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 山の麓へ到着したのは、予定よりも若干遅れた丁度日が暮れる頃だった。討伐隊は遠征に当たって必要な物資を馬車で運んできたのだが、山までの道がきちんと舗装されたものではないため車輪が何度も草を噛んだ事が一番の原因だろう。馬車が効果を発揮するのは舗装された道での話なのだが、きっとここまで田舎だとは思いもしなかったに違いない。
 テントと食事場だけの宿営地を作り、今夜はここで朝を迎える事になった。案内役という事で食事と寝床も準備して貰ったが、正直疎外感は否めない状況でもあった。もっとも、一案内役にしか過ぎない子供を討伐の作戦会議に参加させるなどあり得ない事だし、まさか俺を戦力として数えることもないだろうと踏んでいたから、当然の状況ではある。それに、俺達に案内役以外の認識が無い方が油断もさせやすいので都合は良い。
 食事を早々と終えた討伐隊の面々は、早速明日からの行動についての作戦会議を始めた。俺達も最初会議に呼ばれたので、まさか予想に反してメンバーに加えられるのかと思ったら、案の定ただ山の地理について幾つか訊かれただけで追い払われて終わった。作戦を押さえておけば今後とも有利に立ち回れるとは考えたが、とても盗み聞き出来るような状況でもなかったため諦めてジャックと夕食を続けた。
 夕食は帝都騎士団に支給されているという非常食で、缶詰やドライフードなのだが、どれも味が濃くあまりおいしいと言えるものではなかった。だったら俺達が普段昼食で食べるような料理を用意してやる事も出来るのだが、どうにも討伐隊の雰囲気は硬くて息苦しくそういった行動を許さなさそうだから特に何も言わなかった。考えてみれば、討伐隊はあくまで鬼の討伐が目的で派遣されたのだから観光客のように和気藹々と楽しむ気分にはならないのだろう。
「ねえ、ベル。やっぱり考え直したりとかしない?」
 ふとジャックが遠慮がちにそう訊ねて来た。
「なんでだよ。それとベルって呼ぶな」
「確かに僕もさ、この間はこれならいけるかもって言ったよ。まさかあんなに凄い魔法を使えるようになっているなんて思いもしなかったし。でもね、やっぱり僕達だけでは無理だよ。討伐隊だってこんなに大々的に組まれてるしさ、世間では鬼を倒すってこういうのが普通なんじゃないかな? そう考えると僕ら子供がどうこう出来るレベルじゃないんじゃないかなって思うんだけど」
「バッカ、それは凡人の話だろうが。勇者の強さってのはそういう計算じゃ計れないんだよ」
「前から言おうって思ったんだけど。いつ、誰が、ベルシュタインの事を勇者だって決めたのさ?」
「ハッ、勇者ってのは自分でなるもんなんだよ。いいか、俺には特別な魔法の力があるんだぞ。だから普通の人間には出来ないような事が出来る、それがいわゆる勇者って事だろ」
「それは分かるけど……で、でもさあ……」
 いまいちはっきりしないジャックの受け答え。それは普段の煮え切らない態度とは違う、何かしらの迷いが伺える不安げなものだ。この期に及んでジャックは怖気づいてしまっている。ジャックは生まれつき臆病で慎重過ぎる性格だ。本当は狩の仕事をするのも最初は随分と躊躇していたし、弓を使うのも想定出来る最悪の状況に巻き込まれる確率が一番低いからという理由だ。そんなジャックだから、俺が討伐隊よりも先に鬼を倒そうとしている事が漠然と不安なのだろう。
 俺は一人でも鬼は倒す自信があるし、元々ジャックは援護程度のつもりにしか思っていない。だが、今この状況でジャックが俺に対し不信感を持つのは非常にまずい。俺に非協力的な態度を取る分にはまだいいが、最悪俺の計画を討伐隊へばらしてしまいかねないからだ。そうなる前にジャックを考え直させるか、もしくは村へ送り返すかしなければならないが、送り返すにはそれなりの理由が必要が無ければ討伐隊には不審に思われる可能性がある。怪我とかさせれば自然に見えるだろうが、さすがにそれは踏み越えてはいけない領域だ。だから必然と、俺がジャックを説得するしかなくなってくる。出来なければ後は脅迫だ。どうせ力関係は俺の方が上だから、少々強めに言ってやれば余計な事は言わなくなるはずである。
