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 夜の酒場に拍手と歓声が響き渡る。
「どうもありがとうございます」
 中心に立つのは白い衣装に着替えたソフィアとマンドリンを構えるグリエルモ。
 ソフィアは昼間とは打って変わり、終始落ち着いた態度で物静かに立ち振る舞っている。その一方で歌姫の演奏を担当するグリエルモもまた昼間のように無闇な自己主張もない。当初の印象とは異なる顔を見せられた事に驚いた客達は驚くものの、すぐに二人を歓迎し曲を楽しんだ。酒の勢いや昼間の抑圧もあってか普段以上に場は盛り上がっていた。熱狂はソフィアにとって心地良いものだった。盛り上がれば盛り上がるだけ金払いが良くなるからである。
「さてそれでは、続いての曲です。次は何でしょう?」
 ソフィアに淑やかに問われたグリエルモはすかさずフリップを示す。
「『僕らはみんな馬車馬さ』? グリ、それはやらないって言ったばかりじゃない」
 演技がかった素振りで困った仕草を見せるソフィア。しかしグリエルモは無言でフリップを前に出して強調する。どうしてもこれをやって欲しいと言わんばかりの表情だ。ようやく本調子が出てきたと皆は口元を緩ませる。
 すると客の一人が立ち上がってソフィアに問いかけた。
「ねえ、それはどんな歌?」
「これ? 相方が最近作った歌なんだけど、歌詞に問題があって見送りにしたの」
「どんな問題?」
「もしかすると火あぶりにされるかもしれない問題。ちなみにこの中で、お役所に勤めてる方かそういう身内のいる方はいますか?」
「あ、俺の叔父が聖都で憲兵してる」
「あら大変。もし捕まえるなら相方だけにしてね。私、王様の悪口なんて歌ってないから」
 どっと沸きあがる笑い声。しかしグリエルモは一人だけ状況が良く分かっていないのか、きょとんとした表情で首を傾げている。営業スマイルを浮かべるソフィアとマイペースなグリエルモの構図は、客達には非常に滑稽に映り尚更笑いを誘った。
 その時だった。
 突然、酒場の入り口のドアが外から乱暴に蹴り開かれた。続いて入って来たのは柄の悪い男達が四人、その内の一人は昼間にグリエルモを椅子で殴ったあの男だった。
 アクバルの手下達の乱入に蒼然となる一同。ソフィアは初めこそ営業の邪魔をされ不機嫌な表情を浮かべるものの、目立つ場所にいるため自分が目標にされかねず、まずは身の安全とばかりにそそくさと店の隅へ避難した。
「何の用だ? 今月の税ならもう払っただろう」
 カウンター越しに店主があてつけがましくそう問う。しかし男達は底意地の悪い笑みを浮かべながら飄々と構える。
「酒を飲みに来ただけだ。そう構えるなよ」
「それに今夜は珍しく旅芸人も来ているようだしな。俺らだってたまには楽しみたいんだよ」
「せっかく来て貰って悪いがね、今夜はもう満席だ。またにして貰えるか?」
「なんだ、そんな事ならこっちで用意するさ」
 そう言って男の一人が近くのテーブルへと近づく。
「よう、もうそろそろ家に帰れよ」
「え……いや、その」
「いいから帰れって。明日も仕事だろう?」
 手近のテーブルで気味の悪い声色を使いながら客に圧力をかけてくる。客も返事に困窮し歯切れが悪くなっているが、尚も男はじわりと圧力をかけて席から立たせようとする。
 状況を見守っていたソフィアは芳しくない展開に眉間に皺を寄せ始めた。あれは確実に昼間の復讐、嫌がらせだ。せっかくここまで盛り上げたというのに、これでは全部台無しである。人間、気分が良い時は勢いでお金を多めに払ってくれるのだが、逆に沈んでいる所に請求するのは非常にやり辛い。
「ちょっと、グリ。あれ何とかしてよ。営業妨害だわ」
 するとグリエルモは無言のまま首を横に振った。
「黙ってないで何とか言いなさい。このままじゃお金取り辛くなるじゃないの」
 グリエルモは僅かに首を傾げ、もう一度首を横に振る。
「さっきから何で黙ってるのよ」
 グリエルモはノートにペンを走らせソフィアに見せる。
「『明日に備えて喉を温存』? まさか宿でのことを真に受けてたの? あのね、ちょっとやそっと叫んだって喉がどうにかなる訳ないじゃない。そもそも、今まで声なんて枯らしたことあった?」
 再びグリエルモがペンを走らせる。
