BACK

「ねえ、お腹空いたよー。我が腹中に雷鳴来たれり」
「はいはいはい、もうちょっと待ってね」
 とある山村の入り口に、二つの人影があった。
 一人は細身で撫肩の優男といった風貌の青年。肩から革袋に収めたマンドリンを下げている。その髪は輝くような銀髪で、それを振り乱しながら眉間に皺を寄せている。
 もう一人はグレーの外套に身を包んだブロンド髪の少女だった。先程から頭の上で駄々を捏ねる青年にややうんざりしているらしく、しきりに露骨な溜め息をついている。
 二人は村の中へ入ると、そのまま真っ直ぐ通りを進んで行った。
「なんか随分と静かな村ね。誰も歩いていないわ」
「それは今が昼時でみんな御飯を食べているからだと思うんだ。だから僕らも早急に、早急に食べるべきであって」
「だからそれは分かったから、少しぐらい我慢しなさい」
 二人は食事の出来る店を求めて歩いていた。初めて来る場所ならそこの住人に訊ねるのが一番手っ取り早く、今までもそうしてきていた。しかしこの村にはまるで人の行き交いが無く、訊ねようにも訊ねる事が出来ない。
 それでも鳴り止まない青年の駄々に少女の我慢の限界が近づいて来た頃、ようやく右手の先に一軒の酒場を見つける事が出来た。通常酒場は日が落ちてから開くものだが、昼間も食事を出す店としてやっているらしく、表には営業中の札を下げている。
「やれ、これぞ全能たる神の授けし福音! 我は風の如く此方へ走ろう!」
 突然、青年は韻を踏んだ口調で奇妙な言葉を口走りながら、酒場の入り口へ向かって駆け出した。
「ちょっと、こら! 待ちなさい!」
 慌てて少女は青年の後を追って酒場へと駆ける。しかし青年の足は少女よりも遥かに速く、あっと言う間に建物の中へ消えてしまった。後を追う少女がようやく辿り着いた時には、既に青年はテーブル席のひとつに腰掛けて店主にメニューを要求していた。
「あの……食事をしたいのですが、今やっていますか?」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっとそこに変なのがわいているから、こっちの席に来るといい」
「いえ、その変なのは私の連れです」
 少女は青年の隣へ腰を降ろすと、まず青年の後頭部をはたいた。すぐさま青年は抗議の視線を向けて来たが、しかし今度は両頬を強く左右に引っ張られ、遂には一言、ごめんなさい、と謝った。
 店内には二人の他に幾人かの客が来ていた。いずれも村の男達のようだったが、まだ昼間だというのに酒を飲んでいる。何かの休日で仕事を休んでいるにしては、口数も非常に少なく雰囲気が暗い。
「ねえ、何かこの村っておかしくない?」
 少女は声をひそめて青年に訊ねてみる。しかし、
「きっとそれは恋をしているからだよ。ああ、牛肉のレアステーキ、春野菜のミックスボウル、こんがり焼いたバターパン、僕も身を焦がすほど恋をしている。あとカボチャのポタージュも加えて」
 相変わらず韻を踏んだ奇妙な口調で主観を繰り返すばかりで、まるで意志の疎通が出来ない。満腹にならないと会話は不可能だと、少女は溜め息をつきながら諦めた。
 注文してからしばらくして、店主が二人のテーブルへ料理を運んで来た。
「あんたらは旅をしているのかい?」
「ええ、まあちょっと訳有りで」
「そうか。だが、悪いことは言わないから、これを食べたらさっさと村から出て行ってくれないか。余所者は長居しない方がいい」
「どうしてですか?」
「あんまり深入りしない方がいいから」
 詳細を口にする事を渋る店主の様子に少女は釈然としない表情を浮かべつつも、自分も空腹であるため食事を優先する事にした。既に隣では青年が黙々と食事を始めている。
 それにしても、どうしてこんな陰気臭いのだろうか。少女はこの店だけで無く、村全体の雰囲気を訝しんでいた。店主の口調からしてみればどうやら何か訳有りの様子ではある。ここは忠告に従って早目に村を出るべきだろうが、次の村まで日が落ちる前に辿りつけるかどうか分からない。今日は朝から歩き詰めでもあるし、この村で宿を取りたい所だが。
 隣の青年へ視線を向けると、夢中になって食事を取っている真っ最中だった。相談した所でまともに受け答えてくれそうにはない。
「ほら、パンくずついてるよ」
「うむう、それはまことに残念」
 残念じゃねえよ、と小さくつぶやき少女は青年の口元についたパンくずを取ってやる。それに気づく様子もない青年に、少女は溜め息交じりに微苦笑し指先を軽く嘗めた。
 と、その時だった。不意に店内へ三つの人影が入ってきた。店内が一瞬どよめき、たちまち静まり返って空気が凍りつく。ただでさえ少なかった口数は皆無となる。
「なんだなんだ、昼間だというのに随分景気が良さそうだな」
