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 もしもこれが鬼の足跡だったなら。鬼って、とんでもなくでかい化け物なんじゃないだろうか?
 そんな言葉を脳裏に掠めさせながら、村に辿り着いたのは日が暮れ始めた夕方だった。
「なあ、なんか村の方おかしくねえか?」
「そうだね、明かりが少ない気がする」
 薄っすらと暗がりが掛かり始めたこの時間帯は、村ではぽつぽつと明かりを灯し始める。それは主に村に居る人のためよりも、俺達のような日中村の外で仕事をしている人やこっちの方角へ向かう行商などの道標としての意味合いが大きい。だから幾ら普段よりも早い時間に帰って来たとしても、全く灯っていないなんて事は有り得ないのだが。
 明らかな異変を目の当たりにし不安がはっきりと現実味を帯びると、すぐさま俺達は村へ駆け込んだ。
「な、なんだよこれ……」
 真っ先に目に飛び込んできたのは、俄かにはとても受け入れ難いほど変わり果てた村の様相だった。見慣れた家屋はあちこちに大穴が空き、柱を折られ、中には原型を留めていないほど崩されてしまったものもある。通りや田畑もあちこちが陥没しまるで荒地のようだ。とてつもなく大きな嵐が通り過ぎた後の朝のようである。
「とにかく家の様子を見ないと……親父達が心配だ」
「まだ単独行動はしない方がいい。僕も一緒にいくよ。それから今度は僕の家に」
「ああ、そうだな。もしかするとあいつ、まだ近くに居るのかもしれない」
 当てずっぽうで言っただけなのだが。後から妙なリアリティが込み上げてきてしまい、どちらからともなく会話が途切れてしまった。
 共に無言のまま俺の家の方角へ早足で向かう。周囲の状況を見れば、到底無事であるとは思い難かった。ただ、何事も自分の目で見なければ納得出来ない事もある。ましてそれが自分の家族の事となれば当然だ。
 幾ら見渡せども、村にはまるで人の気配が無かった。おそらくみんな村の外へ出てしまっているのだろう、と俺は実際その通りである事を強く望んだ。まさか鬼に片っ端から食べられてしまったなんて、信じたくもないし想像すらしたくもない。
「うわ……ひでえな、これ」
 やがて辿り着いた俺の家は、玄関の位置が分からないほど崩れてしまっていた。辛うじて残った何本かの柱で屋根の一部が支えられているものの、到底建物とは呼べない惨状に変わりは無かった。自分の日常の一部がこうもあっさりと無くなってしまった事にショックは隠しきれなかった。けれど、ジャックのいる前で取り乱す訳にもいかず、俺はただひたすら自分に冷静になる事を強く言い聞かせる。そう、勇者はこういう時にこそ冷静であるものなのだ。
「親父ッ! お袋ッ! 居るなら返事しろ!」
 試しに家の中に向かって叫んでみたが、全く返事は返って来ない。じっと耳を澄まして空気を窺うものの、ここからでは家の中に居ないのか居るけれど返事が出来る状態ではないのか、どちらとも判断が付けられない。
「やっぱりどこかへ避難しているんだよ、きっと」
「でも一応、中も確かめてはおきたいんだが。さすがに止めた方がいいか」
「だね。ちょっと危ないよ」
 本当は構わず瓦礫の中へ飛び込みたかったのだが、やはり自らに冷静を言い渡してある以上、感情的な行動は腹の奥底へぐっと押し留めた。
 次はジャックの家だ。ジャックの家の方角はここから正反対だ。一旦道を戻らなければならないので踵を返した。
 すると、
「ちょっと君達!」
 突然通りの向こう側から誰かの声が聞こえて来た。視線を向けると、こちらに鋼の甲冑をつけた一人の青年が駆け寄って来るのが見える。歳は若く、立派な甲冑ではあるがどうにも着られている感がある。おそらく都心の方から遣された役人か何かだろう。貫禄も感じられない所から、大した役職ではなさそうである。
「君達はこの村の子かい?」
「ええ、そうです。狩から帰ってきた所なんですけど、これは一体どういう事なんですか?」
「それなら知らなくても仕方ないか」
 すると青年は神妙な面持ちで言葉を続けた。どこか俺達に対して被害者と接する憐憫のような気遣いが感じられた。
「この村は鬼に襲われたんだよ。今日の昼前の事だ」
 やっぱり。
 すぐにでも詳細を問い質したい気持ちを抑え、青年の言葉へ尚も耳を傾ける。
「村の人はみんな近くの避難所へ避難している。自分はここへ様子を確認に来たんだ。どうやら鬼が山へ戻ったという知らせが入ってね」
 という事は、俺達は鬼と入れ違いになったのだろう。村へ戻る途中それらしい気配は一切感じられなかったが、おそらく戻る事に夢中で気付かなかっただけかもしれない。その幸運を、素直に唯の幸運だと思ってしまった自分が憎かった。勇者ならむしろ、どうして出くわせなかったのかと悔しがるべきなのだ。しかし、かと言って実際に遭遇したとしても今の俺の力では勝てるかどうかも分からないのだけれど。
「じゃあやっぱり、さっきのあれ……」
「ああ、鬼の仕業だ」
 藪から見つけた兎の足。骨ごと食い千切られていたのだが、周辺の異様に大きな足跡といい、やはり鬼が山を降りてきたその形跡だと考えて間違いないだろう。
「そういえば、君達は何処で狩をしていたんだい?」
「あの山です。向こうの」
「あれは……あれってもしかして、その鬼が棲んでるって山じゃないのかい? まさかそんな危ない所に子供達だけで……いや、とにかく話は後で聞こう。君達も避難所へ来なさい。家族のみんなもいるはずだから。さあ、自分が案内しよう」
 青年に促されるまま、俺達は目的地を変更しその避難所へと向かう事にした。
 なんだ、やっぱり避難所にいるじゃないか。
 そう安堵したのも束の間、俺は激しい感情が込み上げてきて、それを表情に出さないようにするだけで精一杯だった。
 正直、俺は悔しくて悔しくて仕方なかった。鬼が、ついさっきまでここにいたのだ。祖父さんを殺した、憎き仇が。その仇がどうしてか今になって、ずっと棲んでいた山を急に降りて村で暴れ回った。理由は分からないが、とにかくはっきりしているのは、いつか俺の方から敵討ちを仕掛けてやろうと日頃から思い続けていたのに、逆に鬼の方から先に手を出されたという事実だ。そして俺は、鬼と戦うどころか寸前で入れ違いになり声すら聞いていない。
 状況証拠でしか鬼を認識する事が出来ない現実。あるで鬼に嘲笑われているような気分だった。