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「第二列、捕縛開始!」
 いつの間にか陣形を組んでいた討伐隊は、ガーラントの第一声と共に行動を開始した。
 まだこちらをうまく把握出来ていない様子の巨躯、鬼。それに向けて討伐隊がクロスボウを構え、次々と発射する。番えられているのは子供の腕ほどの径のある特注らしき矢だが、ほとんど杭と呼んでも違和感の無い代物だ。その矢の矢筈には猪でも繋ぎとめられそうな鎖が繋がっており、矢が突き刺さるとその部分が鎖によって引っ張られる仕組みになっているようだ。
 ガーラントの指示の後、各々が構えたクロスボウを次々と鬼へ向かって放つ。やはりあれだけ大きな矢と鎖を撃つためかクロスボウもかなり強力なものらしく、撃った反動で皆は一歩二歩必ずよろめいている。傍から見ても彼らの受ける反動が相当なものであると感じ取る事が出来た。
 一斉に放たれた鎖付きの矢は、全て正確に鬼へ突き刺さった。左右の肩にそれぞれ二発、脇腹と胸に一発ずつ、太股に一発、背中には二発命中した。鬼の体表は見た目にも厚く、通常の矢ならば間違いなく刺さるどころか掠り傷一つ負わせる事は出来ないだろう。しかし、さすがにこれは特注だけあって杭のような矢が半分近くが埋没している。矢尻の形状から、一旦突き刺さった矢は決して抜く事が出来ない。それはさながら体から鎖が生えてきたような様相だ。
「よし、鎖を固定しろ!」
 すぐさま打ち込まれた鎖のもう一端が地面へと杭で打ち込まれる。鎖は鬼が動く事によって緊張と弛緩を繰り返し、きゅるきゅると金属が擦れ合う独特の耳障りな音を立てながら宙を踊った。
 ここまでの一連の行動は全く停滞の無い連続したもので、正に流れるような段取りの良さだった。地味ながらも実戦でどれだけ正確に行動出来るかは普段の訓練が物を言うらしいが、討伐隊に選抜された人間がどれだけの技術を持っているのかが垣間見える瞬間だ。
「ベルシュタイン! ここから離れていなさい!」
 ガーラントから俺に向かって怒声が飛んできた。ハッと我に帰った俺は、いつの間にかその場で呆然と立ち尽くしてしまっていた事に気付く。ひとまず俺は討伐隊からやや距離を置いた樹木の影へと身を潜める。まだ、俺が出るべき状況ではなかった。もう少し事の成り行きを見て、行動を判断するべきである。
『グウウ……』
 鬼は突如自分の体に打ち込まれた杭と鎖を見て、何やら体がどう動くのかを恐る恐る確かめ始めた。どう考えてもあんな杭のような太い矢が体に何本も突き刺さったら、体中に激痛が走って冷静ではいられなくなるはずなのだが。動物の中には痛覚が非常に鈍い種類もいるが、もしかすると鬼も同様に痛覚が鈍いのかもしれない。
「よし、鎖を引け! 奴の体を拘束する!」
 一本の鎖を二人がかりで引き、更にもう一人が出来た鎖の弛みを地面に打ち込んで張りを持たせて行く。その結果、鬼の体はあちこちから引っ張られて拘束され動きを制限され始めた。自由に腕を上げられない。それでようやく鬼は自分が一体何をされたのか理解したらしく、唸り声のトーンを加速させていった。
 そして。
「くっ……!」
 それはまるで、目の前で花火が暴発したかのような恐ろしいまでの咆哮だった。そしてその咆哮は、俺が洞窟の中で聞いたあれとはまるで次元が違っている。これが本当の咆哮だというのなら、あれはただのあくび程度でしかない。
 空気が震えるどころの話では無かった。木々が、大地が、人が、この周囲一帯にある全ての存在が揺さぶられる、途方も無い砲声である。まるで音の爆弾だ。
 それでも俺はこの場から逃げる事をしなかった。恐怖のあまり動けなくなったのか、自分で恐怖を振り払い敢えて残ったのか、よく分からなかった。ただ気が付くと俺は、腰に携えている野太刀へ右手を伸ばしていた。
 恐怖よりも、何故か焦りが俺にはあった。一体何を焦っているのか、自分でもよく分からない。ただ一刻も早くこの鬼に始末をつけなければと、
ただそういう気持ちの逸りがあるのだ。
「くっ……怯むな! 第一列、槍床構え!」
 討伐隊も今の規格外な砲声にはさすがにガーラント共々、動揺を隠し切れていなかった。だが、それでも隊列は一糸乱さずに引き続きガーラントの指示に従い作戦を続行する。絶対に恐怖を感じていないはずはないのだが、元から恐怖心をコントロール出来るよう訓練しているのか、若しくは既に何が恐ろしいのか分からなくなっているのか。
「行け!」
 三列から成る討伐隊の陣形、その最前列は手に構えた槍を前方へ突き出したまま、一斉に鬼へ向かって突撃していった。並の猛獣ならばいとも簡単に体を貫かれるような、鋭い先端と強靭な柄を持ったその槍は、思うように動けずにいる鬼の体へ次々と突き刺さっていった。だが、驚くべきことに、あれだけ勢いをつけて繰り出したにもかかわらず、一人としてその槍を貫通させていなかったのだ。一体どれほど強靭だというのか、鬼の肉圧に遮られてしまったのである。
『ガアアアアッ!』
 再び、鬼は吠えた。鼓膜を突き破り、背中から体を揺さぶってくる途方も無い雄叫びだ。痛覚が鈍いためか、自分が攻撃されている事実に余計興奮してしまっているように感じた。考えてみれば、痛覚の鈍い猛獣も出来る限り一発目で仕留めるのがセオリーになっている。どんなに慣れた動物と言えども、凶暴になればそれはもはや別の動物と認識は改めなくてはいけない。それだけ、手負いとは恐ろしいものなのだ。
 凶暴化した鬼は、体中に突き刺さっている鎖も構う事なく、やたらめったらに体を振り回し暴れ始めた。きつく張られた鎖は、始めこそ抵抗を見せるものの、少しずつ両端の内の片側が綻びを見せ始めた。打ち込んだ杭を強引に抜くか、もしくは地面ごと鎖を引き抜こうという構えである。
「た、隊長! 鎖が持ちません!」
「右肩、一本振り切られました!」
 自分の体を傷つける事すら厭わずに暴れる鬼、その圧倒的な力は討伐隊の作戦は打ち破られようとしている。効率を重視した論理的な作戦を、ただの腕力だけで返されてしまっては、そもそも腕力に劣る人間にとってはどうする事も出来なくなってしまう。
「くっ……化け物め」
 突然、ガーラントは腰の剣を抜き放つと、自ら鬼へ向かって突進していった。
「総員、突撃だ! このまま振り切られる前に始末をつける!」
 鬼の腕力の前には小細工など意味を成さないと判断したのだろう、突然の全隊攻撃命令だった。だがそれは、俺には自棄を起こしているようにも見えた。必勝のはずの作戦に勝機を見い出せなかった事への動揺がそうさせてしまったのかも知れない。