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 二人がカーティスの案内で連れて来られたのは、大通り沿いにある一軒の高級料理店だった。カーティスはこの店の常連なのか、支配人が直々に出向き丁重に奥の個室へ通される。この歓迎振りからカーティスは大言する通り顔の広い人物である事が窺えるが、ソフィアは更に先を行ってどう利用出来るかと画策し、グリエルモはそんな事よりも店の内装ばかりに気を取られていた。
「おう、戻ったぞ」
「お疲れ様です、ボス」
 個室は数十人で宴会が出来るほど広く、そこには先程の黒服達が三名、そして何故か、あの場から逃げ出していたはずのマルセルの姿があった。
 猿轡を嵌められたマルセルは一番奥で両手足を縛られうずくまっている。如何にも逃走しているのを見つかり無理矢理連れて来られたと言った風体である。またこの展開か、とソフィアは露骨に溜息をついてカーティスへ冷ややかな視線を向けるが、カーティスはわざとらしくとぼけた表情で気に留めず上座の方へ着いた。
 二人の入室に気付いたマルセルは、たちまち色めき立って拘束された手足をばたつかせ自分の存在をアピールするが、すかさず隣の黒服に鳩尾を蹴り上げられその場に蹲った。だがそれでもマルセルは諦めず、床に顔を何度も擦りつけ猿轡を強引に顎の下へずらして外す。
「た、助けて下さい、親切な銀髪の人!」
 ソフィアはきっと視線すら向けてくれない事をマルセルは分かっていたため、真っ先にグリエルモに向かって助けを懇願した。しかし、
「どこの小猿かね、君は」
「ちょっと!? また僕の事を忘れちゃったんですか!?」
 しかしグリエルモは小首を傾げるばかりで、すぐに興味を室内に飾られていた動物の彫刻へ移してしまった。マルセルにしてみれば薄情とも言うべき態度ではあったが、ソフィア以外の人間の顔はほとんど同じに見えるグリエルモにとってそれは極当然の反応でしかない。すぐさまマルセルは再び黒服に蹴り付けられると猿轡をはめ直される。
 場が落ち着いたのを確認した後、カーティスは何事も無かったように二人へ着席を促した。
「さあ、お二人も好きにくつろいでくれ。すぐに料理を持って来させよう。酒は何が好みだ?」
「お酒は話が終わってから戴くわ」
「そうかい。じゃあ俺は失礼して先に戴くとしよう。そっちの兄さんは?」
「酒は喉を焼く悪魔の害毒であり、一切口にはしないよ。それよりも、小生は羊肉が好物である」
「あのな、ここは海老が名物の店なんだが」
「しかし、小生は羊肉が好物である」
 グリエルモは頑として聞かず、席にはつかぬまま彫刻を眺めては玩具を与えられた子供のようにひたすらいじり倒す。ソフィア以外の周囲は、そんな彫刻のどこにそこまでの魅力を感じられるのかと困惑気味の表情だった。
「嬢ちゃんよ、この兄さんはいつもこうなのかい?」
「そ。あまりまともに取り合わなくていいわよ。どうせ大した事は言ってないから」
「覚えておこう」
 やがて室内には三人分の料理が運び込まれて来た。一品ずつ順番に持って来るのではなく一度に並べテーブルを敷き詰めるのがここの流儀なのか、自分の手元以外は全て料理の皿という豪勢な光景が出来上がる。一通り玩具を堪能したグリエルモも、その頃には腹を空かせた子供のような表情で着席する。
 料理を運ぶ店員は誰一人、部屋の中で黒服に押さえ込まれるマルセルの姿を目しても全く表情を変える事は無かった。元々この店はカーティスの息がかかっているため、こういう状況は初めてでもないから慣れているのだろうとソフィアは思った。
「それで、仕事の話って何?」
 乾杯を試みようとしたカーティスの出鼻を挫くようなタイミングで本題を切り出すソフィア。露骨に溝を掘られているその態度にカーティスは苦笑いを浮かべる。
「それよりも先に自己紹介としよう。俺はこの街で白竜会という看板を掲げているカーティスって者だ」
「私はソフィア、そっちはグリエルモ。旅芸人しながらあちこち流れてるわ」
「という事は、この街の事は何も知らないってところだな?」
「まあそうね。色々栄えてるとは聞いてるけど」
「見ての通りだな。この街じゃあ、金さえあれば大抵の物は手に入る。そこに群がるハイエナも少なくはないがな。御嬢は世間知らずって事はなさそうだから、俺達の仕事の中身も大体理解は出来るだろう? まさにそれが俺達だな」
 そんな二人の会話にグリエルモは、初めこそはついていこうと何度か頷く振りをしていたが、やがてそれも飽き、ナイフとフォークを取って食事を始めてしまった。いよいよ本題に入るところなのだが、とカーティスは一度止めかけるものの、ソフィアがそれに続いてしまったため、諦めて自分もナイフを手に取り、目の前の大海老の丸揚げに突き刺し自分の皿へ取った。
