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 鬼の走る足音がすぐ後ろまで迫って来ている。
 俺は目の前の武器が何なのか問いただす事なく、妨げにならない位置へと身をかわした。それに、わざわざ訊かなくとも見た目の構造で大体想像は付く。引き絞ったワイヤーで、あの巨大な杭を撃ち放つに違いない。
「総員、攻撃準備! 目標接近中!」
 討伐隊の一人が、おそらくガーラントの代わりに臨時で場の指揮を任されたのだろう、いよいよ近づいてくる鬼の足音に合わせて号令をかけた。一気に場の空気は緊張感に包まれるものの、それと同時に絶対にこれは失敗出来ないという決意めいたものを感じた。きっと、これを失敗したら今度こそ命が無いという個人的な事ではなくて、領主に選抜された討伐隊としての役目が果たせないという使命感だと思う。何よりも保身が大事ならば、真っ先にここから逃げ出すのが当然だからだ。
 俺もまた、ここが正念場である事を自覚した。これ以上は山を降りて行く危険があるため後退する事は出来ない。それにおそらく討伐隊もこれ以上の強力な武器は持ち合わせていないはずだ。ここで失敗すれば、村が襲われるし戦う手段も無くなる。だからこその正念場だ。勝たなければいけないのではない、今度こそ勝つのだ。
『ウォォォォッ!』
 醜悪な雄叫びをあげ、鬼の姿が薮の中から飛び出して来た。途端に空気はぐっと冷たく凍りつき、一同の思考は目の前の鬼へと集中する。
「撃てッ!」
 指揮官の号令と共に、限界まで引き絞られた杭がワイヤーから強烈な張力の反動を受けて放たれた。鋼鉄の鋭い切っ先をつけられた杭は、真っ直ぐ鬼の腹を目がけ低空で宙を一気に駆け抜けて行く。本当は矢のような勢いであるはずなのにやけに鈍重に見えるのは、きっと俺が緊張し過ぎているせいだ。
 行け! 当たれ!
 幾ら強靭な生命力を持つ鬼でも、あんなに太い杭を腹に撃ち込まれたらただでは済まないはずだ。即死とまではいかなくとも、確実に行動はその時点から抑止出来るし、それからは手持ちの武器でも十分止めは刺す事が可能である。
 それだけの確信と、はっきりと目で見るまでは消えない不安を振り払うため命中を祈り続ける中、撃ち放たれた杭は願い通りに鬼の腹へ突き刺さった。
『ギャアアアアッ!』
 凄まじい悲鳴が鳴り響いた。
 鬼が杭を撃ち込まれた痛みを感じている事がはっきりと見て取れる。痛みを感じないとか、かすり傷程度で終わったとか、そういう事ではない何よりの証明である。
 鬼の腹、中心から僅かに左へずらした位置に杭は突き刺さった。飛び出している部分の長さを見る限り、切っ先は背中側へ貫通しているようだ。決定的な一撃、致命傷だ。腹は即死させるような急所ではないが、勝敗を分ける決定打には違いない。
 杭を撃ち込まれた事で鬼は狂ったように甲高い叫びを喚き散らした。杭の突き刺さった脇腹からは大量の血が溢れ出し、見る間に辺りの地面へ真っ赤な血溜まりを作り出す。鬼も人間と同じ色の血を流すのか、と感心する最中、ふと俺は異変に気づいた。
 依然として喚き声を上げながら暴れ続ける鬼、けれどあれだけ出血しているというのに、一向に弱っていく様子が見られない。未だ膝を地面へつく事すらしていないのだ。同様のケースを人間で当てはめると、もうとっくに意識を失っていてもおかしくはないというのに。
『ウォォォォッ!』
 そして、鬼はおもむろに両腕を振り上げると、そのまま両拳を目の前の地面へ叩きつけた。凄まじい轟音を鳴り響かせながらその部分はごっそりと深く抉り取られ、周囲に土がばらばらと舞い上がった。
 その時、一同の間に戦慄が走った。明確な言葉で口に出さずとも、心境は空気からはっきりと伝わった。ただそれを明言する余裕が無いだけだ。
 きっと誰もがこう思っただろう。この程度では鬼は止められないのではないか、と。
 腹に撃ち込んだ杭が効いていないはずはない。その証拠に、鬼ははっきりともがき苦しんでいる。ただ、動きを止めるほどの重傷でも無いという事なのだろうか。人間にしてみれば重傷でも、鬼の生命力での基準ではまだまだ猶予があるのか。
 もう一発、今度は胸にぶち込んでやれば、きっと鬼は倒せる。けど、素人目にもそれが出来る状況ではない事は分かった。こうも鬼が暴れている以上は次弾の装填どころではない。それに、何より深刻なのは討伐隊の指揮だ。この手詰まりの状況に、明らかに恐怖を覚え戦意を喪失し始めている。戦意が無くてはどんな知略も意味は無い。
 もう、駄目なのか? いや、諦めるにはまだ早い。まだ俺の体は五体満足だ。勝つための方法を考えて実践する事が出来る。ならば何が出来る? この化け物を倒すのには、どれだけの武器が必要なのだ? 果たしてそれはこの場にあるものなのか?
 体から血が流れ出す感覚にも似た、討伐隊の面々が急速に戦意を失って行く状況をひしひしと感じつつ、俺はしきりに知略を巡り頭を働かせた。どうにかここまで弱らせる事が出来たのだ。もう一押し、何か駄目押しになるようなものさえあれば、絶対に勝つ事が出来るというのに。
 このまま終わりにしたくは無い。それが一番の思いだった。ここで鬼を倒せなければ、俺達の村にもとんでもない被害が出てしまう。むざむざそうなる所を指をくわえて見てはいられない。断固阻止するべきだ。しかし、どうやって。それが一番の問題である。
 すると、
「そうだ!」
 不意に俺の頭に、鬼を仕留める最適な方法が思い浮かび、思わず声を上げてしまった。
 この妙案こそ、おそらく起死回生のチャンスと成り得るだろう。これがうまく成功すれば何とか勝つことが出来るかもしれない。いや、何としてでも成功させなければ。俺達が勝つ以外に何もないのだ。他の選択肢は全て誰かが死んでしまう悲劇をはらんでいるから。
 ぼーっとしている暇は無い。士気が下がり切る前に行動へ移らなければ。
 すぐさま俺は野太刀を下段に構え、脳裏にイメージを描いた。鋭利なものでも爆発でも何でもない、実に稚拙でいい加減なイメージだった。そんな急造の魔法を、俺はあまり間を置かずに繰り出し鬼の顔面へ命中させた。
 突然の俺の行動に一同が驚きを見せる。しかし、何よりも俺に強い視線を送ってきたのは鬼だった。また、ついさっきまでの自分へ攻撃する何かを捜し求めている強烈な眼光をぎらつかせている。真正面からそれを浴びる俺は、そそくさとその場を逃れたい衝動に駆られたが、そんな矮小な恐怖は気力で押し殺し、睨みつけてくる鬼へ対してこちらからも睨み返した。
「来い! お前の息の根、止めてやるぜ!」