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 グリエルモは盛んに打ち鳴らされるドアの音で目を覚ました。
『グリエルモさん、大変です! ここを開けて下さい!』
 ドアの外からはやけに焦った男の叫び声が聞こえて来る。
 寝起きの悪いグリエルモは、思うように動かない頭で周囲を見渡しゆっくりと上体を起こす。両手を組んで体を頭上へ伸ばし、背骨を鳴らす。
 いつの間にか眠ってしまったらしく、窓からは朝日が差し込んでいる。窓を開けると雲ひとつ無い晴天だった。風も涼やかで心地良い。
「ねえ、ソフィア。今日はいい天気だねえ。こんな日は外で一曲歌おうよ」
 そうグリエルモは機嫌良く話しかける。しかし、
『ちょっと、早く開けて下さいよ! おい、マスターキーはまだか!?』
『やっと見つけてきたぞ! 今開けてや……おい、鍵穴潰されてるぞ! あの野郎、やりやがったな!』
『くそっ、絶対村八分にしてやる!』
 返って来たのは、ドアの外から聞こえて来るけたたましい騒音だけである。
 朝の爽やかな一時を妨害され途端に不機嫌になったグリエルモは、苛立ちも露にベッドから出ると激しく打ち鳴らされるドアを開けた。
「何かね、君達は。少々リズムがなっていないのではないかね? 小生、朝は緩やかに過ごす主義なのだがね」
 ドアの向こう側にいたのは、数名の村人だった。突然ドアを開けられ睨みつけられた彼らは驚きで一瞬唖然と固まるものの、すぐさまグリエルモに食って掛かる。
「ちょっと、大変なんですよ! 何をしてるんですか!?」
「この村には旅人を罵る習慣でもあるのかね? 今のドア叩きは、乱暴なノックではなく村の伝統音楽であると? そういった悪習は今すぐ止めたまえ。文化的に成熟せんよ」
「違いますよ! なんでそんな悠長に構えてるんですか! ソフィアさんがさらわれたんですよ!?」
 意外な言葉にグリエルモは首を傾げる。その表情は、一体何を言っているのか、と疑った表情である。
「何を馬鹿な事を。ソフィア嬢とは昨夜より片時も離れてはおらぬ。いわばー、魂の片割れー、二人でひとーつ」
「だったらこれを見て下さいよ! っていうか、今部屋にいないでしょう!? 気づかないんですか、あんた!」
 そう言って突きつけられたのは一枚の紙だった。グリエルモはうんざりとした表情で紙を受け取るも、ぐしゃりと握り潰し目も通そうとしない。
「ソフィアー、ちょっと出てきてよ。なんか君がさらわれたって騒ぐ人がいて困ってるんだよ」
 グリエルモは部屋の中へ向かってそう呼びかけた。しかし、すぐに返って来ると思われた返答は一向に訪れない。
「あ、もしかして御化粧? そんなものをしなくても、君は十分綺麗だよ。いや、どうしてもっていうなら仕方ないけれど。それだったら一声返事だけでもしてくれないかな? 此処に声を聞かせろと未開人が押し寄せていてね」
 けれど、やはりそれでも返事は一向に返って来ない。耳を澄ましてみたが、声どころか布擦れや呼吸の音さえ聞こえて来なかった。
 ようやく不審に思ったグリエルモは、俄に焦りの表情を浮かべ部屋の中を探し始めた。だが望んだソフィアの姿は見つける事は出来ず、代わりに散乱した荷物を見つけてしまった。几帳面なソフィアが、荷物を散らかしたまま出掛ける事など有り得ない。明らかに不自然な状況である。
 昨夜、ソフィアを最後に見たのは自分が用意した風呂へ入る所だった。その後自分はすぐに眠ってしまったが、仮に何か異変が起これば目を覚まさないはずがない。そのため、てっきりいつも通り就寝したのだと思っていたのだが。
「貴様ら……」
 そして、おもむろに振り返ったグリエルモは村人達を殺気だった目で睨みつけた。明らかに自分達が疑われていると思った村人達は慌てて説明する。
「ちょっ、違いますよ! 俺達じゃありません! とにかく、その紙を見て下さいって!」
「この紙が何だと言うのだ。むう……マンドリン弾きの馬鹿へ、お前の女は預かった、自分の命が惜しくば今日中におとなしく村を出ろ、それで女は解放してやる、我らの希望の星アクバル……」
「そういう事なんです! 明らかにグリエルモさんに宛てた脅迫状ですよ! これが村の中央広場の掲示板に張られていて、ついさっきこの宿の主人を締め上げたらあっさり白状しました! アクバルの奴に買収されて、カギをこっそり開けやがったそうです!」
「アクバルのやつ、ガキの癖に最近は色気づきやがったから、こうやって若い女に手を出し始めて。とにかく、早く助けに行きましょう! ぼやぼやしてる暇はないです!」
「そうです、これ以上アクバルをのさばらせてはおけない! 今から急いで村の男達を集めますんで、アクバルの屋敷へ乗り込みましょう!」
 だが、グリエルモは紙を握り締めたままぷるぷると震えるだけだった。
「どうしたんですか、グリエルモさん! みんなでやればアクバルなんてなんてことありませんよ! ソフィアさんを取り返しましょう!」
 すると、
「おのれ、よくも……」
 ぼそりと呟くグリエルモはおもむろに振り返った。そのあまりに殺気だった声、表情に、村人達は思わず蒼然とした。これまでの飄々とした姿からはとても想像出来ないほどの変貌ぶりである。
「殺す……いや、殺してはいけないあまり…暴力は封じた身である……、ならば死なさずに殺す……とどのつまり、血をどれだけ流すか」
 ぶつぶつと不穏当な言葉を呟くグリエルモ。そのあまりに異様な様子に固唾を飲んで見守る村人達。
 そして、
「よし、半殺しで許してやろう。それなら暴力ではない。うむ、そうだ、そうしよう」
 突然グリエルモは窓へ足をかけると、そのまま外へ飛び出した。
「あっ! な、何を!?」
 驚いて窓へ駆け寄る村人達。しかし、どういう訳か下にはグリエルモの姿は無かった。まるで煙のように忽然と消え失せてしまったのである。