BACK

 勢いだけで決断した考えなしの行動ではなかったにしろ、今の台詞は少し違うのではないだろうか。そんな反省を踏まえつつも、格好だけは勇ましい台詞が自分を鼓舞するような錯覚を覚えていた。
 俺が放った魔法に刺激され、俄にいきり立った鬼は真っすぐこちらへ向かって突っ込んで来た。腹に突き刺さっている杭もそのまま、流れ出す血が太ももを赤茶色に染めているにも構わない姿は、あまりにシュールで背筋をぞっとさせる光景だった。そこでようやく自分がとんでもない事をしでかしている自覚を持ったが、もはや後戻り出来ない状況であるしそうする理由もない。もう最後まで、やり遂げるしかない。
「こっちだ、来い!」
 猛然と突っ込んで来る鬼に向かって、大きく自分をアピールしながら追いつかれぬよう走り出した。鬼が俺の姿をしっかりと視認し続けるのか不安ではあったが、今のところ鬼は明らかに俺を攻撃の対象として追いかけて来ているから大丈夫ではあるだろう。
「ベルシュタイン! 一体何を!?」
「後から追って来て下さい! 勝算があるんです!」
 打ち合わせにもなかった突然の行動に疑問を投げかけるガーラントだったが、俺はそれだけを答えて薮の中へと駆け出した。ガーラントは馬鹿じゃない。今の台詞だけでもきっと、俺が何か作戦を考えついたぐらいすぐに気づくはずだ。
 走り行く俺の後を、すかさず鬼が追って来る。俺は出来るだけ障害物を避け目的地までは多少回り道をする事になっても効率的な道を選んで走った。それに対し、鬼はとにかく直線的な最短距離、それも俺に追いつくための最短ルートで強引に木枝や薮をかきわけて突っ込んで来る。これではいずれ追いつかれてしまうのは目に見える。誘導を試みているのだから、追いつかれても見失われてもいけない。なんとか撒かないぎりぎりのところでうまく調節していかなければ。
 ただ人間の最短ルートを走るのではなく、時折身を隠してはこちらを見失わせ、出来るだけ距離を取った後に魔法で牽制し、リードを取る。そんな随分と回りくどくせこいやり方を織り混ぜ、俺は鬼との距離を一定に保ち続けた。走るのとルート選択と牽制とを一人でこなさなくてはならないため、山道を走るのにも慣れているはずの俺でもこればかりは酷く骨が折れた。けれど、これが一番安全で確実な方法である以上は、今はとにかくそれに徹する他ない。幸いにも、鬼は討伐隊に打ち込まれた杭のせいでかなり疲弊しているのが見えていた。おかげで決定的なほど違う基礎体力の差を限りなくゼロまで埋めてくれている。
 目指す場所、そこへ鬼を誘導するのは、先程ふと思いついた作戦を実行するためである。
 思いついた作戦はこうだ。
 この山でジャックと狩をする時によく立ち寄る水場、そこには見上げるような巨大な滝があるのだが、そこの天辺へ鬼を誘導し後ろから突き飛ばして滝壺へ落とそうというものだ。
 口で言うと非常に単純であっけないものかもしれないが、この滝は上から見下ろしただけでも助かるかどうか本当に分からなくなるようなとてつもない滝だ、幾ら鬼でもこれだけ重傷を負い体力を消耗している状態で滝壺に落ちれば、即死まではいかなくとも自力で丘にはい上がる事は不可能だ。
 あの森から水場まで、討伐隊の足に合わせて歩いてまる日中を費やすぐらいだ。俺の足で走れば、多少の迂回があってもそれほどかからずに水場まではたどり着ける。後は崖っぷちまで誘導して、そこですかさず滝壺へ突き落とす。俺一人では体重差が大分あるので突き落とすのは難しいかもしれないが、最悪の場合は討伐隊の何人かと一緒に押せば何とかなるだろう。
 希望の見えて来た俺の体は軽く、疲れるという事を忘れてしまったかと思うほど力に溢れていた。勝算があるという事が俺自身の確かな自信へ繋がっている。一度は諦めかけた、俺一人で鬼を倒すという大願も、この作戦を思いつくことで再燃が始まった。それは自分だけが手柄を手に入れたいという名声欲なのかもしれない。今置かれている状況は死と隣合わせの非常に切迫したものであるというのに、そういった危機意識が麻痺しているかまるで不安を感じず底無しに高揚していった。
 もう、どれだけ走っただろうか。しばらくして、ふと鼻が水の匂いを嗅ぎ付けた。更に耳を澄ますと、遠くから聞き慣れた滝の音が響いているのが分かった。ようやく目的地へ辿りついたようである。背後を振り返り鬼との距離を確認すると、距離はほぼ最初の機先分が保たれたままであった。このまま降りて行っても問題はないだろう。
「よし、こっちだ!」
 薮を抜け、緩やかな傾斜面を一気に駆け降りる。鬼もまた俺と同じように大股で特別減速もせずに駆けて来る。でかい図体をしているくせにどうしてそんなにバランスが安定しているのか、と疑問に思いたくなった。鬼はきっと人間並みかそれ以上の運動神経があるのだろう、と解釈すれば良いのだが、それは小さな負けを認めるようだったので縁起も悪い。だから出来るだけ気に留めない事にした。
 無事、水場に到着。まずは滝の天辺まで鬼を誘導しなければならないのだが、ここにはわざわざ昔の山師辺りが整備したらしい道があるので、ここへ来るまでの調子で誘導すれば問題はない。と、不意に背後からけたたましい音が鳴り響いた。ハッと振り返ると、そこには鬼が地面に転がりのた打ち回っている姿があった。どうやら傾斜を走ろうとして足を踏み誤り転んでしまったようだ。杭は依然腹に食い込んだままで、すぐに立ち上がれないところを見ると相当弱っているようである。
 状況はかなり都合良く動いてる。これならば、今度こそは作戦通りに仕留められそうだ。
 俺もまた切れ始めた息を整えつつ、鬼が立ち上がって再び追いかけて来るのを待った。
 ふと、その時。突然俺はある重要なことに気が付いた。
 もしも俺一人で鬼を滝壺へ突き落とせなかったら、最悪でも討伐隊に援護を頼れば良い。ひとまずそう思って実行に移したのだが、そもそも討伐隊はあまり山の地理には詳しくは無い。だから、ぴったりとすぐ後ろをつけていてもいない限りはすぐに合流出来る訳が無いのだ。俺は致命的ではないにしろ、肝心な事をすっぽりと見落としているまま来てしまっていたのである。
 鬼の誘導は成功した。しかし、俺は自ら孤立無援となってしまったのではないだろうか?
 いや、大丈夫だ。予定通りに実行すればいい。それで俺の勝ちなのだから。