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「凄い……ちょっと拝見させて頂きます」
 俄かに目の色を変えたライオネルは、ポケットから拡大鏡を取り出し、カバンの中から首飾りを一つ取って食い入るようにその細部を確かめ始める。鑑定士とはまた違った素人臭さがあるものの、それなりに数は見てきた経験はあるようである。
「ねえ、あれは何をしているんだい?」
 そんな仕草が気になったのか、グリエルモは一応場の空気を読んでか小声でソフィアに訊ねる。
「ああやって、表面の傷とかカットの技法とか透明度を見るの。それがそのまま売値にかかって来るから」
「いちいちあんなことをしないと見えないなんて、人間は不便だね」
「しなくても見えるの?」
「竜族は大人になれば透視も出来るよ。小生もそろそろ出来るやもしれん」
「やっぱまだ子供だったのね」
 一通り食い入るように鑑定していたライオネルは、やがて感嘆の溜息混じりに拡大鏡を収め落ち着きを取り戻す。その仕草は如何にも堪能したていった満足感に溢れている。
「いや、これは実に素晴らしい。装飾部分には若干の傷はありますが、肝心の宝石がどれも最高の状態であるため大した問題では無いでしょう」
「それでは買い取っていただけるのですね?」
「ええ、勿論。これなら一般の価格に多少上乗せしても十分に買い手はつきますからね。こちらとしても利益が得られますから断る理由がありません」
 にっこりと微笑むライオネルに、ソフィアも同じようににこやかな笑みを浮かべた。だがその笑みの裏では、事がうまく運んだことへの喜びを隠すことで精一杯だった。けれど、幾ら感触が良いとは言え、実際に現金を手にするまで怪しまれる事は避けなければいけない。マルセルが即興で作ったような設定は、今はたまたまうまく利用出来てはいても必ずボロは出る。ライオネルもでっち上げた身分を完全に信じているとは思えないから、利害部分だけでも明確な内に事を済ませておきたい。
「早速こちらの鑑定士に鑑定させ概算を見積もらせましょう。明日には金額が出せるでしょうから、支払いはその時に」
「ええ、構いませんわ。それでは、明日に改めて出向かせて戴きますから」
「分かりました。明日、こちらからお迎えを出しましょう。今夜は私共の経営するホテルへお泊り下さい」
「いいえ、それには及びませんわ。こちらはこちらで宿は取ってありますから」
「そちらは私の方でキャンセルの手続きを取らせて戴きますよ。それに、既に部屋は押さえておりますし、警備体制も万全ですから安全です。荷物もホテルの方へお持ちいたしましょう」
 ありがた迷惑な申し出だ、とソフィアは内心顔をしかめる。しかし、ここで我を通しわざわざ危険な状況に飛び込みたがるような不自然さを見せる訳にもいかず、ここは従うしかないだろうと早々に諦めをつける。
 だがその前に、一度身内だけで話を合わせておく必要がある。そのために、一旦抜け出す口実が欲しい。
「いえ、荷物だけは自分で運びます。従者のものはともかくとして……その、私の着替えとかありますし、あまり見ず知らずの方の目に触れられるのもちょっと」
「あ、これは出過ぎた事を言ってしまって申し訳ありません。ではまず、その宿の方まで送りましょう。それからこちらのホテルの方へ」
 何だか余計面倒な事になってきた。ソフィアは思わず貼り付けた笑顔を崩しそうになる。
 警備の万全なホテルを用意したという事は、こちらを監視するためにも思える。もし、向こうの目的が金銭的なもの、つまりこの取引そのものならば、わざわざこちらを見張る環境を用意してやるは無い。もしもでっち上げの暗殺者なりがいたとして、取引が成立する前に死んでくれればお金を払う必要も無くなるから、むしろ好都合と言える。
 つまり取引以外に目的があるという事になるのだが、金銭でなければ後は身柄そのものになる。無論、違法な薬物を平気で堂々と流すような連中だ、人身売買ぐらいやってのけてもおかしくはない。
 強硬手段ぐらいならグリエルモがいれば少なくとも自分の安全は確保出来るが、それ以外の搦め手からアプローチがあったとしたら、その場その場で対処法を考えなければいけなくなる。しかも取引が不成立になるのだから尚更痛い。
 そこまで考え、ふとソフィアは冷静さを失いかけている自分に気づき、一度呼吸を整える。
