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 その通達が回ってきたのは、ようやく家の体裁も整った日の夕方だった。回覧元は村長で、回し始めたのは今日の昼頃だから大体村中には行き渡っているだろう。領主より鬼の討伐隊が派遣される事が正式に決まった。日時は一週間後の昼。帝都の騎士団からわざわざ選りすぐりの精鋭を選んで来るらしい。一地方を治めているにしか過ぎない領主が一体どうやって帝都を説得したのかは知らないが、鬼に対してそこまで本気という事なのだろう。祖父さんの仇を討とうとする俺にしてみれば迷惑以外の何物でもない話だが。
 この回覧を見た親父とお袋は口々に安堵の言葉を漏らしていた。別に二人が特殊な訳ではなく、おそらく村中の人間が同じ反応をしているはずだ。村を襲った鬼は今でも目と鼻の先に棲んでいるのだ。誰だってまた襲われやしないか心配するだろうし、この先の生活にも不安が募る。その不安の種を取り除く計画が現実的に出されたのだから、手放しで喜ばずにはいられなくなって当然である。
 俺はこの状況をあまり快く思っていない。村人にとって鬼が討伐されるのは身の安全が保証されるため歓迎すべき事でも、俺にとっては宿敵を横取りされるだけでしかないからだ。だから親父達の喜ぶ様を横目に、一人縁側で腐っていた。また下手な事を口にすればケンカになるだろうし、うっかり俺が敵討ちのために魔法を磨いているなんて事を知られてしまったら一大事である。勇者として、第一歩目から躓く訳にはいかない。
 そんな面白くも無いまんじりとした状況で、夜更けにも関わらずジャックが家を訪ねて来た。ジャックのお袋が作った揚げ菓子のお裾分けだそうだ。ジャックのお袋が作る揚げ菓子はなかなか旨くて好きだが、今はそういう気分ではなかった。というよりも、とある事に頭を優先的に使いたくて別な事に気を取られたくないのである。なのにジャックは縁側で腐る俺の所にも当たり前のようにのこのことやって来た。こいつの空気の読めなさは昔から全く治っていない。
「ねえ、回覧見た?」
「ああ、見たよ」
「あのさ……大丈夫?」
「何がだよ」
「ほら、なんていうかさ。怒ってるとか無い?」
「別に。前に村長の所で聞いてた事だしな」
「うん、そうだね……」
 ジャックとの取り留めない会話。こんな夜更けにわざわざ揚げ菓子を届けに来た所を見ると、どうやら俺の様子を見るためにこじつけたようである。
「やっぱり仕方ないよ。これだけの大事になったんだもの」
「仕方ないの一言で済む問題か。俺にとっては肉親の問題なんだぞ」
「だからさ、早まらないで欲しいって言うか」
「早まるって何が」
 相変わらずの心配性だと俺は肩を竦めたくなった。もっとも、その心配性はいい加減な俺と丁度良いバランスが取れているのだが。
 そうだ。
 ふと思い立った俺は、
「親父、ちょっと出かけてくる」
「なんだ、こんな時間に?」
「腹減ったから、ソバでも食ってくる」
 そう適当な嘘をつき、ジャックを無理に連れて家を出た。
 今の時刻、村はほとんどの人間が家に帰っているため人通りもあまりない。それに自治隊が見回りをして夜間の外出を控えるよう触れ回っているので、自然と皆が日没以降は出歩かなくなっていた。
「僕、別にお腹空いてないよ」
「バッカ、嘘に決まってんだろ、そんなの」
 そう言って俺は、出掛けにこっそりと忍ばせておいた野太刀を腰から出して見みせる。いきなりそんなものが飛び出した事でジャックは驚き顎を引く。その表情は驚きというよりも訝しがっているに近い。
「ちょっと来いよ。いいもの見せてやる」
「いいもの?」
 俺はジャックを引き連れ大通りから裏通りへ、そして更に暗い路地へと入り込んで行った。自治隊の見回りは大通りと南北にある村の出入り口にしかいないので、こういった入り組んだ所までは余計な目はないのだ。
