BACK

 進む時は何十分何時間にも思えたのに、戻る時は本当にあっと言う間の出来事だった。
 暗闇をただひたすら出口に向かって走り続ける俺だったが、やがて多少自分の置かれた状況を鑑みる余裕が出来て来ると、今度は果たして自分は本当に正しい方向へ向かっていたのかという不安が出て来た。咄嗟に感情的に走ったため、何をどうやってここまで来たかはほとんど覚えていない。それだけに、本当にきっかり進んで来た道を逆走したのか自信が持てないのである。かといって、一旦立ち止まり周囲を調べるほどの余裕まである訳でもなく、出入り口へたどり着くことを信じながら進むだけだった。
 足元も周囲も見えない暗闇を走るのは、本当に不安の連続だった。どっちが右か左なのかも分からず、時には本当に前後左右が無くなって真っ暗な水の中へ落とされたような気持ちにさせられるのだ。そしてもう一つ、自分が進んでいるのかどうか、もし進んでいるならばどれぐらいの速さなのかが分からない事も怖かった。鬼はもしかすると追いかけて来るかもしれないから、少しでも速く遠くへ逃げたいのだが真っ暗ではどのぐらいなのかは分からないのだ。速さとは相対的にしか実感が難しい。だから、何も見えない所では自分の速さを知るにしても比べる景色がないのだ。
 そんな絶望的な状況だったせいか、不意に前方にぽつりと小さな明かりが見え、同時にそこから風が入り込んで来るのを感じ取ると、どっと安堵の情念と疲労感が汗と一緒に込み上げて来た。急に足腰からは力が抜けて失速し、出入り口へたどり着く頃にはよたよたと今にも転んでしまいそうな勢いだった。
「ベ、ベル! 大丈夫!?」
 そんな俺を支えるためにジャックが慌てて飛び出して来た。どうやらちゃんとここで待っていたようである。
「ようジャック、お前入らなくて正解だったぜ」
「うん、だろうね……」
 こんなふらふらになった俺の姿を見て、ジャックは苦笑いを口元へ浮かべ頷いた。
「とにかく向こうに。一旦休もう」
 ジャックに連れられたのは、さっき夕食を食べた場所よりも若干離れた場所だった。回りの茂みも高い事から、おそらくこの場所を討伐隊が気づいたかもしれないと判断したのだろう。
 病人さながらに木の根元へ座らされ、水筒の水を二口ゆっくりと飲んだ。それからしばし呆然としながら木枝を見つめ、混乱する頭の中を少しずつ整理していった。
「うわ……本気でやばかった」
「もしかしてさ、いたの? 鬼」
「多分な。ああ、やっぱり外は明るいよな。それだけでホッとする」
「もう夜だし十分暗いけど」
「中はもっと暗かったんだよ。本当に何も見えなくてさ。ホント、俺よく戻れたよな……」
 ぐったりと項垂れながら脱力感に満ちた溜め息を漏らす。正直な所、とても生きた心地がしなかった。こうやってここに戻れた事を奇跡にすら思う。それほどまでに、俺は味わったこの事態に強く打ちのめされていた。
 よほど俺の落胆振りが目に余るのか、ジャックは酷く不安そうに俺を気遣う。まさかあの強気なベルシュタインがここまで落ち込む事があるとは思っても見なかったのだろう。そういった意味でもジャックもまた受けるショックが大きい。
「よし、やっと落ち着いて来た。とりあえず中で起こった事を話そう」
 そして、俺は横穴の中で味わった一連の出来事を詳しくジャックに話し始めた。真っ暗で足元も見えないような所を壁伝いに進んで行った事、途中で距離や時間の感覚が分からなくなって不安になり引き返した事。そして暗闇の中で聞いたこの世のものとは思えない凄まじい咆哮の事。
 ジャックも最後の咆哮だけは聞いていたそうである。洞窟の外であるためさすがに驚くような巨大なものではなかったが、少なくとも異常に遠い所から響いてきている事を考えても、とんでもない大きさである事は容易に想像がつくし、それで俺の身の安否が心配になったそうだ。
「これで間違い無いな。あの横穴、間違いなく住んでるぞ。鬼が」
「だね。絶対間違いないよ。でも、これからどうするの? 討伐隊にここの事を教えるってのは良いけど」
「なあに、どうやって見つけたかなんて幾らでもでっち上げれば済む事だ。たとえば道に迷ったとか言ってな」
「僕達が道に迷ったって言うのは、さすがにおかしいんじゃないかなあ。一応案内役な訳だし、ベルだって隊長さんには随分強言してたでしょう?」
「言われてみりゃそうだ。じゃあこういうのはどうだ? あっちの方角から不自然に鳥が飛んで行くのを見たとか」
「山のこと知らない人なら疑いもしないだろうけど……」
 なんにせよ、鬼の棲処はこれでほぼ完全に特定する事が出来た。これが一番の不確定要素なだけに、ここまでくればもう後はどうとでもなる状況だ。
 俺達の証言があれば、まず間違いなく討伐隊はここへ向かって来る事だろう。そしてこの不自然に開いた横穴を見れば、疑問に思うのは間違いない。後は連中を穴の中へ入り込ませ、鬼を引きずり出してこれれば良し、駄目なら駄目でも俺が中に入って鬼と戦う機会を作れば良いだけだ。
「一時はどうなるかと思ったけど、どうにかここまでやってこれたね」
「ああ。もう目の前だ」
「これでベルもお祖父さんの仇が取れる」
「それに、俺の人生もようやく第一歩を踏み出したって感じだな」
 腰に携えている野太刀を自分の前へ持って来て、その重さを改めて実感する。もう何度これを奮い祖父さんの仇を取る光景を想像したか分からない。だが、それももう間もなく現実のものとなる。そして、俺もまた特異な力を持った勇者として初めての脚光を浴びるのだ。
 何もかもうまく事が運んでいる。こういう時は決まって良くない事が起こると言う人間もいるが、あれは単なる油断はするなという意味の戒めでしかない。運が強く向いているという事は、俺は間違いなく正しい道を歩き始めたという事なのだ。それを実感すると、早くも自分があたかも英雄になったかのような気分になった。