「俺はな、お前に何かしろって言ってる訳じゃないんだ。ただ、俺の邪魔だけはするなよ」
「そういうつもりで言ってるんじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「僕はベルが心配なんだ。大人達は鬼がどういうものか知ってるけど、僕達は全く知らないじゃないか。それなのにベルは、確証も無しに言ってるよね。この魔法の力なら鬼なんか絶対倒せるって。僕はもしもそれが考え違いだったら、って心配してるんだよ」
「たとえそうだとしても、俺が失敗すれば討伐隊が倒してくれるだろうし、お前が何か損でもするのかよ」
「損得の問題じゃないって。どうしてベルはそういう言い方するんだよ。僕はただ、取り返しのつかない事にならないかって心配してるだけじゃないか」
「余計なお世話だ」
 大概、ジャックの心配性も面倒な事この上ない。成功の可能性に挑戦する事は勇気、失敗の可能性を無視する事は無謀、その程度の分別くらい俺は持っている。そして、今回の場合は明らかに前者だ。放っておけば討伐隊に取られてしまうだろうが、勇気を持って一人挑めば俺にも鬼を倒すチャンスが訪れるのだ。極端な言い方をすれば、そういうチャンスを目の前にしても逃げ出す奴はただの馬鹿である。それが肉親の仇ともなれば尚更だ。
「とにかく、俺の邪魔だけはするな。お前はただ黙っていればそれでいい。手伝えとは言わない」
「でも」
「ジャック。お前は俺の邪魔をする気なのか? 俺の祖父さんがどうやって死んだのか、それを知ってる上で邪魔しようって言うのなら、幾らお前でも俺は容赦しないからな」
 自分でもきつい物言いだと良心が痛んだが、こうでもしなければジャックは収まらない。だから俺はジャックに念入りに釘を刺す意味でも、出来る限り威圧的に有無を言わさず言い放ち、真っ向からジャックを睨み付けた。思わぬ俺の威圧に驚いたのか、ジャックは大きく目を見開いて喉を鳴らし息を飲んだ。やがて俺が本気だと理解したのか、恐る恐るぎこちない会釈を返した。どう判断したのかは分からないが、少なくとも俺の邪魔をしようという意図は無くなったようである。
 こういうやり方はむしろ悪者の方がするもので俺がするべきものではないのだが、場合が場合だけにしかたないと割り切るしかない。ジャックにも悪気は無いんだろうが、今回ばかりはこうでもしなければどうしようもないのだ。誰と限らず、非常に難しい問題である。
 その後、食事を終えた俺達は気まずさから特に会話も無く過ごしていた。俺は自分の野太刀の手入れをしてはみたが、そもそも最近はまともに仕事をしていないため刃が減るはずもなく、ほとんど手入れなど無意味に近い。この気まずさのあまり、初めからジャックなんて連れてくるんじゃなかったと後悔すらしてしまった。過ぎたことでの繰り事は自分らしくないし、そんな英雄譚も聞いた事が無い。とにかく今はただじっと黙ってやり過ごそう。そして、もしもジャックから何か言って来た時は広い心で寛大に受け止めてやるのだ。
「君達」
 しばらくした後。急に背後から声をかけられ振り向くと、そこにはこちらへ向かってくる隊長の姿があった。その後ろでは他の隊員達が何やら作業をしている所を見ると、どうやら会議は終わったようである。
「明朝、日の出と共に出発する。君達も早く休み給え」
「分かりました。あの、ところで何と呼んだらいいんでしょうか? まだ名前も聞いてないんですが」
「私の名前はガーラントだ」
 素っ気無くそう言い残し、隊長はさっさと自分のテントへと戻って行った。
 相変わらず嫌な感じの奴だ。そんな隊長の背中を眺めながら俺は小さく溜息をついた。