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「ジャック、ついて来てるな!?」
「う、うん、大丈夫!」
 まさか再びこの中を走る羽目になるとは。
 俺達は壁に打ち込まれたワイヤーを伝いながら、一心不乱に奥を目指し駆けた。一体何が起こって今はどうなっているのか、そんな事を気に留める暇もなかった。念頭にあるのは一刻も早く討伐隊の元へ向かう事だけで、辛うじてそれ以外に考えられたのは、俺の後ろをちゃんとジャックがついて来ているかどうかだけだった。
 暗闇をひた走る中、何故自分はそこまで急ぎ討伐隊の元へ向かうのか。自分でも認め難い事実だが、俺は二度までも鬼との対面に恐怖を覚えてしまった。だから、一刻も早くあの場から逃げ出したかったのだと思う。一人でこの洞穴に入り鬼の砲声に臆した時、俺は鬼の圧倒的な迫力を体験出来て幸運だと、だから次は決して臆さないと、そう喜んだはずだ。それなのに、本当はあの時だってわざわざ鬼が穴の外へ出てきてくれていたのだから、またとないチャンスだったのだ。しかし俺は逃げた。決して隊員達の言葉に従ったんじゃない。戦うか逃げるかの選択肢を示され、逃げる事を選択しただけなのだ。理由は言うまでも無い。克服しているはずの、鬼に対する恐怖心に負けたからだ。
 今は屈辱になど構わず、とにかく先を急がなければ。
 俺は暗闇の中をしきりに右手で触れるワイヤーの感触を確かめながらひた走った。鬼の砲声を聞いたあの時、あまりに暗闇を長く歩き続けていたせいか時間や方向の感覚がぼやけてくる錯覚に見舞われたが、今度もまたそれと同じような感覚が襲ってきた。けれど、今度は出口から伝うワイヤーの感覚がしっかりと距離感を教えてくれるため、何とかどれほど走ったのか大体の感覚を見誤りはしなかった。
 討伐隊がここに入ってからそれほど時間が経過している訳ではないが、随分と先に進んでいるように思う。討伐隊は松明を持って行ったが、やはりそれがあるのと無いのとでは随分と違うのだろう。人間は道に迷った時に適当に歩いていると、いつの間にかぐるぐると同じ所を歩き回り続ける生理があるらしい。もしかすると、自分ではかなり奥深く進んで行ったように思っても実は同じところばかり回っていてそれほど進んでいないのかもしれない。
 そして、
「ジャック、居るな! あれ見えるか!?」
「見える! 松明の明かりだ!」
 やがて濃密な闇の世界に一つ、まるでタンポポの綿毛のように柔らかく浮かぶ橙色の光を俺達は見つけた。ようやく討伐隊の所まで追いついたようである。
 飛び込んだそこは、驚くほど天井の高い湿った空間だった。壁や足元は全て滑らかな岩盤で、よく見ると天井からは岩が氷柱のように細長く垂れ下がってきている。おそらく、どこかの鍾乳洞に繋がったのだろう。松明に照らされ、辺り一面が不気味に光っている。
「な、一体どうしたんだ、こんな所にやってきて!?」
 そこに揃っていた討伐隊の面々は。いきなり飛び込んできた俺達の方を一斉に向き直り武器を構えていた。前触れ無く現れたのだから、どうやら敵と勘違いされたようである。
「大変なんです! 鬼が洞窟の外にいて、それで外の三人が!」
「僕達はこっちへ行けって、そうじゃないと危険だからって! 早く、急いで戻らないと三人が!」
 慌てた口調で二人同時に叫ぶ俺達を見て、そこから幾つか単語を取り出しては繋ぎ合わせ俺達が言わんとする内容を推測したのだろうか、だが一同は何故か不思議そうに顔を見合わせ首を傾げるばかりだった。
「鬼が来たって、そんなはずはない。あれを」
 そう一人の隊員が顎で向こうを指し示す。
「え……?」
 薄がりの中、示されたその先には一つの大きな塊が横たわっていた。辛うじて足らしきものが二つ生えてはいるようだったが、腕があるべき位置には何も無く、そして端には頭に見える小さな出っ張りがあった。よく見ると、丁度俺が抱え上げられるぐらいの丸太のようなものが落ちている。それが切り落とされた腕だと認識するのに、理性が随分と手間取った。
「鬼なら、たった今、我々が倒したところだ」
「手配書にもある通り、正真正銘の鬼だ。ちゃんと確認したから間違いではない」
 まさか、そんなはずはない。
 咄嗟に先を越されてしまった現実の受け入れを拒否しそうになったが、なんとか冷静なままで踏み留まり、そして再度これは全く違うものであると否定した。目に見えるものに違和感があるからである。
 これは一体何だ? 確かに俺の知っている鬼に形は似ているようにも見えるが、それよりも随分と小さくは無いだろうか? それに、あの足では森で見た足跡を作るにはいささか大きさも足りないように思う。
 鬼らしい生物がここに住んでいたのは事実、という事はここが鬼の棲処で間違いは無い。だが、あの時の砲声が繋がるのは、やはり目の前のそれではなくてさっき洞窟の外に居た方だ。まさか、この山に棲んでいる鬼は一匹だけではなかったというのだろうか。
「結論はともかく、外に何かがいるのが確かなのなら急いで戻らねばなりません。鬼の死体は手筈通り運び出し、後は私と一緒に外へ急ぐとします」
 すぐさま討伐隊は準備を整えるとワイヤーを伝い出口へと向かい始めた。討伐隊の面々は鬼を倒したというのにそれほど疲弊した様子は見受けられなかった。確かに身体の小さい鬼ではあるが、それでも大人よりも背丈は大きい。それを苦もなく倒したという事は、やはり討伐隊の実力は相当のもののようである。
「君達は後から来なさい。外は危険だ」
「ここにいても同じですよ。鬼の棲処なんですから」
「ならば、決して目立つ行動はしない事と、危険な時はすぐに逃げる事を念頭に置いてついてくるように」
 はいはい、分かりましたよ。
 思わずそんな悪態をついて見せたくなったが、まだおとなしくしているべきだとしおらしい振りをして見せた。けれど、胸の高まりを押さえる事は出来なかった。ようやく、長い間夢見て来た瞬間に立ち会おうとしているからである。
「いよいよ、俺の出番だな」
 そう小声でジャックに囁く。けれどジャックは相変わらず熱でもあるかのような暗い憂いを顔に浮かべるだけだった。まだ鬼の砲声を受けたショックから立ち直れていないようである。
 思えば随分ジャックには無茶を付き合わせてしまったものだ。もうそろそろ、放してやっても良いかもしれない。