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 アクバルの屋敷は、村のほぼ中央にある小高い丘の上に建っていた。元々はゼントクが修行をするために住んでいて、多くの蔵書を保管するため増改築を繰り返した結果このような大きな屋敷となったのである。しかしこの屋敷をアクバルが乗っ取って以来、ほとんどの蔵書は捨てられ、村人から搾取した資金を使い豪奢な家具などが揃えられている。また、屋敷の建つ丘の周囲を鉄柵でぐるりと取り囲み、庭には何匹もの番犬が放し飼いにされている。そして正門には昼夜を問わず屈強な男が二人、不審者に入られぬよう警備をしている。
 早朝の村はまだ空気が冷たく、上着を脱ぐには少々肌寒い。だが正門に立つ二人の男達は、むしろ袖の無い服を着ては筋骨隆々とした自身の体を見せ付ける格好をしていた。相手を威圧するためという理由らしいが、実際は共にただの趣味のようである。
「もうちょっとで交代だな。どうだ、一杯やりにいかないか?」
「いいねえ、風が冷たくて仕方なかったところだ」
「こう寒いとやってられねえよなあ」
 男達は緊張感も無くそんな世話話をしながら、緩く構え正門の前に立っている。
 この村には表立ってアクバルに逆らうような人間は存在しない。ましてや屋敷を襲撃するなど有り得ない話で、門番はほとんど形だけのものである。そのため実際はただの置物に近く、厳密な意味での警備の役目は行っていない。
 そんな時だった。
「おっ?」
 ふと片方の男が正面を向き直り声を漏らす。
「どうかしたか?」
「ほら、あれ」
 指し示したそこには、いつの間にか一人の青年が立っていた。眩い銀髪が朝日を受けて輝いているのが非常に印象的だったが、何故か上半身には何も着けておらず、この冷たい風に華奢な体をあえて晒す姿は奇異にしか映らない。その外見だけでも十分に異様ではあったが、更に男達は不思議そうに顔を見合わせ小首を傾げた。この丘の周囲には目立つような建物は無く非常に見通しが広いため、近づいて来る者が居ればすぐに見つける事が出来るのだ。確かに二人はろくに警備もせず談笑していたが、堂々と真正面から近づいてくる人間に気付かないほど鈍感でもない。
 青年は明らかに屋敷の方へと向かって歩いてくる。その迷いの無い前進はどこから来るのか知れない自信に満ちており、今にも正門を突き破ろうとする勢いがある。
 とてもまともな様子とは思えない青年を前に男達は、招かれざる客と判断し早速青年の前に立ちはだかった。
「おいおい、そんな格好でどこへ行くんだ?」
 青年は背丈こそあるものの非常に華奢で色白であるため、筋骨隆々とした二人にとってはまるで恐れるに値しない相手にしか見えなかった。ただひたすら立っているだけの仕事に退屈していた事もあり、丁度良い遊び相手が現れたと男達は意地の悪い笑みを浮かべながら青年を囲む。すると青年は驚くほど鋭い眼差しで二人を睨みつけた。予想外の気当たりに二人は思わずたじろぐ。
「小生の名はグリエルモ。そこの屋敷に用がある故、通して貰おう」
 自らをグリエルモと名乗った青年は、困惑する二人を押し退けて更に進もうとする。しかし二人はすぐさま道を塞ぎ前へ進ませない。
「待ちな。この屋敷はアクバル様のものだ。勝手に入って貰っては困るな」
「勝手? 小生は魂の片割れとでも言うべき最愛の人を勝手に連れて行かれたのだ。何としてでもそれを取り戻さねばならぬ」
「言いがかりはやめてもらおうか。どこにそんな証拠があるってんだ?」
「疚しい事が無ければ阻む理由は無かろう。通して貰う」
