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 商業都市という事もあり、日が落ちてからはむしろ街の活気は盛んになっている。街の通りはあちこちでガス灯の明かりが点けられ、足元から視界の高さまで周囲一帯を柔らかく照らし出している。真昼とも夕方とも違う明るさを放つ独特の雰囲気が、いかにもここが経済的に発展した都市なのだと思わせられる。
 グリエルモとソフィーは大通りから一本外れた小路を歩いていた。こちらも大通りほどではないがガス灯で明るく照らされ、比較的人通りも少ないため冒険者然とした格好で歩くには丁度良かった。
「ねえ、ソフィー。早いところ今日の宿を取って、今夜もどこかへ営業に行こうね。実は今夜は新曲があるんだ」
「また作ったの? 飽きないわねえ。だけど、今夜は営業行きません。せっかくお金に余裕が出てきたんだから、あくせく働かなくたって」
「お金? そういえばソフィー、このカバンの中身は何なんだい? そのお金なの?」
「私は詮索する男の人は嫌いなの」
「うっ……分かったよ、もう言わないから……」
 普段は歌以外に思考はほぼ停止しているグリエルモも、さすがに数日前に突然現れた中身の知れないカバンに疑問をようやく抱き始めていた。しかしソフィアはその追求を断固として許さず、そしてグリエルモは仕方無しにそれに従っている。ソフィアにとって自分に従順なグリエルモに口を閉じさせるのは容易なことではあるのだが、グリエルモは未だ人間界の常識や通例に欠け、しかもカバンの中はお世辞にも真っ当な荷物ではないため、下手にグリエルモには知らせない方が安全と考えているのだ。
「早く宿を探しましょう。お腹が空いたから、今夜は久しぶりに何か美味しいものが食べたいわ」
「そうだね、小生もそう思っていたところだよ。で、それから営業に」
「行きません。今夜はゆっくりくつろぐの」
「……君は歌うことが好きじゃないのかい?」
「好きよ? でも、歌いたくない時にまで歌うこともないし」
「お金があっても満たされないものあって、その隙間を埋めてくれるのが歌だと小生は思うのだよ。それで初めて人生は幸せなんだが」
「だったら一人で歌いなさいな。私は無理しない方が幸せだもの」
「あっ、ああ、でもね、ソフィーが傍に居てくれるからこその幸せなんだよ」
 小路の角を幾つか曲がると、やがて宿屋や盛り場の続く通りへ出てきた。さすがに商業都市というせいか、露骨な原色を使った派手な看板や装飾は無く、むしろ芸術性すら感じられる小洒落た雰囲気の建物が多く見られた。最近は粗末な宿ばかり続いていたせいか、ソフィアの表情もいささか機嫌良さそうに見える。その一方でグリエルモは、別な観点に刺激されたのかふと思い出したように懐から手帳を取り出すと、人間には読めない奇妙な記号で手早く書き走る。
 やがてソフィアが選んだのは、白レンガを装飾に用い古城のような雰囲気を醸し出す宿屋だった。グリエルモは向かい側の赤と黒のストライプが大胆に走った前衛的な建物に興味を向けていたが、基本的に決定権を持っていないため未練たらたらにソフィアの後を追う。
「おい、こら! 待ちやがれ!」
「ひ、ひい! やめて! 追いかけないで!」
 二人が入り口の門を潜ろうとした、丁度その時だった。
 先程曲がってきたばかりの角から突然、複数人と思われる男の怒声と気の抜けるような甲高い悲鳴が聞こえて来た。
「こんな華やかな街だというのに物騒だね。『これも人の世の光と影なのかー』」
「放っておきましょ。うちらには関係ないんだし」
 ふと足を止めてその方を向いた二人だったが、面倒ごとには首を突っ込まないソフィアと歌以外に興味の無いグリエルモからすれば、それは確かにどうでも良い瑣末ごとだったため、すぐさま視線を宿の方へと戻した。
 しかし、
「あ、そこのお二方! 助けて! 人殺しです!」
 何故よりによってこっちへ駆け込んで来たのだろうか。そうソフィアは苛立ちもあらわに溜息をついた。
 上擦った悲鳴を上げて駆け寄るそれは、きょとんとしたまま首を傾げるグリエルモへ背後から襲い掛かると、袖を掴んでぐるりと方向転換させ自らの盾とし構えた。
「何か用かね? ふむ、そうか。君は小生の歌を聞きたいのだね?」
「い、いえ、違います! 凶悪な殺人鬼集団に追われているんです! どうか助けて下さ―――って、ああ! お前はさっきの橋で会ったアホ男だな!」
「すまないが、小生は愛しい人以外の顔は動物と一緒で見分けがつかなんだ」
「おのれ……そうと知っていれば助けなど!」
「グーリー、適当にあしらっておきなさいね。私、先にチェックインしてくるから」
「なっ、あっちはあっちで素通りなのか!? 揃って非人間め!」
 全くと言って良いほど関わる意思の無いソフィアはそそくさと建物の中へ入って行く。それを声を張り上げ非難する青年だったが、ろくに視線もくれなかったソフィア相手にでは負け犬の遠吠えも同然である。
 そうしている内に、青年を追いかけていたらしい怒号を上げていた集団が追いついてきた。
「やっ……見つけたぞ、マルセルゥ!」
「てっ、てめえ、このっ、逃げ足だけは速ェ……くそっ、ゲホッ!」
 駆けつけたのは三名の黒服の男達、いずれも屈強な強面揃いではあったのだが、相当な時間走り続けていたためか明らかに疲労困憊した様子で息も絶え絶えである。
「来たな、この守銭奴め。いい加減にしろ、しつこいぞ!」
「いい加減にするのは、そっちだろうがマルセル! 借りた金を返せ! 返済日はとっくに過ぎてるんだぞ!」
「断る! 払える金があるならとっくに返していると、何故分からないのだ!?」
 マルセルと呼ばれた青年は、激しく肩を上下させ急きこむ黒服の男達に向かい、グリエルモの背越しからそう怒鳴り返す。一枚隔てているためか、明らかに先程と比べて態度が大きくなっている。
 そんな彼らのやり取りを交互に眺めながら、グリエルモは傾げていた首を逆方向へ傾げ返した。
「猿共の喧嘩とはさもしいものだな。まるで優雅さが無い」