「ねえ、こんな時間にどこに行くつもりなの?」
「外だよ、外。村の外」
「え? まずいよ、それは。幾らなんでも」
「うるさい。いいから黙ってついて来い」
 こんな時間にこっそりと村を出るという事で、ジャックは目に見えて表情を青ざめさせた。俺が村の外へ出ると行っているのが山へ行くのと同じ意味だとは気づいているだろうが、ジャックが山には鬼が棲んでいる事よりも自治隊を含めた大人達に黙ってこういう事をするのは良くないと思っているから、明らかに乗り気ではないのだろう。相変わらず守らなくても良いような決まりまで律義に従おうとする当たりが小者である。
 そしてジャックを無理やり連れて来たのは、山のいつもの練習場所ではなく村からさほど離れていない野原だ。わざわざ山まで行けば帰りが不自然に遅くなるし、行く必要も無い。要するに誰も見られなければいいのだから、ここでも十分なのだ。
 俺は早速準備に取り掛かった。
 野原から飛び出した手頃な小岩を見つけると、そこへ側に落ちていた抱えるほどの大きく重い石を乗せる。ジャックへ見せるための標的はこれぐらいで十分だ。
「見てろよ」
 そう言うまでもなく、ジャックは俺が何をしようとしているのか理解したらしく、いつものように適度な距離を取って小岩と俺とを同時に視界へ入れられる位地取りをしていた。だが、今回の標的がいつもと違って薪木ではなくもっと固く重い石である事に、やや不思議そうな顔をしている。わざわざ石を標的に選んだという事は、俺が石をどうにか出来るようになったと想像はするだろう。ただ、目の当たりにするまで実感を抱けないという所か。
 さて、やろうか。
 俺は構えてイメージを描くと、即座に野太刀を繰り出した。咄嗟にジャックの方から驚きの一語が飛び出すのが聞こえる。多分、前よりも遥かに集中する時間が短くなったからだろう。
 繰り出した野太刀から飛び出したのは、実際よりも二回りは大きな矢じりを模した白い光。その光は矢のような速さで真っ直ぐ小岩の上の石へ向かって行き針に糸を通すような正確さで石を捉える。瞬間、ぱっと砂を撒くような音が聞こえたかと思うと、小岩の上に乗せていた石は忽然と影も形も消えてしまった。
 よし、完璧だ。
 俺は満足の行く出来に喜びで胸を踊らせるも、それを表に出すまいとさも当たり前のように振る舞った。
「す、凄い! 凄いよ、ベル! これ、一体どうしたの!?」
「だからベルって呼ぶなよ」
 目を丸くしてはしゃぐジャックに苦笑する。まるで自分の事のように喜んでいるが、それはそれで悪い気分ではない。
 最初と比べて威力が段違いに上がっているが、何よりも放つまでの時間が半分以下まで短くなったのが一番の収穫だ。やはり成長のきっかけとは、コツに気づくかどうかなのだ。俺はイメージを鍛えるという事で、たった数日でこれほど成長した。今は成長に落ち着きが出て来たが、いずれはまた別なコツを見つけて更に成長出来るだろう。
「よし。いいか、ジャック。良く聞け。討伐隊が到着したら、きっと案内役を募るはずだ。どうせ山の事なんか何も分からないはずだからな。そうなると一番の適役は俺達だ。だから俺達が案内役として討伐隊に着いて行く。ここまでは分かるな?」
 こくこくと首を縦に振るジャック。その様子に俺は、完全に自分がペースを握ったという実感と満足を覚える。これまでもどちらかと言えば俺の方が立場的には上の関係だったが、それはただ強引に俺が我を通して従わせていたにしか過ぎない。しかし今は違う。はっきりとジャックから感じるのだ。俺に対する心服を。
「で、だ。そこで奴らを出し抜いて、先に俺が鬼を倒すんだ」
「出し……抜く?」
「そうだ、出し抜くんだ。もう俺にはそれしかない。そうでもしないと、俺は祖父さんの仇が取れないんだ。今までの俺だったら無謀だと思われたかもしれないが、今は違う。今の俺はこれだけの力をつけたんだ。幾ら鬼でも、心臓か頭をフッ飛ばせば、絶対に死ぬ」