BACK

 夕刻、村のとある宿屋の一室で二人は出かける準備をしていた。二人は行く先々の酒場で歌と音楽を披露して路銀を稼ぐ旅芸人、今夜も営業に出ようとしているのである。
「ねえ、今日だけどさ、久々に新譜を書いたからそれをやろうと思うんだけど」
「あら、どんな歌なの?」
「今回は自信作だよ。『ああー、俺達は打ちひしがれた馬車馬さー、いつもいつも鞭打たれるーうー』。労働者のハートをがっちりホールド」
「そうねえ、この村じゃなくてもっと大きい街ならウケると思うわ。生活に余裕がある人じゃないと、洒落だって分かってくれないわよ」
「洒落じゃないよ、風刺だよ。汗水垂らして働く様を哀れな馬とかけているんだ」
「風刺はね、社会的強者を扱わないと単なる中傷になるのよ」
「うむう、難しいねえ社会は」
 鏡の前で髪を梳くソフィアは、白地に赤い糸と金糸の刺繍が施されたステージ用の衣装に着替えていた。グリエルモもまた貴族風のフリルシャツに光沢のある黒のズボンという服装である。グリエルモはいささか線が細いものの長身と目を引く珍しい銀髪があるためか、本物の貴族にも劣らぬ存在感と魅力があった。だが、ベッドへ仰向けに寝転がりながら、ソフィアに批判された歌詞を見て眉間に皺を寄せながら足をばたつかせている姿は、我侭な子供と言うべきものである。
「今日はどうする? さっきの酒場にする?」
「うむ、あそこの店主は芸術肌であるから反対はしないよ。小生、どうせ歌うならば芸術を理解出来る者の前で歌いからねえ」
「だからアンタには歌わせないって」
 髪形を整え薄化粧を施したソフィアは化粧道具を片付けると、かけてあった外套を取りすっぽりと体を覆った。
「さ、そろそろ行くよ。ほら、衣装で寝転がらないで。皺になっちゃうじゃない」
「心得た。ところでさっきの新譜の話だけど、『俺達』を『貴族』へ変えたら問題ないと思うんだ。『ああー、貴族は打ちひしがれた馬車馬さー、いつもいつも鞭打たれるーうー』となるから、きっと民衆ウケするはずだよ」
「あのね、貴族に鞭打てるのは王様しかいないでしょ? そんな歌を歌ってると、不敬罪で縛り首よ」
「うむ……じゃあ、『貴族』じゃなくていっそ『王様』に」
「いきなり執行官がお迎えに来るでしょうね」
 それでも納得できないと言いたげに口を尖らすグリエルモだったがソフィアに尻を叩かれ、止む無く上着へ袖を通しマンドリンの入った皮袋を背負った。
 その時だった。
「あら?」
 丁度ソフィアが手をかけようとしていた部屋のドアを、いきなり外からノックされた。
「どなたですか?」
『この村の村長でございます。大切なお話があるので開けて頂け無いでしょうか』
 ドアに向けたソフィアの誰何に対し、返って来たのは老齢のしわがれた男の声だった。
 やっぱり面倒臭い事になっちゃったか。
 そう溜息をついたソフィアは、じろりとグリエルモに非難めいた視線を向けた。しかし何の事なのか理解が出来なかったグリエルモはそれを好意的に解釈し、にこやかな笑顔を返してソフィアに冷たい視線を浴びる。
「はーいはい、どうぞ」
 さも面倒臭そうにドアを開けるソフィア。ドアの向こう側には枯れ木のように痩せ細った禿頭の老人と、昼間の酒場の店主が立っていた。
「失礼いたします」
 きょろきょろと辺りを警戒しながら部屋の中へ入る二人。その仕草でどういった件で訊ねてきたのかを理解したソフィアは、更にもう一度大きな溜息をつきたくなった。
「それで、どういった御用かしら?」
「はい、実はそちらのグリエルモ様に折り入った頼みがございまして」
 グリエルモ様? 折り入った頼み?
