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 俺達が狩場としているこの山には、大きな川が流れている。
 その川は村まで続き、井戸水と並ぶ生活用水として使われている。沢まで下れば流れは随分と緩やかになり、夏場は子供達が水遊びをするほどである。しかし、沢を登ったこの山中では水飛沫が舞い上がるような流れの速さで、迂闊に足を踏み入れればあっという間に足をすくわれてそのまま流されてしまうほどである。
 この川は上流ほど魚が多く棲息している。鮎に山女、岩魚といった所だが、獲ったばかりの魚をすぐに焼いて食べるのは非常に美味である。何でも新鮮なものが美味いというのは魚介類の定石だろう。ただ、そのためには相応の釣具が必要であり、よほどの手練れでなければ竿以外にも網やら何やらと必要になるだろう。そこまで徹底するといわば道楽、例の都会でブームになってる懐古主義と同じ事だ。
 俺達は狩に出かける時はおにぎりを三つほど持っていく。当然だがそれだけで足りるはずもなく、昼飯時はその足りない分を現地調達するのが普通だ。そこでいつも昼飯の休憩場所としているのが、この場所である。
「火、準備出来たよ」
「こっちも、これだけ獲れりゃあいいだろ」
 川原で火を焚き、素手で取った川魚を焼いて食べる。それがいつもの狩の日課になっていた。
 ここは沢に至るまでの流れで唯一の滝がある場所である。この滝を最後に川は急激に流れを弱め、川底も随分と浅くなるのである。これだけ優しい流れなら足元を取られる事は無く、泳いでいる魚はのんびりと手掴み漁で獲る事が出来た。ある程度コツは必要だが、慣れてくれば糸をたらすよりも遥かに早く数が稼げるのである。
 此処は俺達しか知らない秘密の場所だ。観光客を連れてくればそれなりにウケは良さそうだろうが、どうせ価値も何も分からなさそうだし、何より人が集まると必ず汚されてしまう。見ず知らずの第三者に壊されるぐらいならいっそ二人だけの秘密の場所にしていた方がいい。そんな訳でずっと、村の大人にすら内緒にし続けている。
「なんか最近さ、魚の脂のノリが良くなって来たな」
「これから産卵期に入るからね。栄養を蓄えてるんだよ」
「栄養ねえ。魚って何食ってんだろ」
「川底の藻とかじゃない?」
「うえ、俺らそれ食ってんのかよ」
 昼食の時にいつも思うのだが、せっかく火があるのだから何か汁物を用意出来ないだろうか。おにぎりと焼き魚、そして香の物。取り合わせとしては悪くはないのだけれど、飲み物が水だけというのはいまいちしっくり来ない。だが、汁物にしてもお茶にしても温めるには器具が必要になってくる。そういうものは狩の際に邪魔な荷物になるから持って来れないのだ。何かうまいこと代用出来ないかと考えはするものの、まあ結局は何も思い浮かばなくて現状維持になるのが常だ。
 やがて食事も終わり、しばし腹ごなしの雑談にふける。とは言っても、お互いあんな狭い村に住んでいるのだから、それほど話題になるようなものを持っている訳でもなく、どちらかと言えばすぐに話題に困窮する事の方が多かった。そもそも男同士の会話なんてこんな風に殺伐としているのが普通だろう。かしましく喋り倒すのは女だけだ。
 嵐で川が氾濫した時に上流から流されてきたのだろうか、この川原の中では特別浮いている大きな岩に背を預けながら空をボーっと見上げる。今日は雲が少なく非常に天気に恵まれている。こういう日和の時にイノシシ辺りを仕留められると非常に気分良く帰る事が出来る。イノシシの肉は加工品として割と高く売れるのだ。
 ふと俺は視線を滝の方へと移した。
 この川の上流は非常に流れが強く大人でも溺れる事がある程なのだが、この滝から落ちた水は一度溜まりで勢いを削がれ、後はゆっくりと浅い道程を流れていく。しかし圧巻なのは勢いの格差ではなく、この滝の圧倒的な高さだ。
 滝はざっと見ただけでも大人の身長の数十倍はある。建物と比較しても三階とか四階では到底追いつかない高さだ。それだけの高さから降ってくる水だから勢いなど桁違いで、滝壺の付近は川底が異常に深く掘り下げられてしまっている。当然だが、滝の真下なんかに行ったら圧倒的な水量と単純な勢いの強さに叩き潰され、一瞬でどれだけ深さがあるのか分からない川底へ連れて行かれる。どれだけ泳ぎに自信があってもそれは無意味だ。川底は無茶苦茶な流れが渦巻いていてすぐに手足が取られ息が続かなくなる。魚のように水中で呼吸が出来なければ到底無理なのだ。もっとも、実際に川底に潜って試した訳じゃないから確かな事は言えないのだが、以前に実験で手ぬぐいを何本も結び合わせて作った長い布を垂らして見たところ、あっという間に手ぬぐいが川底へ連れて行かれてしまった。そこからの推測なのだが、あながち間違ってはいないはずだ。
「なあ、ジャック」
「ん、何?」
「もしもさ、滝の上から鬼の奴を滝壺に叩き落したらさ、奴は死ぬと思うか?」
「どうかなあ。人間だったら確実に死ぬけど、鬼は体力も凄いでしょ? もしかすると自力で上がって来るかも」
「だったらさ、腕とか足とかどっか一本ぶった切っておけば何とかなるか?」
「多分ね。さすがに大怪我していればうまく泳げないと思うから。そもそもさ、あんな高い所から落ちたらそれだけでも無事じゃ済まないんじゃないかな? 高い所から落ちると水も岩みたいになるって、どっかの本で読んだ事あるよ」
 あくまで言葉遊びのレベルではあるが。鬼がどれだけ水中に適応性があるかどうかは分からないが、少なくとも全くの平気という事はないだろう。
 とりあえず、この場所は敵討ちの要素として重要な場所に変わりは無い。仮定の話だが、近い将来俺はあの鬼に対して戦いを挑むだろう。当然だが俺は自分の手で確実に息の根を止めてやりたいと思う。けれど現実には、俺自身の力では倒す事が出来ないという状況も有り得るのだ。そんな時のために勝つ為の代替案は絶対に必要になってくる。たとえば、重傷を負わせてこの滝壺へ叩き落すとか、そういう作戦だ。
 勇者の血統でも自分の力を決して過信しない。過信と油断はミスを引き起こす最大の要因だから、如何なる事態に陥る事も想定すべきなのだ。だから最悪、自分の手で仕留められなくとも致し方ないと妥協しなければいけない。代案は常に必要だ。策はあればあるほど臨機応変に立ち回ることが出来る。
「さて、そろそろ行こうよ」
「だな。よし、今日も一発仕留めてやろうぜ」
 考えてみれば、今の仕事は敵討ちのための力を蓄えるには最適だった。動物を狩るという事で実に様々な事態にも対処出来る力が養われる。それに鬼のテリトリーでもあるこの山の地理にも詳しくなれる。魔法は魔法で磨いているが、こうして日々野山を駆け巡るだけでも十分に自分が鍛えられる。
 鬼はこの山から逃げる事はないのだ。焦らず、こうやって自分をじっくり鍛え力を蓄えていこう。