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 村へ辿り着いたのは、翌々日の昼過ぎだった。
 本当は明け方には到着する予定だったのだが、全員が疲れ切っている上に負傷者の搬送やらで随分と手間取ってしまった。俺自身も歩くだけで肋骨が痛むし、足も棒になっていて満足に歩くことが出来なかった。反面、ジャックの奴は無傷でほとんど疲れた様子もないのだが、あの性格上周囲を放って置けず介護に奔走した結果、同じようにへとへとに疲れ切ってしまっていた。
 ようやく村へ辿りついた俺は村長への挨拶もそこそこに、さっさと家に戻って眠ってしまった。肋骨も痛んだが、それ以上に考える事すら煩わしいほど疲れて眠かったのだ。だから、山を降りてから村へ辿りつき家に帰るまでの間の事はほとんど覚えていない。こうして久しぶりの我が家で眠ることだけで他はどうでも良かったのである。
 夢うつつの中で、俺はこれまでの事を早回しに見ていた。討伐隊を山へ道案内した事、未踏の森の中へ初めて踏み入った事、鬼の棲処を見つけてその中で予想外の雄叫びに驚いて逃げ出した事、そして何よりも印象的だった、鬼との徹底抗戦。今となってみれば、全て良い思いでだったと片付ける気にもなれるが、この戦いで命を落とした隊員の事を考えると少し不謹慎ではあるかと改める。
 何にしても、あの断崖での一連はとにかく危険極まりなかった。片手で易々と樹木を圧し折り、人間を頭から食べるような鬼と一対一で向かい合ったのだ。思い出しただけでも手が震えてくる。それも結局、ジャックが鬼の左目を撃ち抜く事で何とか倒せたのだが、ジャックの奴はむかつくほどタイミングが良すぎた。俺の事が心配になって宿営地まで戻ってきたそうだが、その時にたまたま討伐隊が、俺を追ってどこかへ行ってしまった鬼を追いかけようとしていた所に遭遇したらしく、どうやらそれで討伐隊を案内したところああいう現場に遭遇したそうだ。正直言って幾らなんでも出来過ぎだとは思ったが、逆に考えるとジャックをそういう風に何かが導いたおかげで俺は今こうして命拾い出来ているんだと思う。まあ、もしも本当にそういう存在が干渉したとしたら、祖父さんを除いて他に無いだろうけれど。
 もう一つ、思い返すと疑問になる事がある。それは、討伐隊が最初に鬼の棲処で仕留めた小さな鬼の事だ。みんなあまりその事について気にしていないようだが、もしかするとあれが鬼をあそこまで凶暴にさせた原因じゃないのかと思う。あの小さな鬼は、実は鬼の子供か何かで、それを人間に殺されたからあんなに暴れ狂ったんじゃないだろうか。その辺の詳しい事情なんて鬼に訊く事も出来ないからなんとも言えないのだけれど、そういうことももしかするとあるんじゃないかと俺は思う。
「おーい、そろそろ起きろ」
 ふと、俺は親父の声で目を覚ました。周囲はいつの間にか真っ暗になっていた。どうやら寝ている間に日が落ちてしまったようである。
「なんだよ、親父。俺、眠いんだけど」
「もう十分寝たろうが。これから討伐隊の皆さんの送別会やるから、お前も挨拶ぐらいして来い」
 そんなの、どうせ単なる飲み会を開くための名目だろうが。そう愚痴を吐きたくなったが、明日には出発するとなるとやはり挨拶ぐらいは良いと思う。半日ほど眠ったおかげで、まだ眠気は残っているものの体のだるさは抜けている。もう少しぐらいは出ても大丈夫だ。
「どこでやってるんだ? 村長のとこ?」
「ああ、いつもの集会所だ。もうそろそろ準備も終わってる頃だし、みんな集まってるだろ」
「おいおい、あそこって屋根があるだけでほとんど外と同じじゃないか。このクソ寒いのに、なんでわざわざそんな所でやるんだよ」
「他に大勢で集まれる所が無いんだよ。ほら、俺はまだ持って行くものの準備があるから、お前はさっさと行け」
 ったく、あの親父め。