「『小生、常に全力がモットー』って、今こそ全力を出す時じゃない。ほら、あそこに悪者がいるのよ。可愛そうな村人が家畜のように……え? 『人間社会は複雑な階級制度で成り立っているからね』? 言い訳するんじゃないの。さっさと追い出して来なさい。これも人助けよ」
 ソフィアは苛立ちながらグリエルモの頭をはたいた。しかしグリエルモは完全には状況を理解していないらしく、少し悲しそうな眼差しでソフィアを見返した。そして再びノートへペンを走らせる。
「よう、何そこでこそこそしてるんだ? 早く歌えよ。お前ら旅芸人だろうが」
 不意に四人の中で一番柄の悪い男が歩み寄って来た。咄嗟にソフィアはグリエルモからマンドリンを奪い取ると、襟を掴んで強引に男の方へと突き出した。その折にグリエルモは書きかけていたノートを取り落とす。そこには『後でハチミツ買ってね。ところで今度ハチミツの歌なんか』と走り書きされていた。ソフィアはそのページを破り捨て見なかったことにする。
「ん? お前は……」
 いきなり目の前に出されたグリエルモに、男は早くも警戒する素振りを見せた。おそらく昼間の出来事を交えて、銀髪の男がいたら注意するよう聞かされているためだろう。
「小生、グリエルモと申す。吟遊詩人を生業とし、人間史に金字塔を打ち立てる予定である」
「お前がそうか。思ったほどじゃねえな」
「ふむ、小生に何か用かね? そうか、言わずとも分かる。君は音楽に興味があるのだね?」
「はあ? 何訳の分からねえ事を言ってんだ」
「ソフィア嬢より君達は悪者と聞いていたが、音楽好きに悪者はいない。特に小生の音楽なら尚更だ。何か誤解があったようだ」
「分かんねえ奴だな」
 すると、男はいきなり右の拳をグリエルモの顔に目掛けて繰り出した。
 幾つかの悲鳴と鈍い音が店内へ響き渡る。そして誰もが血の赤を連想してしまった。
「ッ!?」
 だが、驚いたのは男の方だった。男は金属製のナックルを指にはめて殴りかかったのだが、グリエルモはそれを真っ向から頬で受け止めたばかりか平然と立っていたからである。
「なんだね、これは? ほほう、これは面白い形状だ」
 グリエルモは驚く男の手を掴み、指にはまっていたナックルと取り上げる。五つの輪が繋がった珍しいデザインに興味を引かれたのか、持ち上げてかざしながら様々な角度で見回し始める。
 男の方はその場に凍りついていた。ナックルをはめた拳で殴れば易々と骨すら折るというのに、それを平然と顔で受け止めるだけでなく殴られた箇所は腫れすらしていない。少なくとも一般的な常識に住む人間には絶対に有り得ない事だ。
「で? これは何に使うのかね? アクセサリーにしてはいささか無粋だが」
「あ、ああ……その、アレだ。クルミを割るのに使う……」
「ほう、小生クルミは好物である。ありがたく戴くとしよう」
 見た目によらず小心者なのか、すっかり戦意を失った男は急に語気を弱めてしどろもどろにそう答えた。グリエルモはよほど気に入ったのか取り上げたナックルをポケットへ入れてしまった。男は一言も譲るとは言っていないのだが、貰えるものだと解釈してしまったグリエルモに対して非難する気力は既に残っていなかった。
「さて、そちらの御三方も。小生と一曲歌おうではないか」
 今の一部始終を見ていた三人だったが、出来事よりもグリエルモの馴れ馴れしい態度の方が気に障り、舌打ちをしながら向かっていった。
「おい、てめえ。いつまでもふざけてんじゃねえぞ。俺らがいつまでも甘い顔してると思うなよ」
 おそらく四人の中で一番血の気の多い者であろう男が真っ先に噛み付いた。胸を突き飛ばされたグリエルモだったが、まるで銅像のようにびくともせず、逆に噛み付いた男の方が一歩下がって距離を調整してしまった。
「甘い顔? ふむ、君の顔は下の中ぐらいにしか見えぬが」
「てめえ……本気でブッ殺されたいようだな。ふざけた事ばかり言いやがって」
 殺気立つ四人に取り囲まれたグリエルモ。しかしよく状況を理解していないのかきょとんとした表情をしている。客達はグリエルモの動向を不安げに見ていたものの、一人として加勢しようとはせずに見守るばかりだった。
「これ、そのような言葉は宜しくない。美しい言葉使いを心がけば、美しい歌詞は歌えぬぞ。第一心がこもらぬ」
「お前の寝言は聞き飽きた。少し痛い目を見なきゃ分からんらしいな」
 その時、グリエルモの背後に立っていた男がポケットからナイフを取り出した。
 それを見た店主がすかさず叫ぶ。
「危ない!」