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 これまでで一番気分の良く、けれど一番緊張もする道案内だ。目的の達成のため、順調に事が進んでいるのを実感しつつも、今少しでも疑いを持たれるような過失をしてしまったら全てが水の泡となってしまうからだ。
 午後になり、準備の整った討伐隊を引き連れて早速くだんの場所へ向かう事になった。討伐隊が駐留していた地点から、歩いておよそ半日といった所だろう。出発した時刻から考えると、丁度日が暮れ始めるくらいには到着出来る。それからの展開は、そこで朝を待って昼前に突撃といった感じだろう。後は俺自身がその後をつけて潜入する算段を立てればいい。とはいっても、既に大まかな方法は考えてある。うまくいけば、もっと確実な戦術という事で提案を受け入れられるかもしれない。
 生来の性格からか、ただじっと押し黙り続けるのは苦手だ。そういう自分の設定を作り、俺は出来るだけさりげなくガーラントへ話しかけた。
「あの、一つ提案があるんですけど」
「聞こうか。君の意見は興味深い」
「それはどうも。鬼を倒す時の事についてなんですけど、煙で燻り出すとかどうでしょう? 生木を燃やした時の煙は凄いですよ。洞窟みたいな狭い所だったら、まず間違いなく咳や涙が止まらなくなりますから」
「なるほど。それで、慌てて飛び出して来た所を奇襲するという訳ですか」
「そういう事です。こちらも予め煙の対策をしていれば、外に出てきても煙はそのまま煙幕の効果になるので有利に働くと思いますが」
「確かに単純とは言っても効果は高そうな戦術ですね。しかし、どうして鬼が洞窟に棲んでいると断定を? 今の説明した戦術は、それが絶対条件になりますが」
 思わぬ切り返しを受け、俺は思わず声に出して言葉を詰まらせそうになった。
 しまった、俺達はまだ目的の場所には行っていない事になっているのだった。それを、わざわざ洞窟と限定してこんな提案をすれば、そんな疑問を浮かべるのは当然の事である。
 とにかく、ここは慌てず無難な言葉を選んで切り抜けなければ。俺は一息小さく呼吸をして自らに落ち着くよう指示を送った。
「そうでしょうね。だから、もしもそうなっていたら、という仮定の話です」
「仮定ですか。では、そうである事を願いましょうか。もっとも、煙幕が効果を発揮するのは、小人数で大人数を相手にする時です。燻り出すのはともかく、同士討ちにもなりかねない奇襲は戴けない」
 そう微苦笑するガーラントの声も、もはや嘲笑にしか聞こえてこない。俺の作戦が素人同然の拙いものだから笑うのか、それともこんな提案をする俺の真意を見透かしているから笑うのか。まさか、たったこれだけの事で俺がこうも狼狽える姿を見ての事ではないとは思うが、少なくともガーラントは俺が知っている類いの大人とは、遥かに頭の回転数の違うキレ者であるのは確かなようだ。
 まさかガーラントは俺の嘘に気付いているのだろうか? もしもその上でこうして付き合っているのであれば、相当な度胸の持ち主である。いや、単に俺が酷く軽んじられているだけかもしれない。仮に俺の真意を知っていたとしても、だったら尚更こうしてついてくる事は絶対にしないはずだ。討伐隊の目的はあくまで領主の命令を遂行する事である。そこに、わざわざ不穏因子を招き入れるなんて酔狂な真似をするタイプとは思えない。
 急に口数を減らした自分に違和感を感じつつ、俺は討伐隊を連れひたすら目的の地点へと歩いて行った。
 程無く落ち着きを取り戻した思考で、今後の展開と行動について作戦を練り始めた。
 まず大切なのは、一切ガーラントには下手な提案をしない事だ。多分、ここへ案内する理由までが勘繰られない精一杯だろう。もしも俺達にはっきりと不信感を持たれてしまったら、強制的に村へ送り返されてしまうだけである。鬼の棲処らしきあの横穴にも、連れて行くよう交渉するなんて以っての外だ。
