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「明かりの用意は?」
「完了しました」
「ワイヤーは?」
「問題ありません。入り口に起点打ち込みました」
「では、出発しましょう」
 日はとっぷりと暮れ、森の中は不気味な静寂と濃藍の闇に包まれる。茂みの影に反射的な不安感を覚えるそんな時刻、ガーラント率いる討伐隊は、あろう事か鬼の棲処とほぼ断定した巨大な横穴への潜入を開始した。あらかじめ洞窟の調査用に機材を揃えてはいたようだが、幾らなんでもあまりに無謀過ぎると思った。せめて一晩休み作戦をきっちりと立てた上で挑むべきである。
 実にあっさりとガーラント達は穴の中へ入って行ってしまった。もう少しためらいがあっても良さそうなものを、松明があるせいかあまりそういう危機意識は実感しないようである。
 一体ガーラントは何を考えているのだろうか。少なくとも俺が思いつくぐらいの事に気づけないはずはない。そこをあえて強行する理由があるのだろうが、一体それは何なのだろうか。そうまでもしなければならない事なんて、そうは無いと思うのだが。
 討伐隊は宿営地に三人ほど待機させ、俺達も居残り組だ。案外、この三人は俺らの見張り役の意味もあるのかもしれない。あからさまに疑ってはいないものの、俺が何か不測の事態を引き起こす要素になるかもしれない直感ぐらいはあるだろう。一応、民間人の子供だから危険な任務には関わらせたくは無いというのが最前提なのだろうが。
「なんか随分とバタバタしちゃってるね。大丈夫かなあ……」
「やっぱそう思うだろ? 何であんなに急いでんだろ。そりゃ早く任務達成するに越した事はないけどさ、そういうのはリスク計算を無視してまでする事でもないだろ」
 俺達は皆よりもやや離れた所に座り込み、だらだらと状況を眺めつつ次の行動に移るタイミングを見計らっていた。状況が状況だけに、何か新しい作戦を考えなくてはいけない。どうにかして俺も横穴の中に入りガーラントを追いたいのだが、不自然さを感じさせず、尚且つ確実に結果が得られる方法なんてとてもすぐには思いつかない。
「期日が決められてるんじゃない? いついつまでに必ず終わらせろっていう」
「やっぱそうなのかな。上司と現場とで温度差がどうとうかいう奴。結局、現地に使いッ走りさせられる方が立場弱いんだよな」
 あくまで全てが推論ではあるが、何だか無性にガーラントが哀れに思えてきた。幾ら仕事とはいえ、命のやり取りするような任務すらスケジュールで管理されているなんて、まるでゲームの駒のような扱いである。名も無き城の兵士などそういう扱い、話を進行するための傍役でしかないのはどんな物語でも同じことだが、現実でそういう構図を目にするのは少々複雑な心境である。
 さて。
 俺はちらりと待機している三名に視線を向けて様子を伺った。特にこちらを意識している訳ではなかったが、横穴の前に陣取っているためどうやってもやり過ごすのは無理そうである。どうしてわざわざそんな所に陣取るのかと疑問に思うものの、そもそもこの宿営地自体が小規模で簡素なものだから、若干藪や茂みの少ない所に集まるのは当然の行動だろう。
「なあ、ジャック。どうにかしてあいつらの注意を引き付けるとか出来ないか?」
「ちょっ、無茶なこと言わないでよ。出来る訳ないじゃないか、そんな事」
「だろうな。あーくそ、連中邪魔だなあ。何とかなんないかな」
「居眠りを始めたタイミングとかでこっそり行くしかないと思うよ。みんな疲れてるしさ、絶対するよ。朝方ぐらいにでもなれば」
「それだと遅過ぎるだろうが。もしかしたら、中ではもうとっくに鬼と遭遇してるかもしれないんだぞ」
 俺達が策を弄してどうこう出来る状況ではないと分かっていた。それでも、じっとしたまま待つだけという事は出来ないのだ。
