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 日の出に合わせ出発した俺達と討伐隊の面々。本日はいよいよ山への突入となる。
 隊列は俺が一番先頭を案内役として歩き、ジャックは誰もはぐれないように最後尾での注意役を務める。そして俺のすぐ後ろには討伐隊の隊長、ガーラントが相変わらずの無表情でついてくる。まるで逃亡中の殺人犯に後を付けられているような居心地の悪い気分だ。その居心地の悪さを紛らわすかのように、俺はただひたすら黙々と歩いた。
 目指すは山の深部、そこは背の高い木が鬱蒼と生い茂り昼までも薄暗い不気味な場所だ。俺達もさすがにここだけは避けて狩をしている。如何にも危険そうな外観をしている事もあるのだが、この周囲だけは全く動物が近寄らないので狩にならないのだ。動物達はここが危険な場所であると本能的に察知しているのだと俺は思う。俺達もそこまでではないが、確かにこの周囲へ近づくと無性に込み上げてくる不気味さに肌が反応する。俺達にとってこの山は庭のように慣れ親しんだ場所であるが、この場所だけはずっと避け続けて来た。俺達が知っている範囲で鬼の棲処らしき場所はどこにもない。つまり鬼の棲処は、俺達が唯一知らないここを除いて他には無いという事になるのだ。
 夜が明けたばかりの山道は草木が夜露で濡れじっとりとした湿っぽくなっていた。狭い獣道を歩くため服が濡れるのは避けられず、歩けば歩くほど上着に斑の染みが浮かんでいった。山にはいつも日中にしか来ていなかっただけに、朝方はこんなにじめじめしているなんて今日初めて知った。しかしそれ以上にこの空気の清々しさが随分心地良い。鬼を討伐したら山も安全になる訳だから、何日か泊り込んで大物を狙う狩をするのも面白いかもしれない。
 考えてみれば、あの日から山へ行く事は硬く禁止されていたため、山へやって来るのは随分と久しぶりである。歩き慣れた山道を忘れてしまうような事はないのだが、風景はこの何日かの間に随分様変わりでもしたか意外な新鮮さを感じてしまった。思ったよりも山そのものの視覚的な部分は忘れてしまうもののようである。もしくは知らない時間帯の光景が見慣れないだけか。
「今、全体でどれぐらいだ?」
「大体半分です。この調子なら予定通りに着きますよ」
 目的地であるその場所はかなりの奥地になるため、俺達のようによほど歩き慣れていなければ帰ってくることは非常に難しい。要はそのための案内役が俺達で、それ以外の捜索や実際の戦闘などは初めから討伐隊だけで行うことになっている。今日の予定は、その鬼がいるらしい地点まで討伐隊を案内する事だ。とすると、今夜もう一晩山で過ごし、明日になったらいよいよ討伐にむけて活動が本格化するといった所だろう。ただ、あの場所はあまりに草木が鬱蒼と入り組んでいるため、場合によってはある程度の調査期間が必要になるかもしれない。だから鬼との対決は多少気長に考えておいた方が良さそうだが、しかしそうなると俺達がいつまでもべったりと討伐隊にくっついている理由も薄れてくる。その辺りは何かうまい立ち回りを考えなければならなさそうだ。
 目的地に到着したのは、予定通り日が西へ傾きかけた夕方だった。夜の山というものは方向感覚が狂うため道に迷いやすく非常に危険だ。かと言って、これだけの大所帯で山道に野宿するのも野生動物に襲われてしまう危険性もある。そういった意味でも、予定通りに事が進むのは単純でも非常に重要な事である。
 到着するなり、討伐隊の面々は早速宿営地の準備に取り掛かった。俺達は邪魔にならぬよう少し離れて準備が終わるのを待った。
 ふと、自分がこんな所に来てしまっている事を思い出したかのように実感し、間近にそびえるそれを真っ向から目の当たりにした。
 それにしても、なんて不気味な所なのだろうか。
 目の前にそびえ立つのは、思わず見上げてもまるで天井が見えないほどの巨大な樹木、それらが何本も不規則に絡まり合いながら一つのコミュニティを象っている異様な自然形態だ。樹木にもそれぞれ無数の蔦が巻きつき花や葉を茂らせている。僅かに樹木と樹木の間がトンネルのようにぽっかりと空いている空間があるのだが、それを思わず鬼の口のようだと連想してしまった。
 不意に討伐隊の隊長であるガーラントが俺達の元へやってきた。
「君達はここまででいい。これから先は我々の仕事だ」
「え、戻ってもいいって事ですか?」
「ああ、そうだ。これまで御苦労だった」
 まずい、まさかこんなに早く来るとは。
 ここまで来れば俺達は要らないものと考えるのでは、と予想はしていた。しかしそれはもう少し後になってから来るのではないかと楽観していたのだが、どうやら討伐隊の方はもっとシビアな感覚であるらしい。けれど、この程度の事態も既に想定済みだ。俺はただ慌てずに、こういったケースを想定し考えた言葉を頭の中へ読み出す。
「いえ、まだ戻れませんよ。鬼は夜行性だから、主な行動はむしろ今からです。今ぐらいからこの山は危険になります。だから自分達は普段、極力この時間には山を降りていました。今日は今からではとても日没前には間に合いません。それに討伐が終わってからの迎えだって必要になるし、第一この山について詳しい人間が居ないというのは危険です。山を楽観すると必ず痛い目を見ますよ。山菜に野生動物、寒暖差と危険な要素は幾らでもあるんですよ」
 だから俺達をここへ残せ。むしろそう言ってやりたかったが、さすがにそこまで来ると怪しまれるかもしれない。だから極力直接的な言葉は避け、暗に言い含めるような嫌らしい言い方をした。相手の取り方によっては、素人がどうこうという非常に見下した言い方に聞こえたかもしれない。しかし事実は事実なのだから、それを素直に受け入れられないのは人間性の低い証拠である。そして、そういう小物には人を束ねる事は出来ない、とそこまで踏んだ上での言及だ。
「有識者の意見だからら確かに一理ある。しかし、かと言って即断は出来ない。自分は独断よりも総意で判断しなければならない立場だ。ひとまず、今夜は朝まで居ても構わない。続きはまた明日にしよう。それと分かっているだろうがこれまで以上に我々の指示には必ず従ってもらう」
「はい、それは大丈夫です」
 それならばいい、とガーラントは気取った風に踵を返して宿営地の方へ戻っていった。
 相変わらず押し付けがましい嫌味な奴だ、とは思ったが、ひとまず今日中に追い出される事は無くなっただけでもよしとするべきだろう。別に俺達だけでの野宿も構わないのだが、それはそれで実際に身の危険が押し迫った時に余計立場が悪くなるだけだから、あまり労力を必要とする事に意地は張るべきではない。