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 朝食、作戦会議と順に終わり、いよいよ出発となった。鬼の討伐に向けて、俺達も未だ踏み入った事の無い奥の森の中へ突入するのである。
 会議の結果、やはり山道に慣れた人間は必要という事で俺達も同行する事になった。臆病なジャックはどう思ったかは知らないが、俺にしてみれば願ったり叶ったりである。わざわざ鬼の棲処まで御供してもらうようなものだ。
 宿営地には番を二人残し、早速俺達はガーラント隊長の指揮の下、鬱蒼と生い茂る森の中へと入っていった。
 村を出て三日目、隊員達の緊張感が遂に頂点まで達したように感じる。やはり鬼の棲処が間近に迫ってくるともなると緊張の一つもするものだろう。俺は生まれつき緊張とはあまり縁が無い性格だけれど、こうも周りが揃いも揃って緊張していると自分にも感染してしまいそうである。緊張するのは鬼と戦っても無事でいられるかどうか自信がないからだ。当然、勝算のある俺には緊張する理由などない。
 こんな所があったのか……。
 森の中を茂みを掻き分けながらどんどん奥へと進んでいく。歩き慣れたはずのこの山でも目に飛び込んで来る風景は初見のものばかりで、思わず首を回し眺めずにはいられなかった。まだ午前中だと言うのに夕方のように薄暗いのは森へ入る前から予想はしていたが、こうしていざ目の当たりにしてみると時間の間隔を狂わせる何とも異質な空間に思える。しかも、腰ほども高さのある茂みが生い茂っているのだから、足元の状況なんてほとんど分からずどうにか歩けている事が不思議にすら思う。その一方で、物珍しい光景を目の当たりにしてはいるものの、不思議と浮ついた気持ちは込み上げて来なかった。俺自身、祖父さんの仇を討つためという強い決意を決めて来ているからなのだろう。それこそがまさに緊張という事ではないのだろうか、と思ったが、気を引き締める事と緊張する事は根本的に異なるんだと思い直し、どうでもいい考えは頭から捨て去る。
 行けども行けども、見えて来るのは鬱蒼と生い茂った草木と、時折木々の間から雨漏りのように差し込んで来る光の帯だけである。その光景にもやがては飽き、少しずつだが鬼の棲処を見つけられない事への苛立ちへ変わっていった。元々、ここは未開の地なのだから十分な調査も必要だろうが、同じことの繰り返しは俺の性には合わない。
 ここには確かに鬼がいる。
 そういう直感が俺にはあった。具体的な根拠がある訳じゃないが、外とは違って明らかに空気の張り方がおかしいし、これだけ自然が生い茂っているというのに、まるで生き物の気配が感じられないのはあまりに不自然である。どう考えても、動物達が本能的にここを避けているからとしか思えないのだ。更に、俺には動物ほど敏感に危険を察知する能力は無いが、代わりに猟師としての勘とでも言おうか生き物の気配のようなものを薄っすらと感じ取る事が出来るのだ。漠然とだが、この森には何か得体の知れないものが確実に存在しているのが感じ取れる。その気配を意識すればするほど、俺の気持ちは落ち着き無く逸り出してならなかった。
 感覚の時間で昼を過ぎた頃だろうか、少しずつ周囲に疲れの色が見え始めてきた。ただでさえ緊張もしっ放しで歩き詰め、連日に続く行進にベッドもない宿営地での寝泊りで体にも疲労が蓄積しているはずだ。胸当ても随分と煩わしそうである。
「そろそろ休憩にしましょう」
 そんな隊員の状況を見かね、ガーラントが休憩を提案した。しかし、休憩と言っても各自好き勝手な姿勢を取ってお茶を飲むなんて寛げるようなものではなく、ただ今の姿勢のまま歩くのをやめてその場に屈み込むだけである。そんな休憩なんてあるものか、と文句の一つも言いたくはなるが、周囲の状況があまりに不透明な以上はこうするのが最も賢明なのかもしれない。好き勝手に行動し、万が一にでも鬼と出くわしてしまったら、体勢も整っていないのに交戦する事になってしまう。俺はともかく、討伐隊にとってそういう状況は最も避けたいだろう。
 ふと、俺の前に腰を下ろしているガーラントが急にこちらを振り向いた。
「どうです? 鬼の居場所は見当がつきましたか?」
「いや、ほとんど。ここに来たのが初めてだからという事もあるけど、これほど草木が生い茂ってると、逆に普段何処をどう歩いているかとか調べられないんだ。逆に言うと、その痕跡さえ見つかればすぐにでも辿り着けるけど」
 すぐに、というのは大げさだが、少なくとも足跡のような露骨なものでなくとも、木を擦った傷や草の折れ具合、抜けた体毛といった一般人なら見落としてしまうような痕跡でも行動は予測出来る。動物の習性を現状に当てはめるのではなく、ただ得られた情報を元に行動を推理するのである。だから動物だろうと鬼だろうと関係は無く、人間の場合でも全く同じ事だ。
「そうですか。いずれにせよ、あなた方は日暮れ前には宿営地に戻って貰いますので」
「どうして? 別に案内を続けられないにしても同行に問題はないんだけど」
「鬼の討伐は我々の仕事です。それを民間人、しかも子供を巻き込む訳にはいきませんから」
 また子供扱いか。
 この期に及んで、という苛立ちもある。はっきり言ってしまえば、俺は自分の方がこの討伐隊よりも強いつもりである。根拠は、俺の持つ魔法の力だ。この力は正しい事にしか使わないつもりだが、もしもこの魔法を人間相手に使ったとしたら、あっけなくその人生を終わらせてやれるだろう。たとえどれだけ武装していても意味は無い。一対一での戦いならば、まず間違いなく俺の方が勝つのだ。
 本当に討伐隊に鬼が倒せるのだろうか。そもそも討伐隊とは、鬼の討伐のために編成された急造のチームだ。鬼の専門家どころか、下手をすれば本物の鬼を見た事が無いかもしれない。
 そういう疑いから、まだ漬け入る余地はあると踏んだ俺は揺さぶりをかけてみる事にした。
「正直、山を甘く見てると思いますけどね。迷っても知りませんよ。この森だって、本当に真っ直ぐ戻れるかどうか怪しいのに」
「だから目印は残させています。それを追えば問題ないでしょう」
「目印がいつまでもそのまま残っていればいいですけどね。雨だって降るし風だって吹く、場合によっては他の動物が動かすかもしれない。今は昼間だからいいけど、夜になったら果たして追えるのかどうかも分からない。それでも本当に大丈夫なんですか?」
「専門の意見、参考になります。そういったケースも今後は考慮しましょうか」
 相変わらず憮然とした態度、そして上から見下ろすような物言いで答えるガーラント。正直、そこまで開き直れるのは頭がどうかしているか、決定的に考える力の一部が普通よりも弱いとしか思えない。参考にする程度だったら本があればそれで事足りる。でもそれが無理だから、俺達が案内役として同行しているというのに。何故、それが考えられないのか。他の討伐隊の面々もそうだ。こういう人間に従う事に何の疑問も抱かないのだろうか。
 果たして、この程度の連中に任せて良いものか。いや、出来る出来ないはともかく、初めから任せる気など更々ないのだが。少なくとも俺は討伐隊より自分が劣ってはいないと考えている。だから、どうせ倒せないなら俺に任せればいいのだと、そう都合のいい愚痴を心の中で吐いた。