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 半ば走っているに近い急いだ歩取りで洞窟を抜けると、そこはまさに変わり果てたと呼ぶに相応しい惨状だった。
「な……一体何が起こった?」
 呆然と周囲を見回すガーラント。それに続く討伐隊の隊員や俺も、現状をすぐさま理解するのにはいささか時間を要した。
 松明で照らしながら見るその周囲は、明らかに洞窟へ入る前と風景が違っていた。周囲の木々はまるで台風が通ったかのようにへし折られ、地面には半球状の巨大なへこみが幾つか出来ている。どちらも、とにかく途方も無い力が無ければ出来ないことぐらいは理解出来る。しかし過去の経験と何度照らし合わせても、これだけの事をこんな短時間に行える生物など想像の範疇にしか存在しないのだ。
 そうだ、ここに残っているはずの三人はどうなったのだろうか。
 ふと自分達が彼らを残して洞窟に入った事を思い出した俺は、彼らの姿を求めて周囲を見渡す。すると、さほど離れていない茂みの近くに内一人の姿がすぐ見つかった。俺達は急いで彼らの元へと向かう。
「どうした、一体ここで何があった?」
 彼は全身が傷だらけで、身につけている鎧などあちこちがひしゃげて変形している。その上、左足は折れているようだった。彼は討伐隊に選抜されるほど実力は確かな人間のはず、それをここまで痛め付けるなど到底人間の技ではない。
「隊長、鬼です、鬼が現れました。それも馬鹿でかいやつです。丁度、あの横穴を屈んで通るぐらいの」
 問いただすガーラントに対し、彼はようやく振り絞った掠れ声でそう答える。話すだけでも相当の負担となるほど弱り果てているせいだ。
 彼の口から飛び出したあまりに突飛な内容に、思わずガーラントは顔をしかめた。馬鹿な、と否定するのはそれほど難しい事ではない。けれど、受け入れなければ必ず後で重要な選択肢を見誤る。そのためすぐに気を取り直すと、ガーラントは続けて経緯を問い始めた。
「我々がここで待機している時に、突然鬼が現れ襲いかかって来ました。咄嗟にあの子達は洞窟の中へ向かわせ、我々だけで抗戦を試みましたがこの様です」
「あとの二人は?」
「……食われました。信じ難い光景でしたが、奴はたった二口で人一人を食べてしまったんです」
 飛び出した言葉があまりに衝撃的であったためか、ガーラントのみならずその場にいた一同が揃って息を飲んだ。このような仕事をしている以上、多かれ少なかれいつかはこういう事態に遭遇する事もあるとみんな覚悟はしているだろう。しかしそれが、他の生物に食われるだなんて、一度も想像はしなかったに違いない。そんな状況そのものが起こり得るなんてないはずだったのだから。
 薄々予感はしていたが、こうして体験者に語られると恐ろしさは段違いである。やはり鬼は家畜だけでなく人間も食べる。いや、鬼にとってはそれほど差は無いのだろう。そして苦もなく二人も食べる事から、やはり鬼はとてつもない巨躯であると想像出来る。
「それで鬼はどこへ?」
「向こうの方角です。自分はあまり方角がよく分かりませんが、もの凄い勢いで向かって行きました」
 そう指差した先。
 ガーラントがその方向について俺に目で訊ねてくる。思わせ振りなその態度は、大方予想はついているからだ。俺にわざわざ訊ねたのは、自分の思い過ごしであって欲しいという願望から来るものだ。
「森の外、村がある方角です」
 けれど、俺は自分が思った通りの事を口にするしかなかった。それこそが討伐隊の成し遂げなければいけない目的だからである。
「いけない……急いで後を追います。何としてでも鬼が村へ降りる前に食い止めなければ!」
 真っ先に立ち上がったのはガーラントだった。やはりリーダーとしての素質なのか、良い意味で気持ちをドライに切り替えられる人間だ。
「しかし、今から追いかけた所で追いつけるでしょうか?」
「だからと言って、何もしない訳にはいきません。私達は与えられた任務に対して最善の努力を尽くすだけです」
 とは言っても、この山道ではほとんど目隠しをされているような状態だ。心意気は立派だが、ここは案内役がいなければどうしようもない。それに、不謹慎ではあるが丁度良い機会である。鬼の追撃に参加するのに自然な理由が出来た。
「だったら急ぎますか。俺、道案内しますよ。うまくしたら最短ルートで先回り出来るかもしれないし」
「……君にはまた頼らざるを得ないのか」
 そう溜息をつくガーラント。
 しかし、今度ばかりはそんなガーラントに対して腹を立てる気分にはならなかった。何となく思うのだが、ガーラントは子供の力を借りることにうんざりしている訳ではなく、そうしなければならない自分に腹を立てているのだ。その上、自分の部下がこんな目に遭ってしまったのだから怒りもひとしおだろう。
 ガーラントには可能な限り迅速且つ確実に任務をこなす責任があるだろう。でも、そこには部下の安全も守る責任も背負うかどうかの選択がある。部下を殺してでも任務を優先するような奴もいれば、そうでないのもいる。きっとその狭間で揺れるのが相当の苦痛なのだろう。
 何かとむかつく事を言うが、案外いい奴なのかもしれない。ふと俺はそんな事を考えた。
「では急ぎましょう。早くしなければ鬼に追いつけなくなってしまう」
 ガーラントの指示が出るなり、討伐隊の面々がすぐさま追撃の準備を整え出発の態勢に入る。そういう訓練を受けて来たためなのだろうが、こうも機能然とした徹底ぶりには感嘆せずにはいられない。
「ジャック、お前はここに残ってろ。これ以上は付き合わなくていい」
「でも、ここまで来て今更引けないよ。僕も最後まで付き合う」
 しかし、そう主張するジャックの手は酷く震えていた。これまでも何度か鬼の形跡を見て来たが、今のような鬼の起こした惨状をまざまざと見せつけられてしまっては臆病なジャックにはたまらないだろう。
「馬鹿、震えてんじゃねえか。いいからお前はここにいろ。ほら、あの人の手当でもしてやれって。お前、どうせまた薬なんか用意してるだろ?」
 ジャックがここまでついて来てくれた事自体に俺は感謝するべきなのだ。それに、ここから先はきっとこれまでとは比べ物にならないほど危険な目に遭うだろう。ジャックは本当にいいヤツだ。俺なんかには勿体ないぐらいの親友だ。だからこそ、もう私怨には付き合わせられない。
「じゃあ俺は行くからな。村ででも合流しようや」
「うん、分かった……。でも、絶対に無理はしないで」
 その言葉には答えず、俺はくるりと振り返って背を向けた。
 無理はしないで、か。
 到底そんな事は出来るはずはなかった。俺は何としてでも鬼を倒さなければならない。祖父さんの仇討ちのためと、俺自身を勇者として広めるためにだ。多少の無理は百も承知である。それを押し通し、無理の壁を打ち破った人間こそが成功するのだ。俺にとっての壁とはまさに鬼のことである。だから、今だからこそ俺は無理をしなければならないのだ。