 頑として通ろうとするグリエルモ。最初グリエルモの風体や意外に強気な態度に戸惑っていた二人だったが、それほど警戒する必要も無さそうであるためからかいにかかる。
「いいや、通せねえな。お前、自分の格好を見ろよ。そんな怪しい奴なんか屋敷に入れたら俺達が何て言われるか分からねえ」
「服はどうしたんだよ。服ぐらい着るだろうが普通は。貧弱な体しやがって」
「服など所詮は拘束具にしか過ぎぬ。喜んで着飾る人間共の方が理解に苦しむな」
「はあ? 何言ってんだお前。酔ってんのかよ。そういやお前、見ない顔だな。どこから来たんだ?」
「空だ。ここから少し離れた宿より、飛んで来た」
「こいつ、マジで酔っ払ってるな」
 ふと二人の片割れが何かを思い出し手を打った。
「そうだお前、もしかして昨日来た吟遊詩人だろ? アクバル様と一緒に酒場へ行った奴が言ってたぜ。銀髪の変な奴が居たって」
「なんだ、やっぱり余所者か。どれ、吟遊詩人ならちょっと歌って見せろよ」
 二人は愉快そうに笑い出す。
 しかしグリエルモは一層冷たい視線で二人を睨みつけ、
「黙れ、下種共」
 唐突に吐き捨てたその言葉に、二人はたちまち笑うのをやめ表情を不穏なものへ一変させる。
「ああ? 今、何か言ったか?」
「黙れと言ったのだ。貴様らの下品な言葉には吐き気がする。貴様らに聞かせる歌など無い。小生の詞が汚れてしまう」
「何訳の分からねえ事を。とにかくてめえは飛ぶなりなんなりでさっさと帰れ」
 男がグリエルモの胸を小突いた。だが、
「痛ッ!?」
 次の瞬間、男は裏返った声を上げ小突いた手を押さえた。小突いたグリエルモの胸が予想外に堅く重かったため、逆に自分の手を傷めてしまったのである。
「退け」
 驚く二人の間を強引に抜けグリエルモは正門の前に立った。正門は見上げるほど高い鉄格子の扉で、太い鎖が鍵代わりに幾重にも巻きつけられている。その鍵は門番である二人の内の片方しか持っていない。
「おい、てめえ。勝手にうろちょろすんじゃねえよ。第一、その門は鍵が無けりゃ開かねえよ。残念だったな」
「笑止。このような鉄の鎖で、小生と別てると思ったか」
 するとグリエルモはおもむろに鎖を握り締めると、あろう事かまるで紙細工のように引き千切ってしまった。散らばる鎖の破片を二人の門番は唖然と見ていた。一体何が起こったのか頭が追いつかず、理解する事が出来なかったのである。
 そんな二人に、グリエルモはおもむろに振り返り再度鋭い視線を送る。気がつくと二人は、あんなに馬鹿にしていたグリエルモに対し恐怖していた。まさに蛇に睨まれた蛙のように、全身を緊張させ背筋を真っ直ぐ伸ばす。
「貴様ら小生に、歌えと先程言ったな」
「い、いえ。あれはちょっと調子に乗りまして」
「何も今すぐやれとかそういう事ではなく、まあいつか機会があれば聞いてみたいものだなと、ハイ」
「いいだろう、貴様らに打って付けの歌を聞かせてやる。貴様らだけではない、小生の太陽を奪った下種共含めてだ!」
 突然興奮したように両手を広げて声を荒げるグリエルモ。そのあまりに異様な様子に二人の恐怖は更に高まる。グリエルモがまともではない事は初めに分かっていたが、こういった異常さは恐怖の対象でしかない。
「あ、いや、無理にとは……」
「聞かせてやると言っているのだ! 貴様らは黙って頷くか、もしくは拍手を持って迎えればよろしい!」
「は、はい!」
 グリエルモの勢いに押され、二人は慌てて返事を返し手を叩く。しかしグリエルモはまるでそれを無視して踵を返すと、そのまま正門へ近づくなり門を蹴り飛ばして開け、のしのしと庭内へ踏み入った。
「聞かせてやるぞ、人間共め。竜族戦歌、新章『殺戮の宴』、作詞作曲小生也」