 幾ら何でも疑い過ぎではないのだろうか、もしかしたら本当に純粋な気持ちで厚意を向けている可能性だってある。それを疑っては逆に心象を悪くしかねない。かと言って、悪党はこれまで色々見ているだけに、こういう虫も殺さないようなタイプの人間が一番気を許せない事も知っている。
 どちらにせよ、油断せずに平素を装うに越した事は無い。そうすれば、たとえどちらに転んでも最善の選択が出来るはずだ。
「では、早速宿の方へ向かうとしましょう。場所はどちらになりますか?」
「はい、三番街の通り沿いにある赤い建物になります。部屋は今日取ったばかりですし、キャンセルも大丈夫だと思いますよ。いやいや、ライオネル様の御気使いには感謝の言葉もありません。主共々、感謝の至りでございます」
 マルセルが勝手にでしゃばりライオネルに宿の場所をばらしてしまう。そういえば、マルセルはあの場に居合わせているから知っているのだった。早めに口止めしなかった事を後悔する。
 何でお前が仕切っているんだ、と睨みつけようとするものの、ライオネルの手前ではそう何度も露骨に睨みつけられない。釈然としないまま、ソフィアは鬱積だけをひたすら蓄積させる。
 程無くして馬車はソフィアが取ったあの宿へ到着する。幾分華やかさに欠ける通りに、この豪奢な馬車が止まるのは気が引けるほど不似合いで場違いも甚だしかった。当人は気にも留めないだろうが、目立とうとせずに目立つ事を嫌うソフィアには気恥ずかしさがあり落ち着けなかった。
「それではしばし失礼致します」
「はい、お気をつけて。キャンセルの件はお戻りになるまでに話をつけておきますよ」
 ソフィアはグリエルモとマルセルを伴い馬車を降りると、早速取っていた部屋へ駆け戻った。部屋まで護衛を付けられるかと思ったが、流石にそこまで野暮ではないらしく三人だけで部屋へと入る。
「さて、と」
 部屋に他に誰もいない事を確認したソフィアはドアに鍵をしっかりかけ、まずは手始めとばかりにマルセルの脛を力一杯蹴り上げた。
「ぎゃっ!? な、何をするんですか!」
「うっさい、面倒な事に巻き込みやがって。大体、何で私らに付きまとうのよ」
「そういえば僕の自己紹介が遅れましたね。僕の名はマルセル、この街の十九番街の裏の古屋敷に住んでいます」
「別に興味は無いから。あんたの身の上なんて」
「まあ、そう仰らず。僕はですね、将来は劇作家兼俳優を目指しているんですよ。いずれは世界にその名を轟かせ、世界中の人間が僕を仰ぎ、僕の書いた脚本は国宝クラス、キャラクターグッズも売り切れ続出となるでしょう。しかし、そこへ辿り着くにはまだ遠い道のり、今は人生勉強のため様々な経験をしている訳です。そう、それはまるで聖者の巡礼に導かれる信徒の如く」
「あんたはそれでいいだろうけど、少しは巻き込まれる側の身にもなって貰いたいわ」
「それは酷い言いがかりだ! 僕はこれっぽっちも悪い事なんてしていませんよ。こうなったのは、そう、神です。神様の謀なのです。そして神はこう言われました。今日の不幸は明日の糧、隣人も不幸なら更に倍」
「余計タチ悪いし。そもそも、あんたはあの白豚から隠れたいだけでしょう。人を隠れ蓑にしないでくれるかな」
「人生には時として貧困にあえぐ苦難もあるのです。そこにつけ込むあの白豚こそ悪人。そしてあなたは、不幸な僕へ救いの手を差し伸べた女神!」
「こんなに尊大な借金取りから逃げてる言い訳、初めて聞いたわ。あーあ、やっぱりあの時に突き落としておくべきだったわ」
 溜息混じりにソフィアは簡素なソファーへ腰を下ろす。まるでグリエルモがもう一人増えたかのような状況に軽く目眩を覚え、眉間を押さえながらもう一度ため息を付く。すると、そのすぐ隣にグリエルモが腰を下ろし、にこにこしながらマンドリンケースを開けようとする。また例のあれかと、すかさずソフィアはその手を押さえ込んで阻止する。
「今のソフィに必要なのは優しい歌だよ」
「はいはい、分かったから。それよりさ、グリはこの状況を何とも思わないの? 今日だけで軽く五回は不幸に見舞われてるんだけど」
「ふむ、そうだね。あの白豚といい、あの目の悪い青年といい、自らの肩書きに曲がりになりにも竜の名を語るとはどういう了見なのかね? 正直言って小生は憤慨だ。ソフィの前でなければ八つ裂きにするところだよ」
「……あんたに訊いた私が馬鹿だった」