 親父にせかされて、渋々服を着替えて家を出る。外は大分冷え込んでいて思わず肩をぎゅっとすくめて背を震わせる。体を動かすと肋骨がしくしく痛んだ。明日辺りちゃんと医者に診てもらった方が良さそうだ。
 集会所は村の中央の広場に、雨避けの屋根と申し訳程度のテーブルとベンチを並べただけの代物である。普段は大人たちが寄り合いに使うぐらいで、俺達は特に関係の無い場所だ。ここは風が吹き抜けなので、夏場ならともかく秋口から初春にかけては日中でも使おうとは思わない。専ら村長の家を使うそうだが、今は鬼が襲撃した時に壊されてしまっているので仕方なくこっちを使うのだろう。しかし、いささか無理やりなような気もしてならない。
「お、みんな集まってるな」
 集会所には既に沢山の村人達が集まっていた。討伐隊のみんなも集まっている。四方にはそれぞれ大きな焚火を焚いているため、思ったよりも寒さは感じられなかった。というよりも、それ以上にこの集会所が人の熱気で溢れ返っているから誰も寒さを気にしないのだろう。
「……なんか、もう始まってるみたいだな」
 独特の酒の臭気が辺りに漂っている。そんな中で顔を真っ赤にしながらはしゃぐ大人達の姿は見苦しいと呼ぶ他ない。それでも楽しいと思えるのが酒の力なのだろうが、まだ飲んだことのない俺にとっては到底理解に苦しい話だ。
「ベル! もう大丈夫なんだ!?」
 集会所に踏み込んだ途端、突然ジャックに呼び止められた。どうやらまたこいつは準備から手伝っていたようである。
「まあな。ガーラントさんはいるか? 一応挨拶しておこうと思って」
「確か向こうの方に居たよ。まだ飲んでるはずだから」
 ジャックに連れて行かれたのは集会所の隅の方だった。討伐隊のリーダーだというのにどうしてそんな所にいるのだろうかと疑問に思ったが、ガーラントの気質は何となく羽目を外して騒ぎ立てるような感じではないと思ったから、そういう所で静かにちびちびやっていても不思議ではない。
 ガーラントは集会所の隅のベンチで一人、片手にはグラスを持ちながら静かに佇んで居た。よく見ると、もう片方の手の上に何かを乗せてじっと覗き込んでいる。よほど小さいものなのか、ここからでははっきりと見えない。
「ガーラントさん、この度は随分とお世話になりました」
 そう声をかけた途端、ガーラントはびくっと体を揺らして背筋を伸ばしたかと思うと、慌てて覗き込んでいたそれを懐の中へしまい込んだ。
「あ、君か……いや、こちらこそ助かりました。きっと君達がいなければ、今回の任務は成功しませんでしたから」
 よほど気を抜いていたのか、ばつの悪そうな微苦笑を浮かべて軽く一礼するガーラント。こんな無防備な姿はとても珍しかった。
「今、何を見ていたんです?」
「いえ、大したものではありませんよ。お守りみたいなものです」
 お守りでそんなにあたふたと懐に隠すのだろうか。そんな疑問を浮かべつつ、プライバシーを根掘り葉掘り訊くのもどうかと思い、あまり気にしない事にする。
「そういえば、君の事は聞きましたよ。なんでも鬼との戦いでお祖父さんを亡くされたとか」
「まあ、そういう事です。だから今回は、こうやって討伐隊に協力する不利をして自分で倒してやろうと思ってたんですよ。仇討ちもそうですし、俺は魔法が使えたから、それで有名になってやろうとも企んでました。でも結局はこの通りですけどね」
「そう卑下するものでもありませんよ。魔法はともかく、君はその歳で随分と行動力があります。それに一人で鬼に立ち向かおうとした勇気も素晴らしい。どうです? 良ければ帝都に来て騎士団に入りませんか? 君の年齢ではまだ試験は受けられませんが、私が紹介して来年の試験は受けられるよう何とか掛け合いますよ」
「え……俺がですか?」
「ええ。それとジャック君、君も。君は慎重で注意力もあるし、何より弓の腕が素晴らしい。きっといいコンビになれるよ」
 なんだ、二人でセットかよ。
 そう眉間に皺を寄せるものの、それでもあまり悪い気分では無かった。俺はあまりに大きく見過ぎた自分の虚像と現実とのギャップに落ち込んでいたのだが、そんな等身大の自分を評価してくれた事が素直に嬉しかったのだ。