 やはり、こっそりと後をつけるのが一番無難だろうか。けれどその場合、たとえ鬼を倒した所で、どうしてついてきたのかと問いただされるだろう。そこで初めて真相を明かし、実は鬼は祖父の仇でどうしても自分の手で討ちたかった、と告白すれば許してもらえるだろうか。真面目な堅物ならば問題なさそうだが、ガーラントの人間性がはっきりと分からない以上は期待を持ち過ぎるのもどうかと思う。
 結局の所、俺が何を最優先するべきか、という取捨選択なのだろう。俺は後の事しか考えないから、きっとこうあれこれと思い悩むのだろう。端的に、鬼を倒すためなら何でもする、と腹を決めてしまえば何もかもが些細な問題になる。どうやら俺には覚悟が足りなかったようである。目的のためならば何でもするという覚悟が。
 やがて、橙色に燃え上がる太陽が西の空へと沈みかけた頃、俺達は目的の地点へ到着した。辺りは薄暗くほとんど視界がままならなかったが、辛うじてあの大きな地層の断面とそこに空いた横穴を確認する事が出来た。ガーラントはさてき、部隊の中にも半信半疑の者も少なくなかったようだが、この横穴を目の当たりにした事で随分と信憑性を高くしてくれたようである。
 そしてすぐさま野営の準備が始まった。とは言っても、火も起こせるような場所ではないため、各自が自分のスペースを確保するため薮を刈ったりして整えるといった程度のものである。確かにこんな生活を何日も続けていてあ、気が滅入ってくるのも仕方ないだろう。人は衣食住がある程度満たされていないと礼節を身につけられないらしいが、きっとその理由はストレスから来るものに違いない。
 俺達もまた同じように寝床のスペースを確保し、申し訳程度に形を整えた。一番注意したのは、寝易くするための型ではなくて横穴を見張り易い位置取りだった。今すぐ必要になる訳でもないのだが、見張り易いに越したことは無い。
 やがて周囲が作業も終わって落ち着き始めた頃、ガーラントが指示を送った。
「では、これより一時間の休憩とします。各自、食事を取って下さい」
 一時間、休憩? どうして一時間だ?
 明らかに今の指示はおかしいと思った俺は、すぐさまその疑問をガーラントへ投げかけた。
「休憩って、これから他にする事があるんですか?」
「あの横穴に潜入します」
 そう、さも何でもない事のように平然と答えるガーラント。しかし、俺にしてみればそんな事など寝耳に水である。
「でも、もう日は落ちて夜になってますよ」
「中に入れば暗いのは昼も夜も一緒でしょう」
「鬼は夜行性だから、夜の方が危険なのでは?」
「ならば、無防備になると思われる日中の方が警戒されて逆に危険だとも取れますね」
 こいつ、本気で中に入るつもりだ。
 予想外の展開に俺は思わずたじろいだ。まさか横穴に今夜潜入するとは思いもよらなかった。ここまで連れてきた理由には嘘も大分交えたが、横穴の奥に鬼がいるのは間違いなく事実である。もしもガーラントが俺の言葉を嘘だと思っているのなら、今夜慌てて潜入するのは非常に危険だ。逆に俺の言葉を信じているならば、単なる愚行としか言いようが無い。どうして今夜なのか、それでなくてはいけないのか、ガーラントが明確な説明もしないし俺達にそうする義務もないから確かめようも無く、ただ次に予想される展開を想像しながら作戦を練り直すしか残されていなかった。
「あなた達はここで待機していて下さい。帰りの道案内、よろしく頼みますよ」
 そう起伏の無い表情で語るガーラント。果たして彼が本当にキレ者なのかどうか、自分で判断した事なのだが分からなくなってきた。
 状況を本当に理解しているのか否か、まったく何を考えているか分からない。だからこそ、俺も今後はどう立ち回ればいいのか見えて来ず、代わりに状況に惰性で流される自分の姿を想像してしまった。