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 元々、真っ当な仕事で成り立っている会社ではないのだ、どうせそのプロジェクトとやらもろくなものではない。ソフィアは警戒する範囲を広めつつ強め、何とか外のグリエルモに危険を知らせる手段を思案する。
 単純に取っ組み合ったところでライオネルに勝てるはずはなく、もしも首などを絞められて声が出せなくなればそれで終わりだ。ここで大声を出すにしても、部屋の外までちゃんと聞こえるかどうかも分からない上に、これを試みれば必ずライオネルから攻撃を受ける。助けが来る前に自分がどうかなってしまっては元も子もない。まずはこの部屋から飛び出す事を考えるべきである。
 そうなると、やっぱりこれしかないか……。
 ソフィアの視線は目の前のテーブルにある金属製のアタッシュケースに止まった。相手の不意を突く事が出来れば、幾らなんでもこんな金属の塊で殴られたのならばグリエルモのように頑丈でも無い限り怯まないはずが無い。自分の腕力と相談すると少々キツイだろうが、下から振り上げるような形ならば全身を使って何とかなるだろう。後はタイミングが鍵を握る。
 殺意に似たただならぬ意識を胸に秘めながら、ソフィアはライオネルの隙が生ずるタイミングをじっと見計らう。それに対しライオネルはまるで気づいている様子もなく、いっそう気を込めた熱弁を奮う。
「実の所、この街に開こうとしていた店は予定を中止しようと思っていたのです。とてもこのままじゃ成功は望めない、だったら下手に傷口を広げるよりも別な形で初期投資分を補った方が良いだろうと。しかしそれも、こうしてあなたに巡り会えた事で一切がっさい解消されました。もはや成功は約束されたようなものです!」
「はあ……それで、どうしてこれまでは止めようなんて考えてたのですか?」
「店の看板を背負って立てる歌手が見つからなかったからです。広告で大々的に募ってはみたものの、確かに綺麗な女性は幾人も集まりました。ですが、いずれも胸を打つものがない、人に媚びるばかりで同じ表情と突飛さだけの個性。そんな無個性の裏返しみたいなもので面白がられるのは最初だけ、やがてすぐに飽きられ大衆の心は離れてしまう」
「まあ、そりゃねえ。結局見た目で選んでるだけだし、いつかは見飽きるでしょうね」
「しかし! しかし、あなたは違う。決定的に違う。美しいのは元より、刃のように凛とした高潔な態度があります。決して媚びへつらっていないというのに、見る者の目を引き付け、捕らえ、そして離さない強烈な魅力。飽きるとか飽きないとかそんな域じゃない、持って生まれた才能です。まさしく私が捜し求めていた人材、あなた以上の適役など見つかりませんよ」
 半ば自己陶酔気味に熱く語るライオネル。しかしソフィアは、熱意を伝えられれば伝えられるほど一層気持ちは冷めて離れていった。そんなのは知らない、と切り捨てるにしても既にライオネルとの温度差は意思の疎通すら困難なほどに開いているため、こちらの意思を伝えるのは徒労と紙一重というソフィアが最も嫌うものである。
 また変なのに捕まったのか……。よくよく縁があるわね、変人とは。
「あなたなら頂点へ辿り着けますよ! いえ、私が必ずそこへお連れ致します!」
「そんな教義的な階位を言われても困るんだけど」
「ああ、いいなあ、それ。そう、私が求めていたのはそれなんですよ! 喉元に切っ先を突きつけるかのように、平然と正論をぶつけてくる非常な割り切り方! 夢や幻想がまるで抱けないのがたまらない!」
 駄目だこいつ。
 もはや一片の接点すら持ちたくはなくなったソフィアは、たまらずケースを持ち上げ席から立ち上がる。しかしすぐさまライオネルはテーブルをいきなり飛び越えてくると、ソフィアの肩を掴み押さえて来た。
「下の階にデザイナーを呼んでありますので、これから衣装の寸法を採ります。少々このままお待ち下さい。すぐに素晴らしい衣装を御用意いたしますよ」
「ちょっと、離して! 何触ってんのよ、馴れ馴れしい!」
「足を上げてはいけない! 神秘性が薄れる!」
「神秘性の仕組み知ってるなら関係無いでしょうが!」
 すると、その時だった。突然部屋のドアが激しい勢いで室内へ飛び込んでくる。鍵がかかっている訳ではないが、外から凄まじい力で蹴破られたような様相である。
「貴様……この猿め、ソフィに何をする……!?」
 そして入って来たのは、いつになく厳しい表情のグリエルモだった。心なしか瞳の形がいささか爬虫類のような面長に変質している。
 常人ならば一睨みで威圧され身動きが取れなくなっていたかもしれない。人間など路傍の石程度にしか思っていないグリエルモが怒りも露にしているのだ、圧倒され呼吸すらまともに出来なくなるのが普通の反応なのだが、興奮のあまり我を忘れかけているライオネルはまるで意に介すどころか、むしろ自らグリエルモへ近づいていった。そして、
「ふむ、君はよく見ると実に良い顔立ちをしている。女性層も取り込めるかもしれないな。君は音楽に興味はあるかね?」
 音楽、そして興味。
 ある意味では禁句である質問にグリエルモの怒りは急速に消えてしまい、険しかった表情をけろりと覆した。
「小生はいずれ音楽史に名を刻む者である。興味ではない、生甲斐である。どれ、一つその生き様を見せてやろう」
「いやいやいや、この精悍な顔立ちに似合わぬ珍奇な発言、これはいける。確実に売れる。ソフィアさんとの好対照、これがたまらない」
 もうどこから手をつければいいのやら……。
 俄かに打ち解けあうグリエルモとライオネルの様子に溜息をつき、その背後からこっそり室内を覗き込んでいるマルセルにはこれでもかと憎しみを込めた睨みをぶつける。唇の動きだけで、おまえさえいなければ、と言伝ると、何か別な意図と受け取ったのかマルセルは照れ臭そうに頭をかくだけだった、
 馬鹿は、個々でいるよりも団結した方が遥かに厄介なもの。その厄介なものを目の前に、ソフィアはもはや戦う気力すら失ってしまった。
「あのさ……一体私達をどうするつもりなの? 具体的にさ」
「あなたがたは、我が神竜会の看板パフォーマーとなっていただくのです」
「なんでエンターテイメント事業?」
「半分は世論操作のため、もう半分は私の趣味です」
「いけしゃあしゃあと、趣味と来たか……。ドラゴンキッスとかいうの、そこまでして売りたいのね」
「おや、御存知でしたか。大丈夫、御安心下さい。あんな危険なもの、あなたがたに使用する事はありませんから」
「危険と分かってて売ってるの!? 馬鹿にも程があるわ!」
「ああ、その正論、染みますねえ。きっと民衆の心も鷲掴みに出来ますよ」
 ただ駄目なだけじゃない、真性の変態だ。
 どうか関わらないで。分かるよね? この手の奴と関わると、ロクな目に遭わないって事ぐらい。
 そう切実な思いで傍らのグリエルモを潤んだ目で見つめるソフィアだったが、
「音楽事業か。ふむ、悪くはない。小生とソフィでやるのだね? よかろう、最高の感動を送ろうではないか」
 あっさりグリエルモは幾つか段階を飛び越えて承諾してしまった。