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 朝。
 目が覚めると辺りはやはり薄暗いままで、一瞬早く目を覚ましてしまったのかと勘違いしてしまいそうになった。しかし、俺は元々時計など無くとも大体の時間は体の感覚で分かる。普段から特に意識しなくとも夜明けには目が覚める習慣が体に染み付いていて、寝る前に大体このぐらいに起きたいと意識するとその時間に目が覚めるのだ。
 まずは首をすくめて伸ばし、肩を使って目一杯背骨を上へ引っ張った。ぱきぱきと小気味良い音が骨を伝って聞こえてくる。昨夜は木の根元に寄りかかって眠ったのだが、思ったよりも体のこりが辛くない。むしろ快眠に近い目覚めである。やはり睡眠は寝具よりも環境に左右されるようである。これまでは何となく討伐隊の人間に気を使う感じがあったが、今は俺達だけだから思うように振舞える。
「おい、ジャック。起きろ、朝だぞ」
 立ち上がりもう一度全身で伸びをしながら、向かいの木で同じように眠るジャックに声をかける。ジャックは小うるさそうに眉を潜めると、首を何度か回しながら唸りもぞもぞと未練がましく動き始めた。
 ジャックは俺とは反対に非常に寝起きが良くない。そして見ての通り神経質の心配性で何かと周囲を気にしたがるから、ちょっとした事でも熟睡が出来なくなる。大方、昨夜もあまりぐっすりは眠れなかっただろう。
「おはよう。なんかあんまり良く寝られなかったよ」
「だろうな。見て分かる」
「よく寝られるよね、こんな環境で。僕はちょっと寝たら虎に襲われる夢を見て目が覚めたよ」
「なんだよ、それ。この山に虎なんて棲んでねえよ」
「分かってるよそんなの。でも夢見てる時は分からないんだよ」
 寝ぼけ眼のジャックを相手にしながら、干し肉と干し芋だけの朝食を取る。さすがに朝は肌寒く、せめて温かいお茶を飲みたかったが流石に潜伏中の身の上であるから迂闊に火を焚く事は出来ない。今はそれよりもずっと大切な目的があるからと諦める。
「ねえ、ベル。今日はどうするの? 一応作戦はあるんでしょう」
「ああん? そうだな……」
 要は討伐隊よりも先に鬼を退治出来ればいいのだが、今思えば後の事も考えておかないと大変な事になりそうだと気が付いた。どちらにしても鬼は倒せたのだから結果的には村人にしてみれば問題は無いのだろうが、討伐隊を派遣した領主にしてみればただ事ではないだろう。わざわざ特別編成した討伐隊が先を越されたという事は、領主の面子に泥を塗るような事にもなる。子供にしてみればどうでもいいことでも、大人の世界ではこの面子が非常に大事なのだ。面子を保つため、もしかすると俺は捕まって処罰を受けるかもしれない。幾らなんでもそういうのはさすがに御免である。勇者が官憲に捕まるなんて、よほどの悪政を働いているような国でもない限りは歴史上の汚点でしかないのだ。
 大人の面子を保ちつつ、俺が先に鬼を倒す。この二つを両立させるには一つしかない。それは、明らかな不可抗力で俺が戦わざるを得ない状況を作り出す方法だ。多少無理が出てしまうだろうが、角が立たないようにするにはそうするしかない。勇者は自分が背負い込むものではない、全てを丸く治めるものだ。
「まずは討伐隊の様子を観察する事だな。まあ、どうせちまちまと周辺を探索するだけだろうから、さほど気にする必要も無いだろ。で、その間に俺達は鬼の棲処を見つけ出す。どうせ山を歩き慣れた俺達の方が先に見つけられるに決まってるからな。でも今日は、もし見つけたとしてもそこまでだ。何もしないで置いておく」
「どうして? 先に倒さなくちゃいけないのに」
「あくまで、鬼の棲処は討伐隊に見つけさせないと、後々面倒になるからだ。俺達は本来、道案内以上の事をしちゃいけない立場なんだ。だから、幾ら鬼の棲処を見つけたからって俺達だけで鬼退治しても、どうしてここにいるだとかどうやって倒しただとか面倒臭い事になる。どうせ明日にはまた討伐隊の所へ行くんだ。その時にでもさりげなくアドバイスする振りをしてやればいい」
「アドバイスして、それからどうするの? 僕らはまた戻されるだろうし、討伐隊は早速鬼の棲処に向かうだろうけど」
「こっそりと後を着けながら、俺達も鬼の棲処に行く。それからの事は、まずは鬼の棲処を見つけてからだな。どういう場所に棲んでいるのかによって作戦も変わってくるしな。まあやる事は大体一緒だ。鬼を相手に苦戦している所に助けに入り、俺が仕留める。何にしても鬼もかなり消耗しているだろうし、こっちの予想以上に強くてもまあ倒せるだろ」
「要するに、討伐隊を使ってうまく鬼を疲れさせて、後のおいしい所は横から戴くっていう寸法?」
「その言い方には語弊があるな。俺はあくまで不測の状況に応じて戦うだけだ」
「初めから仕向けてちゃ、不測も何も無いと思うけど」
「反論は結構だが、それは俺の邪魔をするっていう事か? 他に対案があるなら別だが」
 そう一睨みすると、たちまちジャックは顔を俯けて押し黙ってしまった。
 まあ、何もジャックには悪意があった訳じゃない。ただ本当にうまくいくかどうか、そういう不安があるから口がつい軽くなってしまっただけである。元々ジャックは心配性だから、一時的な精神の不安定も致し方ないだろう。俺にも配慮が必要だ。この状況で心配性に不安を抱かせないのは難しいが、行動が裏目に出ぬよう操縦する事は出来るはずだ。リーダーの素質が問われる所である。
「とにかく。お前もさ、もしこれ以上ついていけないなら、一人で帰ってもいいぞ。別に俺は無理強いはしないし、後からやっぱり来るんじゃなかったって後悔されても困るからな」
 しかしジャックは曖昧に頷き、俯けたままの視線をこちらへ戻して来ない。
 それでも俺は、ジャックは必ず着いてくると確信していた。ジャックは俺を一人で行かせたりはしない。何故なら、俺を一人にすると必ず取り返しがつかない事になると、心配しているからである。俺自身、一人よりも二人の方がより確実性が増すので、それはそれで安心ではあるが、こういうジャックの善意に付け入るのもいささか胸が痛む。
 そして、おもむろにジャックは顔を上げて、
「なんかさ、ベルっていっつもさ、俺は勇者になるとか言ってるよね。でもその割に、行動が時々せこいんだけど」
「るっせ、ベルって呼ぶな」