「ちょっとだけ考えてみます。うちの親父がそういう事にはうるさくて。うまく黙らせれたら連絡しますよ」
「僕も今すぐにはちょっと……。でも、本当に出来るならやってみたいです」
「ああ、期待して待っているよ」
 自分が帝都の騎士団に入る姿を想像してみると、随分と当初の野望とはかけ離れてはいると思う。でも、それはただ自分が幼くてよく世の中の事が分かっていなかったから抱いていた夢であったというだけで、現実を知って目が覚めたというだけの事だ。だからガーラントがこうして評価してくれるのは喜ぶべき事である。それに、この現状に満足出来ないのであれば、それすらも踏み台にしてより高い目標を掲げていけば済むことだ。今の世の中には勇者なんてものもいなければ魔法も重要じゃない。だけど、自分が目指すべき高みは他にあるはずなのだ。祖父さんが危険を顧みずに戦った気持ちだって、いつかは本当に理解出来るようになる。
「あーっ、隊長! こんな所にいたんですか!」
「向こうでみんなと騒ぎましょうよ。また一人で写真眺めてたんですか?」
 その時、いきなり大声を発しながらやって来たのは討伐隊の隊員の二人だった。随分と酔いが回っているらしく、ふらつく足元を互いに肩を組んで支えあっている。顔も真っ赤で呂律も良く回ってなく、もう一時も飲み続けたら倒れてしまいそうだ。
「知ってる? 隊長って恋人の写真をいつもペンダントに入れて持ち歩いてるんだ」
「ふうん、さっき見ていた奴ですよね?」
 そう問うてみると、見るからにガーラントの表情は芳しくなかった。俺に、というよりも誰にも触れて欲しくなかった話題なのだろうか。
「……そうです。まあ、その事は別にいいでしょう」
 この話を早く終わらせようとするガーラントだったが、酔った二人は面白がっているのかそれを無視して更に話を続ける。
「それがね、聞いてよ。その恋人がなんと領主の一人娘でさ、実はこの間孕ませちゃって、そりゃもう領主がカンカンでさ。それでもその娘さんが必死で説得して、今回の任務が成功出来たら結婚を認めるって渋々約束させたってこと」
「俺達も隊長には世話になってるし、頑張ろうって思って。まあうまくいって良かったよ。隊長、来月はいよいよ結婚式ですね。やあ、おめでとー!」
 ガーラントは眉間に皺を寄せて重苦しい表情で額を押さえていた。出来ることなら知られたくなかったという事を、酔っ払いにべらべらと暴露されてしまったという苦悩の表情だ。
 なるほど、だからあんなに慌てて任務を達成しようとしていたのか。
 随分と私情が入り混じってるなと、人死にまで出したこの任務についてその姿勢はどうなのかと疑問を持ったが、初めから事情を知っていてそれでも最後までみんながついて来たという事はそれだけガーラントには人望があるという事なのだろう。あまりそういう事は俺に何とも言えなかった。そういう事を判断するだけの人生経験が無いと、ただそう思うのだ。
「もうその話は終わりです。私も飲みますから、いい加減もうやめて下さい」
「よし、そうこなくちゃ!」
「行きましょう、行きましょう!」
 ここに来た時はあんなに精悍だった討伐隊の面々も、今ではまるで大きな子供である。あれだけ危険な任務についていたのだから、その反動ではしゃぎたくなる気持ちも分からないではないが、仮にもそれなりの肩書を持った立場であるなら、もう少し考えて行動するものなんじゃないかと首を傾げたくなる。
 まあ、とにかく挨拶も済んだのだから、適当に何か食べてうちに帰って寝る事にしよう。今夜はもう出来るだけ体を動かしたくない。
 しかし、
「ほら、君達も来なさい。一緒に飲みましょう」
「い、いや、俺達はまだ早いですって。いいですよ」
 そんな抵抗も虚しく、俺達は無理やり一同に連れて行かれた。
 まあ、こういう事も社会勉強の一つとするか……。
 そう大きな溜息をつき、俺は取りあえずの覚悟を決めるのだった。