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 さっきの魔法でも十分出来過ぎではあったが、今度の魔法は更にそれを大きく上回っていた。
 二回り近く強大な爆発が白い閃光を辺りに撒き散らして広がっていく。鬼の肩から上が見えなくなるほどの爆発である。それに俺は確かな手応えを感じた。
「よしっ!」
 俺は拳を握り喜びを噛み締めた。
 幾ら鬼が頑強であろうとも、これだけの爆発を後頭部に、しかも不意打ちで食らって無事で済む訳がない。そういう確信が俺にはあった。だから、今目の前にある四肢を統率する部分は、この舞い上がる埃が収まっても視認する事が出来ない、即ち存在していない状態であると思ったのだ。
 だが、
『ヴヴヴヴヴ……』
 視界が晴れるのを待たず、地鳴りのような大きく深い唸り声が辺りに響く。最初、俺はそれが何の音かまるで理解出来なかった。風が木々の隙間を通り抜けているのか、樹木のうろに入り込んだのか、及んだ想像はせいぜいそんなものだった。だから、現実というものを理解するまで、らしくもなく、非常に時間がかかった。
『ウガアッ!』
 次の行動は頭で閃くよりも先に体が本能的に動いた。
 ぶんっ、という木の枝を振る音をそのまま拡大した音が、丁度俺の左側から聞こえて来た。次の瞬間に俺は体を地面に這いつくばるように伏せ、その丸太のようなものが通過するのをやり過ごした。
 な、まさか……。
 唖然としながら、そのままの姿勢で上を見上げると、そこには左目だけでこちらを見下ろす鬼の顔があった。この時ほど背筋が凍りつくような瞬間を感じた事はない。そこにいるのは言語も理念も分からない単なる獣、しかし恐ろしい力を持ち、そして今まさに俺へ殺気を向けている。
 すぐさま跳び起きた俺、しかし逃げようにも足が竦んで動かなかった。どうして俺の魔法を受けて平気でいられるのか、この期に及んでそんな事を考えていた。今最も考えなければいけないのは、どうすればこの場から生き延びられるかだ。それなのに、過ぎた事ばかりを振り返ろうと、俺の自尊心がそうさせている。
 鬼は俺が小さいせいか、あまりはっきりとは認識していないようだった。ただ、目の前の空間のどこかに自分に対して攻撃を行ったものがいて、それを駆逐しようとしている事が分かった。
 まずい、早く逃げなければ……!
 恐る恐る、俺は後退りを始めた。本当はさっさと走り出して木々の中に紛れ込んでしまえばやり過ごせるのだろう。けれど、一瞬でも背中を見せたら、その瞬間に殺されてしまうのでは、という恐怖に支配され、どうしても走り出す事が出来なかったのだ。
 ゆっくりと静かに後退さる俺を、鬼はやがてはっきりと残った左目で視認した。明らかな殺意を固まりとしてぶつけられる事が、これほど息苦しいなんて思いもよらなかった。思い返せば、どこかで俺は鬼を軽視していたのかもしれない。どうせ普段狩っているような動物と大差無いと、ただ図体がでかいだけで頭を使えばどうにでもなると、そういう自惚れだ。
『ガアアッ!』
 そして鬼がゆっくりと右腕を振り上げ俺に狙いを定める。いや、ゆっくり動いているのではなく、そんな風に俺にだけ見えているのだ。体が最大限の危機を感じた時の生理だ。
 鬼の腕に殴られて無事でいられるとは到底思えない。なのに、それでも俺は死というものに現実味を感じられなかった。どこかぬるま湯に浸っているような、そういう危機感の無さは自分が心のどこかで観念してしまったからではないのか、そんな風にさえ思った。
 と、その時だった。
「伏せろ!」
 急に背後から激しい口調で言葉が飛んで来た。既に頭の中が空っぽになっていた俺は、何も考えずその言葉に従って地面へと伏せた。
『ギャアッ!』
 すると、バァンと激しい破裂音と共に鬼の悲鳴が響き渡った。匂って来たのは火薬のもので、火薬を利用した武器を使ったのだとぼんやり思った。
「立て! 逃げるぞ!」
 声の主が俺のすぐ横まで駆け寄ると、腕を掴んで引っ張り無理やり立たせられた。
 声の主はガーラントだった。手にはさっき使ったものとは少々型が異なるクロスボウを携えている。今、鬼を撃ったのはこれなのだろうと俺はぼんやり思った。
『ウオオオオッ!』
 鬼が怒りに満ち満ちた砲声を上げる。またしても不意打ちで狙撃されたせいだ。
「くっ……この化け物め」
 すぐさまガーラントは矢を番えると、流れるような動作でクロスボウを構え引き金を振り絞った。クロスボウより放たれた鈍銀色の矢は真っ直ぐ鬼の額へ命中、その直後に激しい爆発を起こした。鬼は爆発の衝撃と熱にまたしても悲鳴を上げ、二三歩その場でよろめく。どうやら放った矢には火薬が仕込まれていて、命中すると着火する仕掛けのようである。
「今の内に、早く!」
 ガーラントに手を引かれ、そのまま俺達は走り出した。
 後方からもすぐさま鬼は後を追ってこちらに向かって来たが、俺達の姿は森の中へ紛れ込んでしまい、すぐに見失って癇癪を起こしやたらめったらに暴れ始めた。これで少なくともすぐさま追いつかれるような事は無い。鬼との距離が離れて行く内にそう安堵を覚えた。
「少しは身の程を知ったと思います。あれは君のような子供に何とか出来る相手ではありません」
 やがて鬼から大分離れた時、ガーラントは走りながらそう俺に言い放った。
 以前だったら俺はすぐに反論していただろう。けれど、今回ばかりはその通りの現実を見せつけられた後だったため、返せる言葉は一切思い浮かばなかった。
「しかし、君が魔法を使えるとは知りませんでした。どこで覚えたのです?」
「俺は……昔から何となく使えてて、何年か前からは自分なりに鍛えてて……」
 魔法は俺にとって特別な存在だった。これが使える事そのものが俺にとっての自尊心であり、その他大勢と自分とを区別する重要な要素である。それなのに、誇りそのものであるはずの魔法の事を話す俺の口調は酷く消沈し切っていた。俺の魔法で鬼は倒せないとガーラントに否定され、そして事実その通りだったためである。
 ガーラントは、そんな俺の心情を酌んでくれたのだろうか、非難の言葉を並べるでもなく、口調は不自然なほど優しかった。だが、逆にそれが俺には辛く感じた。これではまるで、失敗をした子供とその父親のような構図に思えたからである。俺は自分の父親をあまり尊敬の対象とか目上として意識していないだけに、尚更屈辱的だった。
 そして、ガーラントは更に言葉を続けた。
「今の時代、魔法なんてほとんど使われなくなりました。武芸の一旦として習得する事もありますが、あまり重宝される事はありません」
「それはどうして?」
「魔法よりも手軽な兵器を作る事が出来る、科学が発達したからですよ。特に都心部ではその傾向が顕著に出ています」