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「なんか随分騒がしいわね。あいつ、またバカやってなきゃいいけど」
 閑散とした邸内をひた走るソフィアは、丸々と太った登山用のカバンを背負っていた。中には屋敷のあちらこちらで掻き集めた何物かがぎっしりと詰まっている。明らかにソフィアの体格には無理のある重量で、直線を走るにも蛇行し曲がり角では大きく外側へ開いている。しかし肩紐はしっかりと持ち手放す様子は無い。
 邸内からは粗方避難したのかまるで人気が感じられなかった。おかげで仕事はし易かったものの、逆に考えればグリエルモが暴れ出して相当時間が経っている事になる。さすがに人死には出ていないと思いたいが、まだ屋敷の中で回っていない所がある。おそらく最も目欲しそうなものがあるであろうアクバルの私室も残しているのだ、火事場泥棒ならやれるだけやっておきたいのが本音である。
 やがて廊下を抜けると屋敷の正面入り口に当たるエントランスホールに出た。さすがにこれだけの規模の屋敷だけあり、エントランスは見渡すほど広く天井も遠く突き抜けている。しかしそこは、まるで嵐の翌朝かのように至る所が荒らされていた。壁という壁には大小の亀裂や陥没があり、柱も抉られているものだけでなく、中程から折られているものや床の上に倒れ砕けたものまである。当然の事だが、建物そのものがそのような有様である以上、ホールを飾る調度品の類はどれもただの破片と化している。美術品は売り抜きにくいので興味は無かったものの、中にはそれなりの値段がつくようなものもあったのだろうとソフィアは肩をすくめた。
『うわー! こっち来るなって!』
『ヨクハシルニク、アカミガホウフ、マルカジリガスキ』
『うるさい愚民共! 役に立たないならせめて俺様の盾になれ!』
 ふとその時、屋敷の外から罵り合いながらひた走る集団とその後を追いかける巨大な足音が、目の前の壁に空いた大穴の前を通り過ぎた。これまでの経緯を見聞きした訳ではなかったが、一目でそれが推察のつく頭痛を催す光景である。ソフィアは眉を潜めながら溜息をついた。
「さて、これは思ってたより酷いわ。あのバカ、久々に全開でやってるわね」
 だが、考えようによってはもうしばらくはグリエルモが連中を引き付けてくれるので、自分は屋敷の捜索に専念できる。まだカバンにも若干の余裕がある。大物は無理でも、宝石類ならばもう少し持って行けるはずだ。
 ソフィアはカバンを背負い直すと、よし、と一声かけて自らに渇を入れ周囲をぐるりと見渡す。すると、丁度自分が出て来たのとは反対側に同じような廊下を見つけ、早速その方向へと足を向けた。
 しかし、
『おい、ちょっと!』
 突然何者かの声に呼び止められ、ソフィアははたと足を止める。周囲を見渡すものの、エントランスには自分を除いて誰の姿も無い。ただ屋敷の外を騒がしい集団がぐるぐると駆け回っているのみである。
 おかしい、空耳だろうか。
 きっとグリエルモの世迷いごとが反響したのだろう、とソフィアは気を取り直し向かおうとする。だが、
『待ってくれそこのお嬢さん! 頼むから聞いてくれ!』
 再びどこからともなく聞こえて来るあの声がソフィアを呼び止める。
 今度は最初よりもはっきりと聞こえて来た。歳は壮年も過ぎ老人のようなしわがれ声の男、それもやけに切羽詰ったような余裕の無い口調である。しかし、幾ら周囲を見渡してもそんな人物の姿は見当たらない。心労のあまり幻聴まで聞こえるようになったかとソフィアは渋い顔をする。
『お嬢さん、下じゃ下! すぐ足元じゃ!』
 三度聞こえて来たその声、ソフィアは思わず自分の足元へ視線を落とした。
「あら、何かしらこれ?」
 見るとそこには、一つの古びた汚らしい小さな壷が一つ転がっていた。ざっと見たところ美術品価値があるようにはとても思えず、古代の出土品にしてはいささか素材が新しいように見える。つまりはガラクタ同然の壷なのだが、どういう訳か口の部分には何枚も札が貼られ厳重な封がなされている。
『そう、それそれ! 持ち上げて、口のところをビリッと!』
 その声は壷の方から聞こえてきていた。ソフィアはおそるおそる壷を手に取り持ち上げる。壷の口に貼られているのは何かしら魔法の効果のあるものらしいが、魔法に詳しくないソフィアにはそれが何かまでは掴めない。ただ壷の口に貼るという用途を見た限りでは、おそらくは封印用のものなのだと推測出来る。
『早くこの札を剥がしてくれぬか! 時は一刻を争うんじゃ!』
「はあ……でもさ、あなた何者?」
『わしはゼントクというこの村に住む魔道師じゃ』
「ゼントク? ああ、あのイロガキのジジイね。で、何してるのこんなところで?」
『あのバカ孫に封印されたんじゃ。ええい、今思い出しても忌々しい』
 そういえばこの村にはアクバルとは違って、もっと善良な魔道師がいて村人を支えていたという話を思い出したソフィア。昨夜も宿に村人が押しかけてはグリエルモにアクバルを倒すよう説得しに来ていた。別段関わり合いになりたくなかった件だったのだが、どうやら思わぬ形で最後の主要人物に触れてしまったようである。
「で、この札を剥がせばいい訳?」
『そうじゃ! 一息にビリッと!』
「うーん、なんかぴったりくっついてて剥がれないわ。爪が汚れちゃう」
『早くせんとバカ孫に見つかってしまう! そうなったら今度こそ一環の終わりじゃ!』
「だったら別に急がなくてもいいわよ。あなたの孫は今、ほら、外で元気にうちの相方に追い掛け回され―――あ」
 不意にソフィアの視線がある一点に止まった。
『あって、何だ? 何があった?』
「うちの相方、あのガキを本気で食べにかかってる」
 その言葉に声にならない叫びをあげるゼントク。それとほぼ同時にソフィアはカバンを下ろすなり屋敷の外へと飛び出した。
 そんなソフィアの先では、芝生の上に尻餅をついたアクバルに対しグリエルモが意気揚々と鼻歌交じりに近づいていた。