 如何にもグリエルモが好みそうな不穏当なフレーズに、ソフィアは俄かに危機感を募らせた。そして案の定、グリエルモは急に表情を生き生きとさせると、ベッドへ腰掛けキザったらしく足を高々と組んで見せた。調子に乗り始める前兆である。
「ほう、小生に頼みごととは。村起こし事業の宣伝か何かかね? うむ、宣伝に歌は付き物だ」
「いいえ、そうではございませぬ。ご存知の通り、この村はあの忌々しい悪童アクバルに支配されております。このままでは我々は一生アクバルの奴隷です。どうか貴方様に、この村をお救いして貰いたく参上した次第でございます」
「どうかお願いいたします。ゼントク様もおられない以上は、もはや貴方様だけが頼りなのです」
 二人は床に両膝をつき平伏しながら、グリエルモへ必死に訴えかける。グリエルモはいささか驚いた様子でそんな二人を見、小さく息をつきながら右手で顎を触り小首を傾げる。
「ふむ、断る」
 グリエルモは、驚くほどあっさりした様子で拒否の意を示した。
 思わぬ反応に二人は狼狽の色を覗かせる一方、ソフィアは安堵の溜息を小さくつく。
「な、何故でしょう? 礼金ならば多くは出せませんが必ず御用意いたします。貴方様ならばきっとアクバルの手下も赤子の手を捻るようなものでしょう。どうか、人助けだと思って」
「小生、故あって暴力を封じた身。たとえ如何なる理由であろうと、争い事には関わらぬ」
「そこをどうにか、今回ばかりは御曲げ下さい」
「ならん。自ら曲げぬと決めたものは他人に言われて曲げる道理があろうか。そう、これはうーんめいー」
 頑なに、歌すら交えて拒否するグリエルモ。本人にその意思はないのだが、ただの拒否ではなく二人を小馬鹿にしているようにすら見える光景だ。しかし、それほどの仕打ちを受けても二人は平伏したまま尚も食い下がった。グリエルモは拒否の一点張りだが、必死の形相である二人には到底承服する意志は無い。
「どうかお願いします!」
「それはできないー、私は弓より花を愛すー」
「村をお救い下さい!」
「時に神は無慈悲なのさー、救う村あれば見捨てる村もあるー」
 あまりに何度も食い下がる二人を見て、遂にグリエルモは面倒臭そうな表情を露骨に浮かべ始めた。あしらい方も目に見えて雑になっている。
 グリエルモの倫理観からすると、そろそろもう一段階上の暴言が飛び出すのではないだろうか。さすがにそこまで来れば、いい加減村人も諦めてくれるかもしれない。そうソフィアはたかをくくった。
 しかし、それじゃ幾らなんでも後味悪いよねえ……。
 ひとまずグリエルモが拒否を示したので安心して静観していたソフィアだったが、あまりに必死で食い下がる二人がにべもなく追い払われるのを見ていて急に哀れに思えてきてしまった。
「ねえ、グリ。でもさ、暴力が駄目でも説得は出来るんじゃないの? ほら、いい歌を聞かせてあげればきっと改心してくれると思うよ」
 すると、よほどその言葉が琴線に触れたのか、唐突にグリエルモは歌をやめ動きを止めると、右手で顎を触れて眉間に皺を寄せながら考え込み始める。それからゆっくり数度も息を吐いた後、何かを思いついたのかぱっと表情を明るめた。
「ふむ、それも一理ある。小生が心を込めて歌えば、きっと悪党も性根を入れ替えるであろう。英雄が剣を持つならば吟遊詩人は歌を持つと、そして混迷を切り裂き光をもたらさんと、そういう発想だね?」
「ええ、まあ、大筋は」
「ならば、この巡り合わせは、まさに運命!」
「そ、そうですよ! うーんめいー!」
「うーんめいー! 村を救う、うーんめいー!」
 ソフィアの一言で急に心変わりを見せたグリエルモに、村長と店主はすぐさま追従する。
 さっきまでは泣き出しそうな顔だったというのに、この変わり身の早さは一体何だろうか。大の大人が子供のようにはしゃぐ様に、ソフィアはすっかり呆れ返っていた。
「小生、半年前に徳を尊ぶ歌を書き上げた所だ。どれ、せっかくだからここで一曲しんぜよう」
 意気揚々とグリエルモはマンドリンへ手を伸ばした。同時に店主の笑みが引きつる。しかし、
「あー、駄目駄目。時間も時間だし、みんなに迷惑でしょう」
「なんと、それは横暴な。良い曲は如何なる時でも人の心を潤すものだ」
「今日は日中歌いながら喋ってたでしょう。喉も少しは休めないと、説得の時に差し支えるでしょう」
「ふむ、それもそうだ。小生、今宵は一切喋らぬぞ」
 そう言ったきり、グリエルモは口を閉ざし一切喋らなくなってしまった。
 村長と店主は、ソフィアの言う事には素直に従うグリエルモの習性に気付いたのか、今度はソフィアに向かって愛想を振り撒き始めた。しかしソフィアは単純に気持ち悪いと思い、奥歯を噛みながら苦笑いを浮かべた。
「では、我々はこれにて。早速、明日の準備に取り掛かりますので。後から使いの者をよこしますので、連絡はその時に」
「はいはい、おやすみなさい」
 グリエルモは指で了解のサインを出す。あくまで宣言した通り喋らないつもりのようだ。そしてグリエルモは一冊のノートを開いてを二人へかざした。
「『夜道にお気をつけられよ』……?」
 気をつけて帰るようにという挨拶のつもりだろうが、これでは脅迫文のようである。