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 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
「んー……」
 かなり広い大部屋にいるせいか、やたら自分の声が通って聞こえる。この部屋には自分以外にも数人ほどいるのか、先程からあちこちではしゃぐような嬌声が反響し聞こえて来る。大勢の声が聞こえてくるのに少しも煩く感じないのは、それほど部屋が広いという事になる。だが、昨夜自分が眠りについたのはもっとこじんまりとした安っぽい部屋だったはずだ。そもそも、どうしてグリエルモ以外の人間の声が聞こえてくるのだろうか。
 寝ぼけながらも何となしに違和感を感じたソフィアは、起こしかけた頭を枕へ戻して一度目を閉じると、体を丸め額を押さえながら昨夜の記憶を掘り起こす。昨夜は営業が終わって真っ直ぐ宿へ戻った後、グリエルモに用意させた風呂に入ってからそのままベッドへ入ったはず。節々は覚えていないものの大方この通りのはずで、少なくとも突拍子も無い事はしていない。しかし、今自分が置かれている状況とどうしても最後の記憶は繋がって来ない。普通に考えて、一晩経って目が覚めたら見知らぬ場所にいたというのはただの怪談である。
「何で私こんな所いるの!?」
 ようやく異変を異変と認識したソフィアは、飛び起きながら素っ頓狂な声で叫んだ。
 すぐさま状況を確認しようと慌てて部屋を見回す。ここは軽く三十メートル四方はあろうかという大部屋で、部屋中のあちこちにソファーやベッドといった家具、そして出所の良く分からない調度品が並んでいた。だが互いに互いのベッドが見える配置が少々目に付く。実際に寝る人ではない、他の誰かの意図が感じられる配置だ。
「これまでで一番面白い反応よね」
「本当、いきなり叫ぶなんて。もしかして狙ってた?」
 貪るように状況の理解に努めるソフィアに、さも愉快そうな声で話しかけてくる二人の女性。彼女らは丁度部屋の中心にある大きな円卓を囲むソファーから身を乗り出し、こちらを見やっていた。彼女らの他にも数名の女性の姿があり、何やら楽しげに談笑をしている。いずれも、さほど歳は変わらない若い女性。強いて挙げればいずれも美しい女性ばかりだった。
「やっぱり状況も分からないでしょう? 見慣れない顔だけど、旅の人かしら?」
「ええ、そうですけど。この村には昨日来たばかりで」
「じゃあ、アクバルの事は知ってるよね。ここは奴の屋敷よ」
「え、っていう事は……」
「その通り、あなたはさらわれて来たって訳」
 自分がまさか誘拐されるとは思ってもみなかったソフィアは驚きを隠せなかった。けれど、それがあのアクバルの仕業ともなれば思い当たる節は一応あるため、こういう末路を辿った事にも遺憾ながら合点がいく。
 昨夜自分はベッドに入った所まで記憶があるから、さらわれたのはその後という事になる。大方宿の主人もグルだったのだろうが、問題なのはグリエルモだ。自分は眠りの魔法でも使われたから、運び出す時に目が覚めなかったのだろう。けれど、魔法の効かないグリエルモがどうしてその異変に気付けなかったのか。
「いや、それでもあいつは起きない。そういう男だった……」
 ソフィアは溜息をつきながら不甲斐なさにがっくりと肩を落とす。普段は問題ばかり起こしてほとんど役に立たない相方ではあるが、特にこういう時こそ力を発揮して欲しいと心底思った。
「ねえ、ところでお名前は?」
「私、ソフィアといいます。よろしく」
「じゃあソフィア。あっちに洗面所があるから、とりあえず顔を洗って朝食にしましょ? ゆっくりお茶でも飲んだらきっと落ち着くと思うわ」
「はあ……まあ、そうですね」
 ソフィアは溜息をつきながらも洗面所の方へ向かった。
 それにしても一体お茶を飲んで落ち着いてどうするのか、ソフィアは釈然としなかった。この部屋の人間がみんな落ち着いている事がどうにも納得が行かない。脱出できないにしても、誘拐されたのであればもっと深刻な表情をするなりするのが普通の反応だ。どうして彼女達はああも平然としていられるのだろうか。
「うわ、凄い……」
 洗面所はとても田舎村の屋敷とは思えないほど豪勢だった。洗面台が六つも並び、しかもそれぞれに化粧品まで揃っている。用意されたタオルも明らかに新品だ。都会の馬鹿高い高級宿でもなければ考えられない豪華さである。
 身支度を終えて戻ってくると、部屋には朝食が運び込まれていた。朝からメニューも豊富でかなり高級そうな食事である。
「さあ、みんな食べましょ」
 ソフィアの心境は有耶無耶になったまま朝食が始まる。しかし、楽しげに食事する一同を他所にどうにも緊張感や危機感の無い空気に馴染めずとても食指が動かない。食事よりも重要な事があるのでは、という不安から食欲を抑えられてしまうのだ。
「あら? もしかして口に合わない?」
「いえ、その、朝はあまり食べない方なので」
「そっか。別に美味しくなかったら残してもいいからね。うわ、今朝のスープまっずいわ。無理無理、有り得ない」
「あの、ところで。なんでそんなに落ち着いてるんですか? みんな誘拐されて来たんですよね」
「まあね。でも、ここにいる方が贅沢な暮らし出来るし」
「そうそう。ちょっとあの坊やの相手してあげればいいからさ。子供の一人や二人、言い包めるなんてチョロイものよ」
「なるほど……」
 なんだ、みんなこの状況をむしろ楽しんでいるんだ。
 そういう事なら話は早い。たちまち状況が把握できたソフィアは、胸のつかえが取れて急に気分が晴れやかになった。何をされるのかはともかく、少なくとも誰一人として暗い表情はしていないのだから大した問題ではないのだろう。それよりも、この普通では出来ない贅沢な暮らしをみんなと一緒に楽しんでしまうべきだ。
「じゃあ、私も思い切り楽しんじゃおうかなあ」
「そうそう。それが一番よ」
 とは言っても、どうせすぐにグリエルモは助けにやって来るはず。アクバルがどれほどの魔法使いか知らないが、グリエルモを止められるとは到底思えない。あれはあれで非常時にまで悠長な事をする性格でもないから、おそらくすぐにやってくるだろう。だから今の内に、目ぼしいものはまとめて持って行けるよう荷造りをしておいた方がいいだろう。出来るだけ金目の物がいい。ほとんど不正で得たものであれば特に心も痛みはしないが、どうせならば後腐れなく使える現金の方が都合がいいか。
「ところで、この屋敷の金庫ってどこにあるんですか?」
「さあ、それは知らないわ。私達、この部屋から出して貰えないし」
「でも、そんなこと知ってどうするの? 金庫破りでもするの?」
「まさかあ、ちょっと訊いてみただけですよう」
 やはりそこまでうまくはいかないか。そうソフィアは肩をすくめた。