 そう声を張り上げたのは、まだ幼さの残る顔立ちの少年だった。少年は倍以上も背丈のある屈強な大男を引き連れ、ずかずかと店の真ん中へと立った。
「幾ら売れた所で、みんな税金で持って行かれちまう。景気なんか良くなりゃしねえよ」
 店主は皮肉たっぷりにそう吐き捨てる。その反抗的な様にすぐさま従者の大男二人は前へ踏み出たものの、少年が右手を肩ほどの高さまで上げ制止の合図をすると、それに従ってその場に留まった。
 片手でも捻り潰せるような少年に顎で使われる大男二人。その構図は少女の目に歪な光景に映った。店主の忠告の意味を推測した少女は、あまり目立つまいと息をひそめた。
 しかし、
「店主、お茶をひとつくれまいか。この素晴らしき節目に最高の一杯を」
 青年が空気も読まず、少年よりも更に通る声で店主へ注文を投げた。隣の少女はすかさず脇腹へ肘鉄を入れたものの、青年は何が悪いのかと不思議そうに小首を傾げた。
「何だお前ら? 見慣れない顔だな」
 少年は見下ろすような目付きで視線を向ける。二人を訝しく思ったのか、そのままつかつかとテーブルの前まで歩み寄った。
「小生、グリエルモと申します。こちらは小生の心の太陽、ソフィア嬢でござい」
 明らかに機嫌を損ねている少年の様子に、周囲の緊張感は最高潮に達している。にもかかわらず、青年は韻を踏んだわざとらしい口調で、演技がかった自己紹介を飄々と繰り広げてしまった。
 グリエルモと名乗った青年の態度に少年は不機嫌を苛立ちに変えて頬を引きつらせると、おもむろに左手を肩ほどに上げた。すると大男の片方が目の前の椅子を持ち上げると、いきなりそれを振り上げたかと思うなりそのまま青年の頭へ振り下ろした。
「キャッ!?」
 打ち付けた拍子に椅子は足を残して粉々に砕け散った。飛び散った破片に驚いたソフィアは手で顔を覆いながら悲鳴を上げる。
「この俺にふざけた態度を取る事は、たとえ余所者でも許さん」
 従者の働きに満足した少年はくるりと踵を返した。この出来事にどよめく村人達の様子に少年は心地良さそうに胸を撫で下ろす。しかし、
「あ、あの……」
 少年に狼狽した様子で話しかけるのは、青年を打ちのめした従者の一人だった。自分の力を誇示し心地良い気分に浸っていた少年だったが、それに水を差され再び不機嫌そうに眉をひそめた。
「何だ、どうした?」
「いえ、その……」
 要領を得ない男の口調に奥歯を噛んだ少年は返したばかりの踵を戻した。
「ッ!?」
 その瞬間、少年は目の前の光景を見て驚愕に目を見開いた。テーブルの傍らには、壊れた椅子の脚を持ったまま直立する従者の姿があった。しかしその向こうでは、頭を椅子で殴られたはずの青年が平然と座り頭を掻いていた。村人達のどよめきは、青年が殴られた事ではなくこの事によるものだったのだ。
 初め、何故自分が皆に注目されているのだろうと不思議に思っていたグリエルモだったが、幾分か遅れて平然としている自分にふと気づき、途端に頭を抱えて傍らのソフィアに項垂れかかった。
「ぬうっ! これは痛し! 神の鉄槌に我が身、打たれり! ああ、何という悲劇!」
「あらあら、これは大変。今夜が峠でしょう。悲劇ねえ」
「遂に我が命運も死の神の手に搦め捕られたか! 如何様にこの宿命に立ち向かえしか! 我に神託を!」
「とりあえず人参を残さず食べなさい。死神は人参を食べる人が嫌いなのよ。あ、またホウレン草も残してるし。ホウレン草は死神避けのお守りだから食べなさい」
 ソフィアはグリエルモの頭を西瓜の中身を確かめるように叩きながら、適当に受け流しつつも子供の躾に似た方向へ持って行く。それを受けてグリエルモはさも頭痛で言葉が届いていないかのように唸り悶えた。
 滑稽な二人のやり取りに、あちこちから押し殺した笑い声が聞こえて来る。
 確かに少年の従者はグリエルモの頭を椅子で殴り飛ばした。それも椅子が壊れるほどの激しい勢いでだ。にもかかわらず、平然と構えているばかりか目の前で冗談に戯れている。前に同じ制裁を加えた男は、頭から血を流して意識すら保つ事が出来なかった。それよりも遥かに華奢な人間が普通に耐え得るとは到底考えにくい。
 これはもしかすると、只者ではないのかもしれない。
 そう危険を感じ取った少年は、もう一度殴ろうとする従者を制止し、出口の方へと向かった。
「フン……今日はこのぐらいで勘弁してやる。余所者は通行料を払うルールだ。発つ時まで良く覚えておけ」
 最後にそんな捨て台詞を残し、三人は酒場を後にした。高慢な少年が誰の耳にも負け惜しみと分かる台詞を吐いて退散する事態に、村人達は出て行く少年達とグリエルモとを驚きながら見比べていた。
 その一方で、
「ほら、怖い人は行ったから。人参とホウレン草を食べなさい」
「うむう、何という苛酷な試練を強いるか。何とか回避の道は無いのであろうか?」
「私を倒すしかないわね」
 二人は相変わらずのやり取りを続けていた。