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 もう、随分と長い間走り続けている。
 ひたすら森の出口を目指して走り続ける俺と、討伐隊の一向。目的は山を下ろうとする鬼を先回りし速やかに討伐する事であるが、現実的な事を考えると先回りするよりも追いつくために急いでいる方が正しいだろう。何にせよ、このまま鬼の下山をまんまと許してしまっては、俺の村はとんでもない被害に見舞われる事は間違い無い。それに、討伐隊の方も当然責任の追求は避けられないだろうから、お互い必死になって鬼を追いかけている現状だ。
 鬼があの洞窟を後にしてどれだけ経過したかは分からないが、まだそう遠くには行っていないというのが俺の判断である。理由は、身体の大きな生き物は基本的には動作は鈍いという事である。中には熊など恐ろしく速く走る動物もいるが、それは一時的なもので長い距離を走り続ける事は出来ない。おそらく鬼も似たような理由で、まだ遠くまで行っていないだろうと思う。自然界で体が大きいことは強力な武器ではあるが、大きな体は燃費が悪く維持していくために大量の食料が必要でもある。その分、人間の方がこういう追走の場合は断然有利なのだ。
 やがて一昨日の宿営地に差しかかった。だがそこはまるで竜巻でも通ったかのように木々や薮が押し開かれており、随分と変わり果てた惨状になっている。ほぼ間違いなく、この場所を鬼が通った証拠だ。
 実際のところ、俺達は時間と共に確実に鬼へ追いついている実感があった。これは感覚的なもので長年の経験と呼ぶしかないが、俺やジャックは生き物の通った足跡や形跡から、大体どれぐらい前にそこを通過したのか見分ける事が出来る。そして、このように鬼が通った場所を幾つか見ている内に、明らかに経過した時間が縮まって来ているのだ。もう森の外までそれほどの距離は無いが、少なくとも山を降りる前に追いつける事は確実である。
 とは言っても、一つの疑問が俺にはあった。こんな足場の悪い場所での超長距離走、一応一人の脱落者も無いのはさすが討伐隊と言ったところだが、俺も含めて明らかにみんなが疲れきっているという事だ。元々、この数日間も慣れない野営生活を続けているせいで心身ともに疲弊している。そこに間髪入れずこれなのだから、どう考えても鬼と戦えるようなコンディションでは無いのではないかと思うのだ。それでも、追いつく努力もせずにみすみす鬼が下山するのを見守る訳にはいかない、そういった責任感がある以上は疲れただのと言ってられないのが討伐隊の面々なのだろうが。
 この状況を考えると、より俺の活躍する機会が多くなるのではないか、という期待が持てた。疲れ切った体で鬼を相手にするのだから、おそらくそれ以上の決定的なピンチは訪れるだろう。そこに割り込んで行けば自然だし後々角も立たないのではないだろうか。それを考えると、俺は自分の疲れもあまり気にはならなくなって来た。精神が高揚すると疲れも凌駕するそうだが、きっとそういう類いの状態なのだろう。
「んっ……?」
 そして。
 森の外までもう僅かとなった頃、俺はようやく待ち望んでいたその音を聞いた。
「止まって!」
 咄嗟に止まるよう全体へ指示すると、俺はもう一度耳を澄まし周囲の音を注意深く聞いた。
「何かあったのですか?」
「シッ、静かに」
 激しく息切れする音を避け、俺は森の音だけを慎重に聞き分けた。
 よく集中すると、微かだが木々の倒れる音が前方から聞こえてくる。木がみしみしと軋む音も聞こえるとなると、どうやら相当近くに鬼がいるようでる。
「どうやらようやく追いついたようです。この先、間もなく鬼と遭遇しますよ」
