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「ねえ、ソフィー。歌の準備は万全だよ?」
「それよりも私はお腹が空いたの。ここの宿ってルームサービスないし。意外と見掛け倒しなのよね、設備の具合とか」
「そういえば小生の腹の具合も立冬の田畑の如し。いざ食欲を満たしに羽ばたかん」
「ちょっと、街中じゃ飛ばないでよね。珍獣騒ぎは御免だわ」
「小生は珍獣ではないよ」
 宿の部屋に荷物を置いた二人は、整理もそこそこに早速大通りへ繰り出した。さすが商業都市と謳われるだけあり、華やかな大通りは昼間よりも明るく眩い光に溢れている。通りは数歩の間隔にガス灯が立てられ、通り沿いの店はいずれも色取り取りの明かりを用いた華やかな宣伝を行っている。程良く賑わう店員や道行く人々もどこか普通の街とは違って洗練されており、それを眺めているだけでも自分達が洗練されていくような心境になれる。
 ソフィアは特にファッションやアクセサリーの点で大いに刺激をされたのか、歩きながら通り沿いのめぼしい店を次々と手帳に記していった。それはおそらく明日の買い物の予定の資料になるのだろう。珍しく浪費する予算の当てがある事と、これほどの大規模な商業都市に来ている事もあって、その表情は平素とは比べものにならないほど緩んでおり、ソフィアの事には敏感なグリエルモは意も汲んでいるせいか複雑な表情を浮かべていた。
「ねえ、御飯食べたらさ、一軒だけでいいから歌の営業に行かない?」
「行かない。今日は食後も色々あるのよ。そんな暇はないわ」
「歌より大事なものなど、何かあるのかね?」
「まずはお肌のお手入れにエステサロンでしょ、ネイルサロンで爪の模様替えしなきゃならないし、髪も痛んできたからトリートメントしなくちゃ。このぐらいの街なら夜遅くまでやってる店はあるでしょうし。あ、そうそう、それからどこか換金所も目星つけておかないと」
「……何だか良く分からんが、人間とは忙しく生きるものだね。そう、換金所で思い出したよ。このカバンなんだけどさ、明日換金所とやらに持っていくのはいいんだけど、どうしてこれから御飯に行くのにこれまで持って行かなくちゃいけないのかな? 小生の美意識からすれば、この華やかな街には少々無粋と思うんだが」
「これだけ置いていくのは不安だからよ。ちゃんとした所じゃないと、もしかしたら何かあるかもしれないでしょ? 従業員だって信用しきれないし。それに、いい換金所が見つからなくても、明日はもっといい宿に止まるから安心なさい」
「それより小生は歌を」
 街を行き交う人のほとんどは、これから食事や買い物、夜遊びのため繰り出して来ているため、基本的には手ぶらに近い軽装ばかりである。旅人としてもいささか違和感のあるグリエルモが背負った巨大なカバンは、否応にも人々の奇異の視線を集めずにはいられない。ソフィア以外の人間にはとことん無関心なグリエルモではあるけれど、こうも露骨に視線を集められては生まれ持った感の鋭さも仇となり、ばつの悪い表情を浮かべ無視の一点張りでやり過ごす他なかった。
 そんなのんびりとした時間を過ごしていたその時だった。
「よう、また会ったな」
 不意に目の前の路地から現れ呼び止めたのは、見覚えがあるどころか危うく見慣れたと思いそうになるような顔だった。二度と会う事は無いだろうと踏みつつも、一度見た顔は良く覚えている自分の記憶力にソフィアは溜息をついた。
 現れたのは、あの金貸しを生業としているらしい連中のボス、ずんぐりした下太り体型に白スーツを着こなすカーティスだった。
「またアンタ? 私ら関係ないでしょ。そもそも先に手を出したのはそっちじゃない」
「まあ、そう連れねえ事を言うなって。さっきの事は水に流してやるからよ」
「なんでこっちが譲ってもらったような言い方なのよ。で、何か用?」
「ちょっとな。悪い話じゃない、むしろお互いにとって利益になる」
「悪いけど、他当たって。私、金貸しって好きじゃないのよね」
 素っ気ない態度を取るソフィアは、グリエルモの袖を引きながら足早にカーティスを横切ろうとする。しかし、
「その荷物、ここいらで捌くつもりかい?」
 不敵とも呼べる余裕に満ちたカーティスの言葉。それはさも、グリエルモのカバンの中身は見透かしていると言わんばかりの口調である。
「何? 邪魔でもする気?」
「そうじゃない。この街じゃ素性の知れぬ人間との高額取引はやりたがらないから、捌くのは難しいだろうってアドバイスさ。それより、俺の所に売らないか? もちろん身分証や出所は聞かねえし、値段はそれなりに高くつけさせて貰う。それだけでも悪い話じゃないだろ? もちろんタダって訳じゃないがな」
「……一応確認しておくけど、ビジネスの話って事よね?」
「そうだ。罠なんか用意してねえから安心しな。そこの兄さんとまともにやっても勝ち目はないだろうし、続けたところで金にならないからな」
「まあいいわ。とりあえず話だけなら付き合ってもいいわよ」
「そうこなくちゃ! あんたが相方と違って話の分かる奴で良かったよ。近くに美味い海老を食わせるいい店の個室を取ってある。続きはそこでやろう」
 色よいソフィアの返答が聞けた事でカーティスは、いかつい風貌に似合わぬ笑顔を浮かべ両手を打ち鳴らす。その小気味良い音に周囲が一斉に三人の方を振り向き、その統一感の無いでこぼこの組み合わせに小さく口元を綻ばせた。
 そんな二人のやり取りを後ろからぽつりと見やっていたグリエルモは、ようやく入り込む余地を見つけたのかすかさずソフィアに話しかける。
「ねえ、ソフィー。ビジネスって何の話? もしかして歌のステージのこと?」
「違うわ。とにかくあなたは、私に任せて黙ってなさい。それとも私の事が信用出来ないの?」
「そんな事ないさ。小生は君の愛の奴隷さ」