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 慣れない場所で寝ているかもしれない。
 俺はどちらかと寝起きの良い方ではなく、いつも決まった時間に起きる事が出来なかった。今日は寝苦しい姿勢で寝てしまったせいか、目が覚めたのは夜が明ける直前だった。昨夜はまた同じテントの中で寝泊りした。毛布一枚で寝たおかげで、ちょっと体を動かしただけでばきばきと鳴るほど凝り固まってしまっている。上体を起こし首をすくめるように肩を伸ばすと炙った竹が弾けるような小気味良い音が鳴った。喉が渇いたので水筒の水を口にすると随分ひんやりしていて冷たかった。夜露で濡れたせいもあるが、そこまで気温が下がっていたのは意外である。
 喉が潤うと急に目が冴えてきた。もう夜明けまで幾分も時間は無いし、何より腹が減った。とても寝直す気分にはなれない。何か食べるものでも探そう。思い立った俺はジャックを起こそうと隣を向いて声をかけた。しかし、
「おいジャッ……あれ?」
 そこには毛布が一枚丁寧に畳まれているだけだった。
 ジャックがいない。
 咄嗟に毛布に触れてみると温かさはまったく無かった。どうやら随分前にテントを出てしまったようである。
 まさか逃げてしまったのだろうか?
 慌ててテント内を見回すが、ジャックの弓矢はそこに置かれたままだった。もし逃げ出すならば、臆病なジャックの事だから丸腰でこの山は到底歩けない。荷物が残っているという事はまだこの宿営地にいるという事になる。
「どこ行ったんだよ、まったく」
 深い溜息をつき、俺はもう一口水を含み水筒を置くと、すぐに靴を履いてテントを後にした。
 勝手な事をしやがって、どこに行ったんだジャックの奴は。そう悪態の一つもつきたかったものの、あれだけ寝苦しいだのと文句を言っていた自分が、ジャックが丁寧に毛布を畳んでテントを出た事に気付かないほどぐっすり眠っていた事を思うと一方的に非難する自分も案外ふてぶてしい。
 宿営地は中心に大きな松明が灯され、その周囲を取り囲むようにテントが点在、そして境界線に一定の間隔で篝火が置かれている。まだ日は昇っていないものの、周囲はぼんやりと橙色に照らされて歩けるぐらいに足元は困らなかった。ほとんどの隊員はテントの中で休んでいるようだが、やはり数人は松明の回りなどで不測の事態に備え見張りをしている。テントから出てきた俺にもすぐさま視線が突き刺さってきたが、あまり注意する必要も無いと判断したらしくすぐに視線が外された。こちらもそう放っておいてくれる方が楽でいい。
 さて、ジャックの奴はどこに行ったんだろうか。
 ジャックの性格を考えると、少しでも危険な場所には絶対に踏み入らないはずだ。だから人気の多い場所か、もしくは周囲の様子がはっきりと分かる見通しの良い場所だ。だからここからほとんど離れられないだろうから、少し回ればじきに見つかるだろう。
 あまり松明から離れない範囲できょろきょろと辺りを見回しながら徘徊をしてみる。途中、何度か見張り中の隊員と擦れ違ったが、一言二言宿営地の外へ出ないよう言われるだけだった。ジャックの事をついでに聞いてみたものの、誰も知っている者はいなかった。どうやらジャックは今の見張りが交代するよりも前に出てしまったようである。
 やがて、ほぼ宿営地と外との境界線、篝火がぽつりと立つその脇に腰を下ろして膝を抱えるジャックの姿をようやく見つけた。ジャックにしては随分と不安感を煽りそうな場所にいたものだと意外に思う。先に見えるのは何の変哲も無い藪だし、背中には松明の明かりすら届いていないというのに。そこまで何か思う所でもあったのだろうか。
 そういえば、今ジャックとは少しぎくしゃくしている。それは俺が昨日ジャックに、俺の邪魔をするならお前でも容赦しないからな、と威圧的な態度を取ったせいだ。ジャックはそういう細かい事を後々までもずっと気にするようなタイプの人間だ。これ以上続けても意味は無いから、いっそここで綺麗に和解しておこう。こっちの非は認めないにしても、言い方では十分なフォローは利くし頭が冷えるぐらいの時間も経っている。
「よう、ジャック。何やってんだよ、こんな所で」
 出来る限り普段の調子で軽めに声をかける。
「あ、ベル。おはよう。うん……ちょっとさ」
 振り向いたジャックはあまり良くない顔色で俯き加減に答えた。篝火しかないのではっきりとは見えないが、目も薄っすら充血しているような気がする。
「もしかしてずっと寝てないのか?」
「ちょっと寝られなくてね、うん……」
 ふうん、と何気ない振りの返事を返しながらジャックの隣へ並んで腰を下ろす。よく考えてみれば、普段でもこういう風に並んで座るような事をした事は無かった。ここに気付かれてしまうとこちらの思惑を見透かされてしまうのではないだろうか、と不安に駆られたが、ジャックにはあまり意識した様子が無かったので、どうやら気にはなっていないようである。
「で、何よ? 何かあったのか? 寝れないほど不安な事でもさ」
「実はね、まだベルには話した事が無かったんだけど。うちの家系ってさ、こういうの予知っていうのかな? そういう虫の知らせみたいなのを持ってるんだ。具体的に何が分かるとかは漠然としてるんだけど」
「それで、何か嫌な事でも起こるって思うのか?」
「多分、もしかすると。思い過ごしの時もあるから自信無いんだけど。ただ、凄く嫌な感じがするんだ」
 虫の知らせ、ねえ……。
 俗にたまたまそういう時に限って直感が鋭く働いた事をそう呼ぶのだが。ジャックの場合、小心者の性格が代々受け継がれてきていて、過剰な心配を胸騒ぎと勘違いしているだけだろう。実際、この世の中に予知なんて都合のいいものは存在しない。それは長年の経験から似たような状況に遭遇した時に先の展開を予測したか、たまたま当てずっぽうがその通りになっただけだ。
 けれど、ここでジャックの主張を否定するのは簡単だが、それはジャックの態度を硬化させかねない。だからここはある程度の理解を示し受け入れる度量を見せるべきである。
「まあ、そう心配すんなって。危険だと分かっているなら、その分注意していれば良いだけの話なんだから」
「そうだね、何事も用心するに越した事はないもんね。でもさ、もう一つ気になってることがあるんだ」
「何だ?」
「なんか今更って思うんだけどさ。どうして鬼は夜しか活動しないんだろうって。夜行性の鬼なんて聞いた事ないよ。なのに村を昼間襲うし……。昔の鬼は昼間襲ってきたり夜に襲ってきたりでどっちがどっちか分からないよ」
「鬼の考える事なんか俺だって分かんねえよ。まあきっと、腹でも空いたんじゃないのか? 腹が空きゃ昼も夜も無い、けだものはそういうもんだ。で、そのけだものを俺がズバッと倒してやるからな」
「うん、頑張ろうね」
 やや表情を緩めて放ったジャックの言葉、それは明らかに俺に対する共感の感情だった。
 思わぬジャックの反応に俺はいささか驚きを隠せなかった。ジャックは心配性が故に、俺が鬼と戦おうとするなんて危険だから反対したいと思っていたはずだ。それがこう共感の意思を示したという事は、きっと俺が祖父さんの仇を討ちたいという気持ちを理解してくれたに違いない。