 もはや残された選択はただ二つ、このまま成り行きに任せるか、後先を考えない行動に出るか、だ。当然だが、俺はこの選択に迷う理由はなかった。俺にとっての最優先事項は、鬼を倒して祖父さんの仇を取り、勇者としての名声の足掛かりを手に入れること。実際問題、詰まるところは結果論だ。結果さえ良ければ過程は軽視される。それも、結果が素晴らしければ素晴らしいほど、比例してだ。だから悩む必要はなかった。俺が最も気にしなければいけないのは、鬼を倒せたかどうかという実の部分だからである。
 ひとまず、ジャックをこういう事に巻き込むのも可哀想である。ここは一つ、強行突破といくことにしよう。力ずくになれば負けるのは俺だが、単純なスピード勝負なら絶対に勝つ自信がある。不意をついて横穴の中へ飛び込めば、後はひたすら走るだけだ。
 そうと決まれば、後は向こうの隙を窺うだけとなる。いや、それではいつまで経っても隙は生じない事もある。なら、どうにかして隙を生じさせる策を講ずれば良いだろう。何か仕掛けを用意して、茂みの奥に何か動物がいるかのような仕掛けを作ってみるのも悪くはない。
 俺は早速仕掛けを見繕うため、野太刀を手にしたまま立ち上がろうとした。だがその時、
「うわッ! 何だ!?」
 突然地面が一拍だが大きく揺れた。
 思わずハッと顔を上げて周囲を見回す。すると、更にもう一度、あの震動が途方もない単音と共に周囲を駆け巡った。骨芯に響くほどの強さでありながら単音、それは何か固いもので地面を打ち鳴らすとそうなるだろうが、この場にいる全員が一様に感じるほどの衝撃を俺はとても想像が出来なかった。
「ベ、ベル、これ……」
 恐る恐る目で問いかけるジャックに、俺は苦み走った顔でゆっくり頷いた。これは地震ではない。地震の揺れはもっと断続的で、徐々に強くなる。この震動はむしろ、何か強い力で地盤を打ち鳴らしたような震動だ。
 猪は興奮しストレスに晒されると、前足で地面を打ち慣らす習性がある。多分、何かあってもすぐ飛び出せるための準備という本能的なものだろう。これはそういう習性に近い拍だ。何かの生き物が普段とは違う状況に驚き、苛立ち、あるいは不安を覚えている。そんなサインのような。
「君達、これは一体何だ!?」
「分かりません。でも、絶対に危険な感じが……」
 討伐隊の面々が俄に焦りだし、携えている両手剣に手を沿えた。俺が漠然と言葉にした危険を、自分なりに現実的な範囲で具体化したのだろう。その認識はおそらく間違ってはいないと思う。きっと俺と同じ危険を想像しているはずだ。
「とにかくこっちへ来るんだ。我々の後ろに。おい、隊長はいつ戻って来るんだ?」
「分からない。なんとか連絡出来ないのか?」
 更に震動は拍幅を縮め、徐々にこちらへ向かって来る。それに伴って恐怖も膨れ上がり続け、その場の誰もが顔色から赤みを失っていった。討伐隊の面々は皆、恐怖に顔を強ばらせつつも、一人として気丈な表情を崩していないのはさすがだった。だがその目だけには、本当に自分達でどうにかなるのかという不安がはっきりと滲み出ている。これほどの怪物を相手にするとは想像していなかったか、もしくはこんな状況でそうせざるを得ない事が想定外だったか。少なくとも、安心して構えられるような余裕ある状況ではない事は確かだ。
「君達は隊長の元へ行け。明かりはないが、そのワイヤーを伝って行けば必ず合流出来る。ここは我々が」
「しかし、それでは」
「もう、選んでいる時間はない。早く」
 そして。
 さっきまで俺達がだべっていたすぐ側の茂みの奥から、ゆらりと巨大な黒い影が姿を現した。
 続く、耳が裂けるかと思うほどの巨大な砲声。それは、俺があの時横穴の中で聞いたそれとまったく同じものだった。