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 それからソフィアとグリエルモは、マルセル達に案内され丁度大通りから一本裏手に回った広く暗い通りへと出てきた。ゴミを漁る野良犬や道端に浮浪者が転がっている汚い裏通りは、華やかな表通りとは明らかに異なる別世界の光景だった。そんな通りの一角に、まったく不釣り合いな大型の豪勢な馬車が止まっていた。その異彩さは黙っていても見過ごせないほど、周囲の光景に溶け込めていない。
「さあ、どうぞ」
 男の一人がさっそく馬車の扉を開け、ソフィア達を中へと促す。店での出来事といい、これもカーティスと同類で胸を張って表を歩けないような業界の人間なのだろうと思うと不安感は否めず、無意識の内にソフィアはグリエルモの手をそっと握りながら馬車の中へ足を踏み込む。その後をマルセルは、身を卑屈に屈めヘコヘコと続いた。彼の中ではそういうキャラクターを演じているつもりらしいが、あまり元と変わっていないばかりか見ていて無性に苛立つほどだった。
 馬車の中は驚くほど広く、数人がゆったりと足を伸ばせるほどの空間があった。そればかりか、何かの文化に影響を受けたかの統一感ある華やかな内装が施され、とても自分が良く知る馬車とは思えない代物だった。
「ああ、お待ちしておりました、美しい人。先程とんだ御無礼を働いたばかりというのに、今もこのような無粋極まる招待と、重ね重ね非礼の段をお詫びいたしたい」
 そんな豪華な内装をゆっくりと眺める暇もなく、馬車の中で待ち受けていた青年は早速ソフィアを重点的に挨拶攻勢を仕掛けてきた。その青年は案の定、あの店の出入り口の所で衝突したあの人物だった。どうにも初対面から慣れ慣れしい人間は好きになれないソフィアだったが、親しみの無い相手ほど溜息がつけず笑顔を作ってしまう条件反射のせいで、ソフィアは表向きだけでも愛想良くそれに受け答える。
「さあさあ、御遠慮なくおかけ下さい。シャンパンなど如何ですか? あまり種類はありませんが、有名どころは全て揃えてありますよ」
「せっかくだけど、私はカバンを受け取りに来ただけだから。あまり長居するつもりはないの」
「なるほど、その辺の事情は既に伺っております。申し遅れました、私はライオネル、この街の神竜会の支店長を任されております」
 神竜会とは、先ほどカーティスが言っていた、この街に近頃進出してきた業者の組合である。ただ、組織力があるだけならまだしも、裏では違法な薬物を売りさばいているという、カーティスの白竜会よりも実体は真っ黒だ。そんな組織を束ねているのが一見すると優男風のこの青年。実にありがちな組み合わせである。
「最近こちらへいらしたそうですね。確か、近々お店を開くとかで」
「よく御存知で。店舗は既に建設が終わっていますので、よろしければ御案内いたしましょう」
「あの、それよりも本題に移ってくれないかしら? 私はカバンを返して頂ければそれでいいの」
「失礼いたしました。落とされた御荷物でしたね。幸いにも私がぶつかったあの場所にあったので預からせて戴きました」
 そう言ってライオネルは自分の座るシートの後ろ側からカバンを取り出した。あの重いカバンを片手で軽々と持ち上げるところを見ると、やはり温室育ち風の外見はただの飾りで実際はもっと血生臭いのだろうと推察出来る。そして、着痩せするかの如く自分を隠すのは、往々にして表裏が激しいえげつないタイプが多いという偏見がソフィアにはあり、ますますその笑顔が胡散臭く見えてくる。
「どうぞ。これはあなたではなくてお連れの方ですね」
 カバンをグリエルモに手渡す青年。グリエルモはさも当然のように礼もなくカバンの重みを確かめる。中身も確認しようと口に手をかけるが、中身を見られたくない事とグリエルモが見たところで何一つ得られるものは無いため、すぐさまそれはソフィアに制止される。
「ところで、あなたのお名前を教えていただけますか?」
「もう用事は済んだじゃない。私はもう帰るわよ。カバン、どうもありがとうね」
「待って下さい。私はあなたの力になりたいだけです」
「小生の名はグリエルモ。いずれ世界に音楽史に名を刻むであろう」
「あなたではありません。とにかく、この街にしばらく留まるのでしたら私共の元へ来るとよろしいです。うちならば完璧な安全を保証いたしましょう」
「完璧な安全?」
「ええ。あなたのようなか弱い女性を危険な街に放す訳にはいきません。我々ならば、完璧にあなたの安全を保証いたしますよ。合法的にも、非合法的にもね」
 こいつは本気で物を言っているのだろうか? もしかしてからかっているのではないだろうか?
 改めてソフィアは、面倒な事に巻き込んで、と非難の眼差しでマルセルを睨みつける。その剣呑な視線の意味する所に気付いたマルセルは、すぐさま弁明らしい言葉を放ちフォローする。
「ほら、御主人様はとても危険な何者かに命を狙われている訳ですから、ライオネル様はそれらから御守りする自信があるとそう仰っている訳で」
 まるで期待したフォローも出来ないマルセルはさておき。
 こんな見え透いた嘘を真に受けるのは、頭が弱いのか、良からぬ事を企んでいるかのどちらかである。無論、ライオネルが付き合っているのは後者以外に考えられない。嘘と知っていて尚助けようとするお人好しなのかもしれないが、それを見極めるまでは慎重するべきであり、可能ならばすっぱり関わらないに越したことはない。
 しかしこの状況、そう簡単に振り切れそうにもなさそうである。無碍に振り払って飛び出しても心象を悪くするだけで、この街にも長居出来なくなるばかりかカバンの中身を捌くことも出来ない。如何ともし難い、悩ましい状況である。
 ならいっそ、先に面倒事を片づけてしまってから逃げる事にすれば良いのではなかろうか?
「ねえ、ソフィー。いつそんな危ない事になってたんだい?」
「いいから、あなたは大人しくしていなさい」
 グリエルモの空気の読まない発言にライオネルが眉を潜める。だが空かさずマルセルがフォローする。
「あれは演技でございます。この青年は演技が達者でして、頭の弱い恋人役を演じているのです」
「なるほど……随分と苦労されているようですね」
「同情は結構。それよりも、私の事を助けたいという先ほどのお言葉は今も変わらないかしら?」
「ええ、無論です」
「でしたら、これを買い取って欲しいの。もちろん現金の一括で」
 そう言ってソフィアはグリエルモに渡ったばかりのカバンを再びライオネルへ渡す。
「どうぞ開けてご覧下さい」
 促されライオネルは小首を傾げながらカバンを開ける。すると、中を見たライオネルの表情は瞬く間に変わっていった。そんな表情を盗み見たソフィアは好感触だとばかりに密かにほくそえむ。
「実家の財産の一部です。当面の逃亡資金が必要なので、これを換金して欲しいの。私達は素性を明かす訳にはいきませんから取引なんて出来ないけれど、神竜会なら出来ますでしょう?」