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「やあ、ソフィアさん。今日も凛々しいお姿が眩しいです」
 そう出迎えるライオネルは朝からテンションが高い。
 今日はリハーサルという事もあり、毎朝の迎えの馬車は普段とは別の建物へ向かっていた。階層は地上地下合わせて五つと、これまで見てきた建物の中では一番こじんまりしている。外観も小綺麗ではあるが派手さには少々欠け、シックというよりも全体的に地味な印象が否め無い。けれど、むしろこれはあまり目立つ所でやらないようにというライオネルの考えが見え隠れしているようにも取れる。まだ街全体の勢力図から言えば安寧とは言い難いのだから、事を出来るだけ慎重に進めるのだろう。
「まずは衣装合わせです。さあ、あちらの部屋へ。スタイリストを待機させております」
 楽屋は元からその目的で設計されたにしては広く、着替えるにはいささかの抵抗感のある部屋だった。壁には大きな鏡も張り付けられ、そこへ終始写る自分の姿にも羞恥心が煽られる。
 準備が整うと、早速会場へ案内された。通されたのは地階にある大ホールだった。音量による近隣住人への配慮らしいが、それはおそらく嘘だ。何故なら、カーティスの言う行方不明者の監禁場所というのが他でもないこの建物で、しかも更に下の階へ続く階段は露骨に封鎖されていたのを目にしたからである。つまり、地階を使うのは単に人目を避けるためだ。
 おそらくこの下の階に彼らは閉じこめられているのだろう。そして当日は、階段経由で人目を心配せず会場へ入れる事が出来る。そして二階から上は謎の倉庫、裏手には不必要に大きな馬車の発着所まである。もはや笑えてくるほど効率的な仕組みが出来上がっているのだ、その非日常の一部に自分が組み込まれる事も十分に有り得る。
「どうでしょう。いささか建物は古いのですが、内装から全て作り替えていますから年季は感じさせません。設備もばっちり、最高の物を取り揃えていますよ」
 ホールの広さはざっと百人規模、テーブルを十人に一人ずつ置いてもかなり余裕がある。一階まで吹き抜けになった天井のおかげで解放感もあり採光も十分である。ステージも広く新品の床は顔が写るほどで、踏む事を躊躇ってしまいそうである。ライオネルの声は生声だというのに、この広い会場中へ不思議なほど良く響き渡った。ホールの構造が良く反響するように工夫されている事もあるのだろうが、どこかに魔法か何かの特殊な装置でも付いているようだ。仕組みこそ分からないものの、とにかく設備投資は惜しんでいない事は確かのようだ。
 これなら、何とかうまくいけるかな……?
 間取りや構造を良く確かめながら、そうソフィアは小声で呟いた。カーティスから提案された作戦は、複雑というよりも事前までに用意を終えなければならない前提が非常に多い。それら全部を全て確定するには非常に手間がかかるのだが、ひとたびかっちりと噛み合えば、作戦通り事が望み通りうまく運ぶのも確かである。
 大半の不安要素は当日の会場にあったが、もはやその大半はこれで解決した。後は、カーティスと繋がっている事を悟られるのだけは避けなければならない。ライオネルはあれでも人間の観察力は人並み以上に優れていて、マルセルの起こした狂言もあっさり見破っている。もしも下手を打って事が露見してしまえば、非常に状況はまずくなる。少なくとも、最終手段、グリエルモだけは使いたくはない。
「どうかしましたか? 急に黙り込んでしまわれて。何か御不満な点でも?」
「いいえ、何でもない。会場はてっきり新規オープンする店かと思っていただけ」
「ええ、そうなんですが。実は今頃になって設計ミスが見つかりまして。当日は大事なお客様をお迎えする訳ですから、もしもの事があってはいけないと。その問題が解決すれば、いずれソフィアさんにもステージへ立っていただきますよ」
 そう人の良さそうな笑顔を浮かべるライオネル。しかしこれもカーティスの情報からでは嘘だ。新規オープンする店は実在するが、初めから向こうのパーティは別枠で組まれている。つまり、元から自分を使って扇動するつもりだったのだ。本当の事を言っている部分はきっと、趣味の部分だけだろう。
「しかし、残念なのはグリエルモさんですね」
 ライオネルが傍らに控える二人の内、グリエルモの方へ目を向ける。グリエルモは左腕にギプスをはめ首から吊った痛々しい姿をしている。表情も見るからに優れず落ち込んでいる。
「……どうせ、いつもこうだ」
 グリエルモはぼそぼそと小さな声で呟き、おもむろにその場へ屈み込んだ。慌ててそんなグリエルモをフォローしようとするマルセル。そんな二人の姿を見ていられないのか、ライオネルは苦笑いを浮かべながら視線を外しソフィアの方へ進みながら距離を取った。
「まさか馬車にはねられるとは。あの程度の怪我で済んだのは不幸中の幸いですが、これでは当日は出演出来ませんね」
「日頃からボーっとしてるような人間だから、いい薬になるでしょう」
 痛ましいようなものを見る目を向けるライオネルの様子に、少なくともグリエルモの怪我を疑っているような素振りは無い。念のためカーティスのつてから本物の医者に診断書を作らせてはいたが、この様子では疑われる余地はもう無いと思って良さそうである。一番の不安だった腹芸も、マルセルがうまくフォローしていけば問題はないだろう。
「では、そろそろリハーサルと参りましょうか」
「はいよ。じゃあやりますか」
「ソフィアさん。重ね重ね言いますが、日頃の言葉遣いから神秘性を大事にして下さい」
 作戦の経過は、今のところ順調だ―――。