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 避難厳令が解除され、避難所から村へ戻る事が出来たのはそれから三日後の事だった。
 村に戻った俺達がまず初めに取り掛かったのは、壊された家屋の復旧だった。しかし、鬼が暴れ回っただけあって村が被った被害は相当大きく、とても村大工だけでは手が回らないほどだったのだが、幸いにも領主が支援活動として街から土建関係の人間を派遣してくれたため、数日でどうにか元通りに復旧する目処がついた。当面の生活も最低限ではあるが支援物資が配られるため、どうにか凌ぐことが出来そうである。おそらく、元の生活を取り戻すにもそう長くはかからないだろう。
 しかし問題は、あの鬼の事である。あまりに唐突に現れたため、今後もまたいつ鬼が再び村へ降りてくるか分からないのだ。未だに鬼の事を不安がっている村人も大勢居る。なんせ、俺の祖父さんが戦った時以来の事だけに衝撃も大きいのだろう。
「ようし、ベル。そっちを持ち上げろ」
「おいおい、ちゃんと気をつけろよ。もう足腰若くないんだぞ」
「うるせえ。俺はまだ現役だ」
 午前をかけて家から残骸を取り除いた俺達は、まずは屋根の修理から取り掛かることにした。屋根は損傷が大きいものの、当分凌ぐ程度であればすぐに何とかなりそうだというのが親父の目算だ。ひとまず日が落ちる前に高い足場の不安定な所の作業を終えれば、壁なんかはどうにかなるという計画なのである。
 一応、親父は村大工の棟梁で、大工としてはベテラン中のベテランである。棟梁は実作業よりも全体に指示を出して円滑に作業を進ませる事が仕事なのだが、この変わり果てた自宅の惨状を見るなり大工の血が騒いだのだろう、急に大工仕事を始めたのだ。自分の父親ながら、なんて年甲斐が無いのだろうと呆れてしまう。
「ベルー、ちょっと来なさい」
 ようやく屋根板の張り付けも終わったという頃、日用品と食料の調達に出かけていたお袋が戻ってきた。携えた台車にはぎっしりと様々な荷物が積み上がっている。後先が不安だったのか、とにかく手に入るだけ調達してきたという感じだ。
「何?」
「村長が呼んでるよ。すぐに行ってらっしゃい」
「はーい、はい」
 俺は屋根から飛び降りると、軽く服についたゴミを払った。作業で服が汚れているから着替えていこうかと考えたものの、状況も状況だしそんな場合でもないだろうとこのまま行く事にした。誰だって満足に風呂も入れないような状況なのだ。いちいち気にはしていられない。
 道中、どこを見ても村はまだ俺の家と大して変わらない状況だった。みんなとにかく今夜は屋根の下で寝るために復旧作業を急いでいるのだが、中には明らかにどうにもならないほど損壊している家もあった。だがそういう人は近所に泊めてもらうだろう。そういう助け合いの精神が強く根付いているのは、まあ田舎の良い所と言えば良い所なのだが。
 やがて辿り着いた村長の家は、母屋はほとんど全壊に近くて使えない状態だったが、離れの方はほとんど無傷で済んでいた。多分そっちの方だろうと俺は離れへと向かった。
「ベルシュタインです」
 静かに引き戸を開けて中へと入る。小さな土間に続く高床、奥座敷は二つとやや手広な印象の作りだ。村長は代々続く名家だとかいうそうだが、確かに持ち物もそれらしい。
「おお来たか。待っていたよ」
 座敷には村長の他に二人座っていた。村長の家族はみんな出払っているようである。
「あれ、ジャック?」
 その内の一人はジャックだった。どうやら俺と同じように呼び出されたようである。俺達が呼び出されたという事は。もう一人の見慣れない男、関連性を予想するのは容易だ。
「こちらは領主より派遣された保安部の方だ。先日の鬼の件で事情を伺いに参られた」
「どうぞよろしく。早速ですが、お二人には当時の状況をお聞かせ願いたいのだが」
 やっぱり鬼の件か。
 俺は事情聴取なんてあまり意味が無いと思った。復旧作業ならともかく、鬼はもう山へ戻ったのだから、今更目撃証言なんか集めて足取りを追った所で、なんらメリットは得られない。
「当時のっても、俺達が村に着いた時にはもう鬼はいなかったし。なあ?」
「うん、そうだね。一応、山には足跡なんかあったけど。ほら、あれ」
「兎の足のな。あんなでかい足跡なんて鬼以外ないもんな」
「では、その鬼というのは間違いなくあの山に棲んでいるんだね?」
「まあそうですね。俺らが狩場にしてる所よりもずっと奥ですけど」
 すると男は、そうではないと首を横に振った。
「領主が危惧しているのは、鬼と呼ばれる怪物が本当に存在するのか、という事実です。熊や猪の見間違えではないんだね?」
 予想外の発言に、俺はしばし言葉を失った。
 領主は鬼の居場所などではなく、まさか存在するかどうかすらも疑っているなんて。領主は村の復旧に手を尽くしてくれたから感謝していたのだが、その熱も一気に冷めてしまった。
「第一、この村が襲われたのはこの間が初めてじゃないんだ。俺のじいさんも鬼に殺されてるんだ、いないはずがないじゃないか。今更おかしな事を言うなよ」
「ちょっ、ベル」
 いきなり語気を荒げた俺をジャックが制する。はっと我に返った俺を見て村長が気まずげに一つ咳払いをした。
「申し訳ない、少々誤解があったようだ。既に他の村人からも証言は取れているし鬼が実在するのも間違いは無いというのが自分の意見だ。ただ、それが本当にここの山から来たものなのかどうか、それだけはどうしてもはっきりさせたかったのだ」
「要するに、鬼の棲処を知りたいって事なんだろ」
「そういう事です。領主は今回の事を重く見ておいでです。近く討伐部隊が結成されます。そのために、事前に少しでも情報は集めておきたいのです。相手が規格外の化物である以上は慎重になり過ぎるという事は無い」
「と、討伐部隊……ですか」
「何か?」
「いえ、別に」
 驚くべき状況に、苛立ちが一瞬で動揺へと変わってしまった。
 討伐部隊を編成するという事は、領主は本気で鬼を討伐するつもりだ。こんな田舎のちっぽけな村の事件だからと、放っておくつもりは全く無いようである。いや、この地方の領主は明主だと評判になるほどだから、当然と言えば至極当然の対応なのだが。とにかく軍を動かしてでも鬼を成敗しようという意図は間違いなく本気だ。
「実際にこちらへ派遣されるのは二週間は後になるでしょうが、それまではくれぐれも山へは行かないようにして下さい」