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 翌日の正午過ぎ、ソフィア達の滞在する部屋にライオネルからの迎えが訪れた。グリエルモのワンマンショーに飽きていたソフィアは、早速昨夜と同じ豪華な馬車に乗り込み受け渡し場所へと向かった。
 到着したのは、大通りの一角にそびえる大きな建物だった。住居というよりは仕事場といった堅い印象がある。周囲の建物に、いずれにも名の知れた企業の名前が描かれた看板が出ており、ここがこの街でも一等地に当たる界隈なのは一目瞭然である。だが、さすがにビジネス街という事もあって、慣れ親しんだ盛り場独特の空気が無く、ソフィアは自分には場違いだという思いが拭えなかった。
 社員に通されたのは、神竜会のオフィスの一番奥にあった特別用の応接室だった。華やかさこそ欠けるものの落ち着いた色彩の室内は、外の景色同様に自分の場違いさ加減ばかりが気になってしまい、ソフィアは雑念に悩まされながらソファーに腰を下ろした。その一方で下男役のグリエルモとマルセルはいたってマイペースで、グリエルモは室内に飾られていた絵画を分かりもしないくせに頷きながら凝視、マルセルはこそこそとしているかと思えばテーブルにあったタバコを上着の中へ入れている。昨夜はマルセルの作った設定を多少なり賢いものだと考え直したのだが、このような様を見てはやはり気の迷いだったと考えは元に戻した。名家などと最もかけ離れた品位の人間が演じるのは無謀極まりない。やはり金を受け取ったならすぐさま逃げるべきだと決心を固める。
「お待たせいたしました」
 それから数分経過した後、ライオネルが濃紺のスーツ姿で部屋へやって来た。片手には金属製のアタッシュケースが携えられており、ソフィアは挨拶よりも先にまずそこへ視線が向かってしまった。
「いえ、こちらが無理を言ったのですから」
 昨日と同じ朗らかな雰囲気のライオネルは、絵に描いたような爽やかな笑みを浮かべながら向かいのソファーへ腰を下ろしテーブルの上へアタッシュケースを置く。
「それでは早速ですが。まず、こちらが査定額の明細になります。そしてこちらに買い取り額を現金で用意いたしました」
 ライオネルが差し出した三つ折の書類に目を通したソフィアは、そこに書かれていた額に思わず息を飲んだ。これまで手にするどころか目にすらする事の無かった金額が書かれていたからである。まさかと思い書類を勢い良く畳みアタッシュケースへ手を伸ばそうとするものの、ソフィアの何時に無い乱暴な仕草に驚いて目を見開いたライオネルに気付き、一度咳払いをした後改めてゆっくりとケースへ手をかけ蓋を開ける。
 うわ……。
 そこに並んだ紙幣の束に、ソフィアは我も忘れはしゃぎたい気分になった。これだけの現金が自分のものになるなど夢でしか起こり得ないと思っていたのだが、今確かに現実のものとなったのである。気分が高揚しないはずはないのだが、ライオネルの手前高揚させる訳にもいかず、そっと目を閉じ精神を集中させながら静かに蓋を閉じた。
「金額をここで確認して戴いても結構ですよ」
「いえ、ライオネルさんを信用しておりますので」
「そう仰って頂けると、何とも光栄の至りです」
 けれど本心では、これ以上目にするのはあまりに毒だから、出来るだけ意識しないようにするための方便だった。それに、たとえ明細通りの金額が無かったとしても、当初こちらが理想としていた額を上回っているのは確実であるため、少なくとも大損するという事は有り得ないという考えがあった。
「ところで、ソフィアさん。実は私、あなたに折り入ったお話があるのですが」
 ふと、大金の事で頭が一杯になっていたソフィアにライオネルがそう切り出してきた。
「え? はい、何でしょう?」
「これは少々込み入ったお話ですので、出来れば一対一で行いたいのですが……」
「そうですね。では二人は部屋の外へ一度出て貰いましょう」
 そのままソフィアは二人を部屋の外へ出させたものの、こうしてライオネルと二人きりで対峙すると、あっさり部屋の外へ出してしまったのは失敗だったと後悔した。敵陣の中で孤立するのも同じ、いざという時に自分の身を守る事が出来なくなるからである。
「あの、先にひとつ宜しいですか?」
「どうぞ、何なりと」
「あなたの厚意には感謝いたしますが、どうしてここまで見ず知らずの私に?」
 するとライオネルは腰を上げてテーブルに手をつき、ソフィアへ顔を近づけて来た。いつの間にかあの笑顔は消え去り、鋭い視線がじっとソフィアを射抜く。
「まず、先にお訊ねいたしますが」
「は、はい」
「あなたは嘘をついていらっしゃいますね? 名家の令嬢とか暗殺者に命を狙われているというのは、全て誰かの創作だ。違いますか?」
 やはり見抜かれていた。
 けれどソフィアは緊張感こそ強めるものの慌てる事はなかった。薄々は予感していた事であるため、思考はすぐさま脱出の算段へと切り替え、冷静にそのチャンスを待つ。
「驚かせてしまったようで申し訳ありません。実の所、それについて私はどうこう咎め立てするつもりは一切ありませんから。それに、あなたの宝石類で利益が出たというのも本当の事ですし、何も恨み晴らすとかそういう事ではありませんよ。どうか警戒しないで戴きたい」
「だったら何が狙い? あんだけ丁重にもてなしといて、それも全部厚意とか言わないよね?」
「おっと、そのような言葉遣いは良くありません。どうかこれまで通りの穏やかながら凛とした口調をして戴きたい。それで、実はですね、ソフィアさん。私はあなたと仕事の契約を結びたいのです。それもただの仕事じゃありません。神竜会がこの街で成功するか否かを賭けた、とても重要なプロジェクトの中核です」
「私はしがない流れの旅芸人よ。ちょっと歌って踊るぐらいしか能がないわ。とても正気の沙汰とは思えないんだけど」
「歌に踊り!? 素晴らしい! ええ、それでもう完璧です。ああ、私は遂に最高の逸材に巡り会えた!」
「は?」
 突然ライオネルは、柄にも無く興奮気味の口調でそう声を上げた。明らかに異常な様子に、ソフィアの緊張感はこれまでと異なる怪訝な警戒へと変わりつつあった。