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 その光景は、正に昆虫の死骸へ群がる蟻のようだった。
 一斉に鬼へと向かって行く討伐隊。四方八方から立ち向かって行く様は、勇ましくも、どこか滑稽にも見えてならなかった。そして、まるで水の中の光景のように、全てがゆっくりと動いているように見えるのは俺の気負いのせいだと思う。
 まず、一番前の列で槍を構えていた三人が鬼へ攻撃を仕掛けた。三本の槍の先は、三方向から鬼の腹へと突き込まれる。だが、その先端がほんの僅かにめりこんだだけで、穂先はそれ以上の侵入は適わなかった。続いて、剣の列が背中側から挟み込むように斬りかかる。だがそれも、厚い皮に阻まれほとんど意味をなさなかった。
『グアアアアッ!』
 そこで、鬼が砲声を上げた。そのあまりの迫力に、誰しもが一寸の躊躇いを見せる。すかさず鬼は、己の両手の動きを封じていた鎖諸共、力任せに振り回した。鬼の体に食い込んでいた矢は固定された鎖に引っ張られ、鬼の体から肉の塊をごっそりと小削ぎ落として宙へ飛び出す。迸った血は岩の間から湧き出した清水のようだった。
 まるで丸太のような腕が、次々と討伐隊を蹴散らして行く。それは闘争とか討伐とかよりも、掃除と表現するのが正しく思える光景だった。鎖も槍も剣も、この筋肉の化け物の前にはまるで歯が立たない。そこにどれだけの緻密な戦略があろうとも、圧倒的過ぎる力の前には極めて無力だ。
 もう、これ以上は無意味だ。行かなければ。
 遂に自分のやるべき時が来たのだと、俺は自覚を持った。それは覚悟や決意とはまた異なる質を持った、腹の奥底へずしりとのしかかる重みだ。けれど、俺はそれに臆することなく、むしろ自らを積極的に鼓舞する。そして、腰の後ろ側へ差した野太刀の柄を右手で握り締めた。
「まだだ!」
 と、その時。あまりの鬼の激しい勢いに隊列が崩れたと見るや否や、ガーラントは剣を抜き放ち真っ直ぐ鬼へと向かって行った。そして鬼を迎え撃とうと構えた一人の槍兵の肩を驚くほど身軽な跳躍で踏み台にし、更に高く大跳躍する。そのままガーラントは鬼の頭を越える高さまで飛び上がった。
 鬼はガーラントに対してほとんど反応していなかった。それは暗闇のせいもあるかもしれないが、そもそもこれだけの体躯を持っていれば、普段は自分よりも高い位置から攻撃される事などありえないからだろう。飛び上がったガーラントが剣の切っ先を向けたまま、真っ直ぐ降下していくのに対しても、鬼は全く無防備だった。
『ギャアアアアッ!』
 鬼が悲鳴を上げた。それは思ったよりも甲高い金切り声で、まるで人間のあげるそれにそっくりだった。
 ガーラントの剣は鬼の右目を捉えていた。更にガーラントはそのまま鬼の頭部へ張り付き、体重をかけて尚も剣を深く突き刺しへかかっている。このまま剣を脳まで達しさせるつもりだ。幾ら分厚い筋肉があろうと、脳まで強いはずはないのだ。
 だが、鬼はそれまでじっとしてはいない。右目を深く抉られた痛みに、鬼は錯乱したかのように丸太のような両腕を腕を目茶苦茶に振り回し、頭の付近を我武者羅に掻き毟った。死に物狂いの抵抗に遭ったガーラントは振りほどこうとする左腕に跳ね飛ばされ、驚くほど高く宙を舞った。ガーラントの体は樹木へ背中から叩きつけられると、真っ逆さまに地面へ落下した。
「まだだ……まだ勝機はある!」
 しかし、それでもガーラントは間を置かずすぐに立ち上がる。しかし精神力だけで立っているためか、すぐに体は重心を失ってぐらつき、樹木へ手を付かなければ支えることが出来なかった。
 これ以上は無理だ。そう思ったのは、きっと俺だけではなかったと思う。何となく、今の状況では鬼を仕留めるなんて無理ではないのか。そんな声が聞こえて来そうだった。目の前では右目を潰され、一層凶暴になって暴れまくる鬼の姿がある。それは嵐のように暴虐で、とても手のつけようが無かった。しかもこちらが満身創痍とあっては、立ち向かう気力すら萎えてしまう。
 だからこそ、俺の出番だ。俺の出番は、今まさにここでしかない。
「来い! こっちだ!」
 遂に俺は樹木の影から飛び出すと、敢えて自分から鬼に向かってそう叫んだ。
 右目を抉られた事で興奮しただ本能のまま暴れる鬼だったが、俺の声は聞こえたらしく、はっきりとこちらの声に反応し振り向いて見せた。
 突然の事に、周囲から驚きと怒声が入り交じった感情が沸き起こったことを感じた。誰かが俺へ激しい口調で声を飛ばしているのも聞こえる。けれど俺は、まるで意に介さず全神経を鬼へ集中させた。
 野太刀を抜いて下段に構え、目標を真っ直ぐ見据える。鬼は怒り狂った様子でこちらへ突進してくる。そんなあまりに危険な状況だと言うのに、俺は怖いほど冷静でいられた。日頃からこの瞬間だけをリアルに想像し、繰り返し習練に明け暮れていたからだと思う。そう、普段通りに行えば何の問題も無いのだ。
 精神を野太刀の刀身全体へ集中させ、可能な限り精細で明確なイメージを頭の中へ描く。そのイメージを徐々に空想から現実側へと引き出していき、やがて野太刀と完全に重ね合わせる事でそれは完成する。
 よし、行ける。
 構えた野太刀には普段通りともそれ以上とも呼べる出来の魔法が宿った。ここまでくれば、もはや成功したも同然と言える。
 鬼との距離も、もう残り幾許も無い。だが、まだ間合いの外だ。慌てず、ゆっくりと落ち浮いて距離を測るのだ。この魔法が最大の威力を発揮する最良の間合いに入るまでは、決して取り乱さず、落ち着いて構える。
 そして、荒れ狂う鬼が遂にその間合いへと踏み込んで来る。俺は描いていた残りのイメージを野太刀へと重ね合わせ、それと同時に鬼の首へと向かって繰り出した。
 野太刀から放たれる、真っ白な光の帯は鋭く研ぎ澄まされた槍となり、鬼の喉元へと食らいついた。ほぼ同時に俺は最後のイメージをそこへと重ねた。
「爆ぜろッ!」