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「ちょ……誰か! 誰か早く来い!」
 突然屋敷の玄関を、樹木を丸ごと突き刺すという前代未聞の方法で突き破られ、屋敷中は騒然となった。これまで、ただの侵入者が庭にまで入り込んだだけと思っていただけに、不意を突くような屋敷への奇襲には誰しもが顔色を変える。
 すぐさま玄関の前には屋敷中の男達が手に得物を持って集まった。そして、鳴り響いた音の正体である大樹の根に思わず息を飲んだ。
「な、なんだよこれは……」
「敵か? 敵なのか? 一体何百人来たっていうんだ?」
「それが、たった一人だとか。何でも旅の吟遊詩人らしい」
「馬鹿な! どこにそんな吟遊詩人がいるって言うんだ!」
「とにかく、早くアクバル様をお呼びするんだ!」
 樹木を打ち込まれた玄関の惨状、そして耳を澄ませば庭からは幾つもの悲鳴と金属を打ち鳴らすような音が響き渡っている。吟遊詩人が一人で侵入して来たなどとは論外にしても、屋敷が攻撃を受けているのは紛れも無い事実である。村にはこんな大それた事をするような人間はいないとして、現実的に考えれば遂に領主が事態を重く見て鎮圧に乗り出したというところだろう。
 男達は内心この状況に恐怖で震えていた。領主が抱える騎士団は鍛え上げられた戦いのプロばかり、自分達のような素人が徒党を組んだ所で到底かなうはずがない。もしも捕まりでもしてしまえば、縛り首は免れないだろう。そんな心境から、一時でも早くアクバルが駆けつけて魔法で何とかしてくれることを願っていた。
「ん? なんだこれ……」
 ふと、一人の男が飛び出した樹木の根に歩み寄ると、そこから何かを取り出して見せた。それは小脇に抱えるほどの小さな壷だった。口には丸く切った木の板で蓋をされ、何やら護符らしい見慣れない文字が書かれた札が何枚も張り付けてあった。
「おい、これって何だ?」
「さあ、知らねえな。金でも入ってるのか?」
「いや、降っても音はしねえし、第一幾ら何でも軽過ぎる」
「捨てちまえよ。後でもいいだろ、そんなのは」
 そうだな、と男は壷を放り捨てる。壷はそのまま床を転がりどこかの影へ消えてしまった。
 再び玄関へと向き直る男達。気が付くと、あれほど騒がしかった庭は嘘のように静まり返っていた。一人の悲鳴すら聞こえてはこない。既に全員が捕まってしまったのだろうか。
 しかし、その時だった。その場の一同が、この状況がおかしい事に気が付きハッと息を飲んだ。あまりに外が静か過ぎるのだ。もしも討伐部隊が送り込まれたのだとしたら、突入する準備のためあれこれと指示の声が飛び交っているはずである。それに、鎧の擦れる音も一つとして聞こえてこない。
 代わりに聞こえてくるのは、びたんびたんという裸足で石の上を歩くような湿った音だった。だがその音も一人分しか聞こえて来ないのだが、一人の人間にしてはあまりに大きな音である。まるで濡れたバスタオルで石を打っているかのような音だ。
 一体、外には何がいるというのだ?
 誰かがそんな疑問を浮かべ、一人がゆっくりと回りに気取られぬよう一歩後退さった。
 そして足音の主は玄関の前までやって来ると、外側から樹木を左右に揺らし始めた。更に耳を澄ませば、何事かを口ずさんでいるのが分かる。それは一定の韻と律を含んだ音楽のようなものに聞こえなくもなかった。だがこの国のものではない言語らしく、内容までは聞き取ることが出来なかった。
「な、なあ。誰か、侵入者は吟遊詩人が一人だって言ったよな?」
「ああ、俺が見張りの奴からそう聞いた」
「それってマジなのか?」
「知らねえよ。俺はそう聞いただけだ」
 やがて樹木はどこかの引っ掛かりが取れたのか、ずるずると外へ引っ張り出される。そしてあの足音と奇妙な歌声が更に近づいて来た。
「よ、よし。俺が確かめてやる」
 そう一人の男が声を震わせながらゆっくりと玄関の扉へと歩み寄って行く。危険な試みではあるが、やはり外にいる者の正体が気になるのか誰一人として止める者はいなかった。
「大丈夫、侵入者は吟遊詩人が一人なんだろ……?」
 さすがにその静けさが気になって、男は一度足を止めて一同を振り返る。
「そう聞いてる。半裸の吟遊詩人が一人、楽器も持たず歌いながら向かって来ているそうだ」
「へっ、笑えねえ冗談だな」
 不自然な笑みを浮かべ、男は更に扉へと向かう。
 答えた男は決して冗談を言っている訳ではなかったのだが、それで玄関の外を確認してくれるのであればと、あえて訂正はしなかった。
「よし、見てやるぞ」
 ようやく扉の前までやってきた男は、その場に膝を付き樹木が突き刺さっていた穴から首を通して外の様子を窺いにかかる。
『キサマラミナゴロシ』
 不意にたどたどしい言葉が頭上から降って来た。男は態勢を変えて上を見やる。
『チニクオドルヨタノシイナ』
 そこにあったのは、銀色の鱗で覆われた一匹の怪物の顔だった。続いて周囲を更によく見ると、左右には同じくびっしり銀の鱗に覆われた足が二本、その間からは同じ銀の鱗に覆われた尻尾が伸びている。それらが支えるのは、蜥蜴を何十倍も大きく逞しくしたような異形の体、鋭く長い爪を生やした鉤爪の腕が左右に一つずつ伸び、肩からは長い首に支えられるあの怪物の面長な顔が続いていた。
『リュウゾクミンナイクサスキ』
 男はゆっくりと穴から顔を戻して立ち上がり、震える喉を押さえながら精一杯叫んだ。
「嘘つきー! 正真正銘の化け物じゃないか!」