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 討伐隊が到着したのは、朝食を終えた後のまもない頃だった。
 鬼の事件以来、山へ狩に出かけられずまともな仕事が出来なくなっていたため、その時間は何をする訳でもなくただ無為に過ごす事が多かった。それも鬼が討伐されるまでだと、今日が過ぎれば何とかなると、親父やお袋を初めとする村中の認識はそんな風だった。
 しかし俺だけは全く違っていた。皆がこの日が早く過ぎる事を願っているが、逆に俺はこの日が来る事を一日千秋の思いで待ち焦がれていたのだ。今日は鬼が成敗される日ではない。俺が長年夢見てきた祖父さんの敵討ちを実現する日である。
 その日も俺はジャックと一緒に、村の入り口に近い空き地で皮をなめしながら雑談にふけっていた。無論、これは暇を持て余し燻っている振りである。ジャックはどうかは知らないが、俺は出来る限り普段通りの自然な素振りをしなければ誰かに要らぬ勘繰りをされてしまうのだ。
 この数日、日中はこうして日長雑談にふけり、夜は夜でこっそり家を抜け出しては魔法へ更に磨きをかけて過ごした。一番驚いたのは、毎晩欠かさず魔法の練習をした事ではなく、日中の自分がただ無為に時間を過ごす事に何の焦りも抱かなかった事だ。確かに夜遅くまで練習をしているから、日中は必然的に眠くなりボーっとする事が多くなる。けれど以前の自分だったなら、すぐ目の前まで討伐隊の到着日が迫っているのに練習も何もしない状況なんて、一秒たりとも落ち着けはしなかっただろう。きっとこうして落ち着けているのは、俺自身に確かな勝算があるからだろう。何もしない事に焦りを覚えるのは、自分の実力に劣等感があるせいだ。
「我々は帝都騎士団第三師団の第二十一支部隊である。この村の長の元へ案内して貰いたい」
 突然現れたその一行、先頭に立つ青年は皮をなめす俺達に向かってそう無表情のまま言い放った。
 彼らが討伐隊である事は、その容姿だけでも十分推す事が出来た。銅ではなく鋼の胸当て、それも装飾の施された一般人には到底縁の無い高級な装備。それぞれ腰には同じく多少飾りが施された鞘と大剣がぶら下がっている。何人かは同じような装飾の槍も構えており、遠目からはよく戦争モノの本に書かれているような一個中隊のようだ。
「いいですけど。とりあえずついてきて下さい」
 隊長らしき無表情な青年に対抗し、こちらも出来る限り素っ気無い態度で反応をして見せる。けれど青年は意に介していないかのように、何のリアクションも見せてはくれなかった。都会の人間は何事もビジネスライクで素っ気無いと親父が言っていたが、確かにその通りだ。まるで人間と話している気分にならない。きっとそういう人間関係に疲れるから、こんな何も無い田舎に旅行する事がブームになるのだろう。
「ねえ、ベル」
 ふと、傍らのジャックが声を潜めて突付いてきた。
「何だよ」
「なんか凄そうな人達だけどさ、本当にやるつもりなの? 何かあったら捕まっちゃうんじゃないかな……」
「嫌ならお前は降りてもいいぞ。俺は一人でもやるからな」
「そ、そうだけどさぁ……」
 やはりジャックは怖気づいてしまったか。
 確かにジャックの言う通り、帝都騎士団の一員という事もあってか一人一人の持つ威圧感は村の大人達とはまるで比べ物にならない。一般人と騎士ではそれほどまでに住む世界が異なるという事なのだろう。そんな人間達を束ねるのが、このすぐ後ろにいる隊長なのだ。そして俺は、この隊長を出し抜いて先に鬼を倒そうとしているのである。冷静に考えるとかなり無茶苦茶な事だが、既に腹を括っている以上は今更後には退けない。討伐隊が誰であろうと、俺はただ当初の目的通り祖父さんの仇を取るだけだ。
 やがて村長の家に辿り着くと、村長は庭の手入れに勤しんでいた。母屋が建て直されるまでの間はほとんどほったらかしにしていたので気になって仕方ないと、以前ぼやいていた事を思い出す。
「村長、討伐隊の方々がいらっしゃいました」
 こちらに気付いた村長はすぐさま手にした植木バサミを放り投げ、歳に似合わぬ速さで駆け寄ってきた。
「ようこそいらっしゃいました。遠路遥々、御苦労様です。話は領主様から聞いております」
「そうですか。早速で申し訳ありませんが、本件の鬼が棲息しているという山へ案内をお願いしたい。我々は任務が終了するまで現地に滞在する予定なので」
 せっかくにこやかに出迎えた村長だったが、青年は恐ろしいほどの無表情で淡々と自らの用件だけを述べる。どんな馬鹿にも余計なコミニュケーションを拒絶している事が分かるほどの極端な温度差を見せ付けた形になった。
 なんだ、こいつ。自分の名前も名乗らないのかよ。
 青年のあまりの冷淡な態度に、俺は嫌味の一つも言ってやりたい衝動に駆られた。仕事で来ているのだから愛想を振り撒く必要はないと考えているのだろうが、せっかくにこやかに出迎えている村長をにべも無く跳ね除けるのは幾らなんでも人としてどうかと思うのだが。
 もうこれで完璧に決心がついた。こいつの面子を潰す事に何ら躊躇わなくて済む。
「左様ですか。鬼はすぐそこの山の奥に棲んでおりますので、今から出発しても日没前には到着しましょう。山の事はこちらの二人が一番詳しいです。なんせ、ついこの間までは山を狩場にしておりましたから」
 村長の言葉に促され、傍らでおとなしくしていた俺達に青年がゆっくりと視線を向ける。
「子供、か……」
 そう一瞥し、何か小声でつぶやく。だが、何をどういう気持ちで言ったのかははっきりと分かった。案内人が俺のような子供である事が気に入らないのだ。
 だが、むしろそういう態度を取ってくれた方が遥かに好都合だ。今はそうやって自らを過信し格下の人間を露骨に見下したらいい。それだけ俺が出し抜いてやった時に惨めな思いをするのだ。
「他に案内の出来そうな人間はいないのか?」
「ええ、村の大人達もあまり山へは行きませんから。私なら多少は知っていますが、何分この歳ですので皆さんの足にはついていく体力がありません」
「ならば仕方が無いか。とりあえず、君達には我々を案内して貰うとする。今後、君達は我々の指揮下に入り、私の命令には従ってもらう。勝手な行動を取れば身の安全は保障できない。それは理解出来るな?」
 ジャックはほとんど反射でこくこくと首を縦に振った。俺は唾でも吐きかけてやりたい気分だったが、ここで逆らってしまっては俺だけ村に置いて行かれるような事になりかねない。俺もまたジャックのように張子を真似て首をかくかくと縦に振った。
 まったく、何て挨拶だ……。