BACK

 一体あれから何がどうなってこうなったのか。
 ソフィアは俄かに状況を理解する事が出来なかったものの、ただ一つだけはっきりしている事だけはすぐに把握出来た。ようやく手を切ったと思っていたマルセルが、またしても自分達に擦り寄って来たのである。
 あいつ……!
 思わず殴りに行きたくなった衝動を押さえつつ、ソフィアは深呼吸にて落ち着き周囲を見渡す。やって来たのはマルセルの他、体格の良い男が三人。普通の地味なスーツ姿だが、持つ雰囲気は明らかに堅気とは思えない。カーティスの部下に似ているが、連中のような統一された黒服ではなくマルセルとも距離感が違う。
 マルセルとはどういう関係なのだろうか? そう疑問に思うや否や小首を、マルセルはソフィアの放つ冷たい空気も読まずにこやかな顔で駆け寄って来た。
「御主人様! 御無事で何よりです! ああ、あの混乱した場から忽然とお姿を消され、私は安否を案ずるがあまり身を引き裂かれそうな思いに」
 そしてマルセルはソフィアの前に片膝をついて祈るように手を組み、仰々しい語り口調でソフィアを仰ぎ見る。流石にこの反応は予測していなかったソフィアは、驚きと苛立ちがない交ぜになった表情で問い返す。
「は? 御主人様って……」
「おおっと、これは失礼致しました。そうですね、今は身分を御隠しになられているのでしたね」
「いや、そういう事じゃなくてさ。ってか、何その語り口調」
「さあさあ、こんな所で長居は無用でございます。私、御主人様のお力になりたいという方をお連れ致しましたので御案内いたします」
 まるでソフィアには何も語って欲しくはないとばかりに、マルセルは一方的にソフィア達を来た方の道へ押し促してくる。それがマルセルだけの一人芝居ならまだしも、一緒にやってきた男達までもが追随していた。見慣れぬ何とも異様な光景にソフィアは眉を潜める。
「ちょっと、これどういう事なの? 説明しなさいよ」
「あっ……え? 御主人様、何か重要なお話がお有りになると。それでは私めにこっそりと耳打ちをば」
「だからさ、何でいちいち説明しながら喋るかな」
「そうそう、御主人様。その方が、無くされた荷物をお預かりしているとの事です」
「人の話を聞けって。って、え? 荷物? もしかして、あのカバン?」
「いかにも。とにもかくにも、まずはそれだけでもお返ししたいと仰って御出でですよ? ここは素直に御厚意をお受けいたしましょう」
 所在のない厚意といい、きな臭さだけなら非の打ち所が無い誘いである。マルセルが急に口調を変えて下男にでもなったかのような振る舞いを取るのは単なる世渡りとしても、他の堅気ではない男達を見る限りカバンを持っているのは先程店でぶつかったあの男、若とか呼ばれていたあいつだ。回りくどい事をしているのもそうだが、本当に厚意だけでこの連中を差し向けているのか疑わしい。そもそもお互い素性すら明らかではないというのに。
 しかし、あのカバンの中身はこのままふいにしてしまうのはあまりに惜しい。少しばかり面倒な事になりそうだが、ここはあえて乗るしかないだろう。虎穴に飛び込んだとしても、こちらには常識の通用しない竜がいることだし。
「分かったわ……じゃあ、まずは案内して貰える?」
「はい、かしこまりました。ただちに」
「それとさ」
 不意にソフィアはマルセルの胸倉を掴み挙げ耳元で声を潜め問い訊ねる。穏やかな口調から一転し、本性を露わにした刃のように鋭い様相だ。
「これ本当にどうなってんの? 何、御主人様って。人を訳の分からない面倒ごとに巻き込むんだから、それなりの理由があるんでしょうね」
「え、ええ。実はですね、カーティスさんとこから逃げるのにどうしても保護が必要でして。で、たまたまあの店であなたがぶつかった方が、あなたに御執心になりまして。そこで、これは取り入っておけば心強そうだと、若干の創作を交えた上で一芝居打ってる最中でして。人助けと思って、ちょっと乗って戴けないかなあ。カバンの事もありますし、大して難しい事ではないでしょう?」
「で、私は一体、何になってる訳?」
「まだあまり設定はありません。ただ先方には、謎の暗殺者に追われるとある名家の御令嬢と、信頼する下男二人とだけお伝えしてまして」
「二人?」
「はい、二人です」
「簡潔に言うと、全部あんたの都合よね?」
「僕は主観的な物の見方は嫌いです。もっと客観的な奉仕の念が必要かと」
 悪びれぬマルセルの表情に、瞬間的に苛立ったソフィアは思わずマルセルの爪先を力一杯踵で踏み抜いた。
 まったく……またこうやって余計な事が付きまとう。
 溜息をつきながらソフィアは脱力ぎみにマルセルを離すと、軽く項垂れ小さな溜息をつく。確かにカバンは取り返さなければならないが、そのせいで余計面倒な事へ関わらなければならないと思うと吐き気すら催すほど憂鬱だった。
 とにかく、カバンだけ取り戻せれば後はどうでもいい。マルセルの庇護がどうとかも知ったことではない。カバンを取り返した後は適当にあしらって、さっさと宿へ帰る。これがベスト。それまでの辛抱だ。
 そう、この理不尽な状況に苛立つ自分に言い聞かせる事で納得させ、冷静な思考力を取り戻させるソフィア。しかし、
「やあ、ソフィー。溜息は良くないよ。小生が精力のつく歌を歌ってあげよう」
「お願いだからさ、無邪気に人の神経を逆撫でないでくれるかな……!?」