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 半ば呆れた表情でたたずむグリエルモを挟み、マルセルと黒服の三人は険悪な様相で睨み合う。やがて息も整い始めると黒服達は間に挟まるグリエルモの存在に違和感を覚え、一人の黒服が今更取り繕いながら眉間に皺を寄せ鷹のように鋭く目を細め近づいてくる。
「おい、そこの銀髪。お前、そいつの知り合いか?」
「後ろの猿の事かね? 小生、猿の知り合いはおらんよ」
「な、なんて薄情な人だ! 助けを求める人を見捨てるなんて!」
「小生、最近橋から飛ぼうとした猿に、放っておいてくれと言われたからね。さて、猿は仲間の所へお帰り。『それがうんめーい』」
 グリエルモは後ろ手にマルセルの襟元を掴むと、そのまま軽々と持ち上げ黒服達の前へ放り投げた。
 それはグリエルモにとっては何でもない仕草だったが、黒服達は驚きで息を飲みたじろいだ。一見すると細身のグリエルモが大人一人を事も無げに持ち上げたのは、人間の常識では通常あり得ない事だからである。
「さあ、引き取りたまえ。小生、今宵は楽譜に向かい音符と戯れるのだ。夜風のように優しく、嵐のように激しく」
「そ、そうか……ありがとうよ、ゆっくりやってくれ」
 グリエルモの異様な言動にはいささか困惑気味だったが、少なくともこちらに敵対する意思も無さそうなので、黒服達は暗黙の合意の元グリエルモは放っておく事にする。
「な、何て事を! 僕を裏切るのか!? 卑怯者!」
「小生は知らぬと申しておろうに。そうか、別れの歌が欲しいのだな。『あーわれ哀れ、猿が一匹売られて行くよー。煮ても焼いても食えない、猿なのにー』」
「……行くぞ」
 本気か冗談かも分からないグリエルモの空気を読まない歌に抗議する暇も無く、マルセルは黒服の一人に襟首を掴まれ引き摺られていく。すぐさま四肢を振り回し意味の分からない言葉をわめくマルセルだったが、息切れしているとは言っても体格で遥かに勝る黒服がそんな抗議でどうにかなるはずもなく、まるでぬいぐるみのようにずるずると引き摺られていった。
「おう、おめえら。ようやく追いついたぜ……」
 不意に、左側の路地から一人の人影がいきなり飛び出して来ると、お世辞にも長いとは言えない足を大きく広げながら黒服達とマルセルが騒ぐ輪の中へ入っていった。それは白いスーツを着込んだ中年の小男だった。男の姿を目にした黒服達は途端に緊張し畏まる。その男は肉のつき方からして、かつては筋骨隆々としていたように見える。今でこそ往年に見る影は無さそうになってはいるものの、心なしか男の全身からは数々の修羅場を潜り抜けて来たらしい凄味が感じられた。
 焼き栗のような体格の男は、颯爽と白スーツの上着を脱いで肩にかけ、悠然と取り出したハンカチで額の汗を拭う。演技臭さの否めない仕草ではあったが、どこか堂に入って嫌みさがない。
「追いかけるなら目印ぐらい残せって、いつも言ってるだろうが。ん? あそこのは堅気か。まさかお前ら、堅気に手ェ出しちゃあるまいな?」
「はい、勿論です。彼はむしろ我々に協力的でした」
 そう報告する黒服の足元で、マルセルは未だに歌い続けるグリエルモに対しあらん限りの罵声を浴びせている。この異様な構図に白スーツの男は訝しげに顔をしかめる。
「そのようだな。まあ、いい。さっさと行くぞ。てめえからはたっぷり絞ってやるからな」
「ま、待って! 今、僕を連れてったって回収なんか出来ないですよ!?」
「そんなのは分かってる。どうせお前の体か命かで払ってもらうだけだ。奴隷市場に宝石鉱山、使い物にならなきゃ臓器売買だな」
「そ、そ、そ、そ、それよりもですね、あそこの銀髪の人はお金持ってますよ! 実は僕の生き別れた兄なんです!」
「そうかい。とうとうお前も頭までおかしくなったか」
 最後の悪あがきとばかりに言葉を並べ立てるマルセル、しかし白スーツの男はまるで相手にせず、黒服達に連れて行くよう顎で指示する。まるで相手にされないと知りマルセルは、悲鳴と涙声の入り混じった言葉にならない叫びを上げ再びのた打ち回り暴れ始める。だがそんなマルセルを白スーツの男は無言で腹を蹴りつけると、途端におとなしくなった。
「グリー、部屋取れたから早くいらっしゃい」
 丁度その時、宿の中からソフィアが顔を現わした。
「うん、分かったよ」
「何か騒がしいけど、まだやってるの?」
「今いいところなんだ。小猿が豚に苛められてる」
「ふうん、豚って猿より強いんだ」
 そんな二人の、普段通りありふれたやり取り。しかし、その時だった。もはや用件も済みこの場から立ち去ろうとしていた黒服達の空気が、突如として緊張感と恐怖に凍りつき足を止める。
「ああっ……?」
 小さく短くも、明らかに怒りを滾らせた唸り声で問い返すようにグリエルモとソフィアを振り返ったのは、白スーツの男。その表情はむしろ静かなほどで、内々に怒りを燃やす様子は開放的な怒りの表現より恐ろしく見える。
「ば……おい! ボスは豚と呼ばれると理性を失―――ぶへっ!?」
 慌ててグリエルモ達に注意を促そうとする黒服の一人が、自らがその禁句を口走ってしまい白スーツの男から強烈な一撃を鼻へ決められ尻餅をつく。そして白スーツの男は、部下を殴り飛ばした勢いもそのまま勇んで二人の下へのしのしと歩み寄ってくる。
「ったく……あなたが余計な事を言うからよ」
「ふむ……人間とは難しい生き物だね」
「でも、怒った時の言動がそっくりよ」
「小生はあんな豚ではないよ」