人間にしてみれば首を傾げるばかりである。まあそれでも、観光で村が潤えば越した事はないのだが。
「ねえ、あれ。お父さんじゃない?」
 不意に前方を指差したジャック。指の先には、手に小さな紙の包みを携えた冴えない中年の男が歩いていた。丸まったその背中、確かに見覚えがある。町の喧騒にでも放り出せばすぐに見分けがつかなくなってしまいそうな、紛れも無い俺の親父だ。
「んじゃな。明日は解体やろうぜ。この間の空き地は駄目だ。後で区長に怒られたからさ、村の外にしよう」
「了解。明日は僕が迎えに行くよ。それじゃあね、おやすみ」
 ジャックと別れた俺は親父の元へと駆け寄った。
「親父、また焼き鳥買ってきたのか?」
「おう、お前か。お帰り。今日の成果はまあまあのようだな」
「まあね。親父の酒代ぐらいは稼いでやるさ。その内、肴も一品増やしてやるよ」
「バカヤロウ、人を年寄り扱いするな。まだ小僧に養われるほど耄碌してねえ」
 親父とそんな話をしながら小突き合い家路を辿る。
 基本的に、俺と親父の仲は世間から比べてみれば良好な部類だった。男は俺ぐらいの歳になると父親を毛嫌いする傾向にあると、どこかで聞いた事があるが、うちに限っては全くそういった愛憎は無縁だ。俺と親父はこのようにほとんど友達感覚だし、親父とお袋は年齢なりに擦れた熟練者のような雰囲気である。と、まあ俺の家族仲は概ね良好だ。
 しかし、
「それにしても、まさかお前が猟師になるとは思いもよらなかったなあ。あの泣き虫が、こんな一丁前の面構えになってよう。確かお前、山が怖いんじゃなかったのか?」
「んな事あるか。むしろその逆だ。山には祖父さんの仇がいるんだからな。いちいちビビッてられっか」
「祖父さん? ああ、まだ気にしてたのか」
「なんだよ、気にしてたって。肉親の仇だぞ」
「まあ、何て言うかさ。祖父さんはちょっと変わり者だったからな。お前の名前だってさ、祖父さんが勝手につけたんだぞ。こいつは将来大物になるからってさ。何だったかの勇者の名前だとさ。まったく、百姓の倅になんでこんな大層な名前つけるんだかな」
「俺の名前がどうとか聞き飽きたよ。それよりさ、なんでそんなに祖父さんのことを毛嫌いする訳?」
「毛嫌いなんかしてないさ。ただ、あの人には昔から困らされ続けてきたって事だ」
「今の俺が、親父に困らされてるようにか?」
「ったく、可愛くねえガキだな」
 たった一つだけ、俺の家族の間ではタブーのようにあまり触れたがらない話題がある。あの、鬼と戦って死んだ祖父さんの事だ。
 俺にとって祖父さんは自分が求める自分の理想像そのものである。将来は祖父さんのように勇敢な男になりたい。そういつも思っている。しかし、親父とお袋は祖父さんに対して俺とは全く異なった心象を持っている。極めて自分勝手で思い込みが激しく、自分の都合を周囲へ押し付ける。凡そ、自分勝手と表現するしか他無いような、とにかく迷惑な人間だったと口を揃えて言うのだ。祖父さんを尊敬している俺が、そんな二人の意見と衝突するのは当然だった。ましてや、祖父さんは俺に『ベルシュタイン』という立派な名前をくれたのに、親父はその名前を平気で否定するような事を言うのだ。名前を侮辱するのは人格をそうするのと一緒だ。だから、たとえ自分の親でも黙ってはいられなかった。
 俺は、自分が正しいと思った事には一歩も引かない。だから、いつも親父やお袋が祖父さんの悪い話をするたびに衝突が起こった。誰であろうと、俺は祖父さんを否定する奴は許せない。祖父さんはこの村を守るためにたった一人で鬼と戦った、いわば英雄なのだ。その結果、生きようと死のうと俺達守られただけの人間は感謝するべきだと、俺は思うのである。
「お前のそういう所は本当に祖父さんそっくりだな」
「そう言って貰えるとありがたいね」
「正直言うとな、お前にはあんまり山には言って貰いたくないんだな」
「何でさ?」
「山には鬼がいるだろ? お前の事だ、何十年経っても祖父さんの仇だとかなんとかでこだわるはずだ。そのせいで余計な危険に首を突っ込んでもおかしくない。いや、その内何かの拍子で思い余って馬鹿な行動に出てしまうかもしれない。そう思うと不安なんだ、俺は」
「いい加減、子離れしろって。わざわざ好き好んで危険な事に首は突っ込まないさ」
「だから、さっきも言っただろ? お前は祖父さんに良く似てるんだ。口では何とでも言うが、いざとなると何をするか分からないんだ。要するに、おまえは祖父さんと同じぐらい向こう見ずで馬鹿なんだよ」
 俺は祖父さんに似ていると良く言われている。それは親父だけでなくお袋や近所の人も口を揃えて言うのだから間違いないのだろう。これを逆に考えると、祖父さんは俺に似ているという事にもなる。俺と祖父さんは人間の中でも非常に近い構造であるという事だ。
 もしもそうだったら、祖父さんは俺の持っているような魔法の力は持っていなかったのだろうか? 祖父さんが鬼と戦った所を見た人はいない。何故なら、その時はみんな近くの避難所へ逃げていたからだ。だから誰に聞いても真相を知ることは出来ないが、少なくとも、祖父さんよりも強くならなければ仇は討てないのは確かだ。
 そんな事を考えている内に、いつの間にか我が家へ到着していた。僅かに夕飯の支度をする香りが漂ってくる。その香りにくすぐられ、ふと思い出した空腹がきゅっとお腹を締め付けてきた。