 すると、意外な事に討伐隊の面々は一斉に息を飲み、周囲は息切れだけの静寂に包まれた。そんな思わぬ反応に俺は首を傾げそうになったが、これが普通の反応だろうと考え直した。同じ仲間があんな目に遭わせられた、本当にその直後なのだ。そのイメージと自分が重なっても決しておかしな事ではない。
「まずは一度、装備の再確認をしましょう。作戦は前回と同じです。その辺りの認識違いはありませんね?」
 ガーラントに促され、おもむろに自らの装具を確認し出す面々。どこか頼りないようにすら思えてくるが、これがおそらく常人の限界だろう。
 討伐隊の装具には、ボウガンや太い鉄の鎖が交じっていた。何となくの予想ではあるが、鎖で鬼の体を拘束しボウガンで牽制しながら武器で致命傷を与えるという戦法だろう。洞窟の中でもその戦法であの小鬼を倒しただろうが、その倍以上の鬼に果たして通用するのかどうか、俺にも疑問ではある。即効性の毒でもあれば大分違うのかもしれないが、生き物が毒で苦しむ間は無茶苦茶に暴れて余計危険だから使うべきではないとも聞いたことがある。そもそも、鬼なんてものに通用する毒があるかどうかも怪しいから考慮してはいないだろう。
 程無く、最後の確認を終えた俺達は再び鬼の後を追って追走を始めた。
 ふと俺は、どうして皆がこれほど無口なのか、一つの考えが思い浮かんだ。長い距離を走り続けるため無駄な体力を消費しないためが一番の理由だろう。けれど、それ以上に怖いのは、不用意な言葉を放ってしまう事で討伐隊に悪い空気を吹き込んでしまう事だ。自分以外の人間も同じような事を考えていて、それを破裂させる切っ掛けを作ってしまう事が恐ろしくて押し黙っている。あくまで想像の範疇ではあるけれど、そんな事を思う人間がいてもおかしくはない状況でもあると俺は思う。
 ガーラントも討伐隊の面々も俺自身も、みんな鬼は怖いのだ。それでも立ち向かわなければならない理由があり、それで本音を押し殺してまでこんな事をしているのだ。その理由が果たして命懸けでするに値するかどうかは分からないけれど、そんな事は今更問うのも遅過ぎるし、少なくとも俺は十分値すると信じている。祖父さんの敵を討つ事と、その祖父さんにつけて貰ったベルシュタインという仰々しい名前に相応しい業績を歴史に残す勇者として身を立てる事は、理由として十分過ぎる。俺にとってもこれは真剣勝負だ。
 そして。
「いたぞ、あれだ!」
 無言の追走はガーラントの合図をきっかけに唐突に終わり、討伐隊の緊張感はピークを迎えた。いや、それは緊張感と呼ぶよりもむしろ恐怖に近い。目の前の怪物に対して、生物の根幹にある本能がいち早く逃げるよう理性に働きかけているのだ。それを誰しもが討伐隊の責任感だけで、辛うじてこの場に自分を繋ぎ止めている。そんな風に俺の目には映った。
 踵を返さず踏み止まった一同の足は既に疲れきっていた。そんな俺達の前の前の暗闇に、人間に似た輪郭を持った巨躯がゆらりと浮かぶ。それは突然現れた俺達の存在に気づくや否や、足を止め、ゆっくりと見定めるように振り向き見下ろした。その姿は暗闇でははっきりとは見えなかったが、変にギラついたその目だけははっきとこちらを見ている事が分かった。それが妙に人間的で、余計に鬼という存在を恐ろしいものに感じさせる。
 俺も隊員達と同様に、この巨躯を前にして泣き出したくなるほどの恐怖が全身を駆け抜けていた。けれど、それを堪えるだけの根性もまた今回は辛うじて残っていた。それはまたとない朗報だった。それはつまり、俺の中で鬼に立ち向かうだけの用意が完全に整ったという事であるからだ。
 これがいよいよ最後なのだ。ここが正念場、最後の真剣勝負である。
「何としてもこの化け物を倒すのだ! 行くぞ!」