「それで仕事についてだが、御嬢は神竜会って知ってるか?」
「神に竜とは、何と不遜な名前だね。たかが神如きを竜と同列に考えるとは、おこがましいにもほどがある。『我が心はー、刃と成りて、怒りに燃えてー』」
「あんたは黙ってなさい。殴るわよ」
 カーティスの意図に反して真っ先に食いついて来たグリエルモだったが、ソフィアの冷徹な言い草にすぐさま萎縮し、がっくりと項垂れながらぼそぼそと食事に戻った。傍目には二人の力関係がはっきりと理解され、俄かにグリエルモは見向きもされなくなった。
「で、話の続きだけど、名前ぐらいはどこかで聞いた気もするわ。仕事場はほとんど盛り場だから。もっとも、いちいち気になんて留めてないけどね」
「神竜会ってのは裏社会でも有数の巨大組織だ。まあ俺らと同業って事だな。その神竜会なんだが、遂にこの街にも手を伸ばし始めてな。向こうは数千人の構成員から成る多国籍組織、こっちは十数名で細々とやってる中小組織だ。到底敵うはずが無い」
「で、自分らのシノギを減らしたくないから、邪魔者はこの街から追い出したいと?」
「そうじゃねえさ。裏社会は弱肉強食が掟、力で勝負されて負けたなら仕方ないと思ってる。負けたら潔く引き下がるのが美学ってもんだ。けどな、神竜会は俺らのシマを真っ当な手段で荒らしに来ただけじゃねえんだ。おい、御嬢にあれを見せて差し上げろ」
 そうカーティスに命令された黒服がそそくさとソフィアに述べたのは、小さく折り畳んだ一包の薬包紙だった。裏の仕事で飯を食べてると公言する以上は美醜なんてあったものではないだろうと早速訝しむソフィアだったが、目にしたその包みの光沢ある表面にはすぐさま眉を潜める。
「もしかして、アレ?」
「『ドラゴンキッス』って名前で最近出回り始めたものだ。効果もそうだが常用性がかなり強くてな。一度やったら一日と間を空けられなくなる。そこでどんどん値段を吊り上げ、金に困った所で子飼いにしてしまうって寸法だ。もう分かっただろう? やつらの戦略が」
 こういった非合法の薬を使うやり方は割と昔からある戦略だと言う。グレーゾーンの金融等ならともかく、明らかな非合法の物を使った手段は確実な地盤固めには足りないものの、敵地の切り込みというだけではかなりの威力がある。単に混乱をもたらすだけでなく、非合法のため非常に表に出にくい性質から身内から造反者が出て来る懸念も生まれる。初動で着実な対処を行わなければ後々まで尾を引く厄介な代物なのだ。
「こんな商売でもな、美醜はあるんだ。弱みにつけこんで人を食い物にするなんざ、こんな卑劣なやり方は認められねえよ。男ってのは美学が無きゃな」
 そう重苦しい溜息をつくカーティスだったが、ソフィアは薬包紙をさっさと黒服へ押し付け食事を続けた。表情は呆れるというよりは熱が冷め一線を引いた様子だった。言っている事は立派だろうが、奥で芋虫のようにのた打ち回っているマルセルの姿を見る限り、その美学とやらはとても誉められたものではないと思えたからである。
「とりあえず、頑張って。私らの手に負える事じゃないから」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。別に俺は御嬢に正義の味方になってくれって言ってる訳じゃねえさ」
「じゃあ何よ。裏の事は裏同士で決着つけて頂戴。私らは善良な日の当たる所に住む旅芸人なんだから。それに大体さ、あいつは何でここにいるの? さっきからさ、視界に入って鬱陶しくて仕方ないんだけど」
 そう顎で指し示す先では、マルセルが尺取虫のように床を這いずり、そこを黒服達に小突き回されている。明らかに遊ばれているような光景だった。カーティスはそんな黒服達を一喝し瞬時に黙らせる。
「あいつにもこの件絡みで、ちょっくらやって貰う仕事があってな。どうせ金は絞れるだけ絞ったしな、他に使い道はないから丁度いいんだ。ついでに仕事の内容を説明してやろう。おい、その虫けらの轡を取ってやれ」
 黒服達は玩具を取り上げられたと言わんばかりの不満げな表情を浮かべるものの、渋々マルセルの猿轡を緩め始める。だがこれが最後とばかりにわざときつく絞め直したりといった悪ふざけは怠らなかった。その楽しげな状況を見ている内に食欲を失ったソフィアはナイフとフォークを置き、テーブルの上に頬杖をついた。
「ねえ、なんか勝手に進めてるようだけどさ。聞いたら帰さないとか言わないわよね?」
「マルセル、お前は此処に座れ。そうだ椅子は無い。お前に椅子は勿体無いからな」
「視線そらすな、この固太り」