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「初めまして。私の名前はバジルと申します」
「小生の名はグリエルモだ」
 互いに簡単な自己紹介を済ませ、立ち場所を目立たない道の端へと寄せる。しかし、よく見れば見るほどグリエルモの容姿は人目を引く特徴的なもので、多少隅へ行ったぐらいではあまり変わりそうになかった。派手な銀髪と長身は嫌でも目立ち、視界の隅に移ったぐらいでは存在感を消すことは出来ない。顔立ちもまるで作り物のように整い過ぎており、文化も何もかも違う相当遠い異国からやってきた人間なのだろう。憲兵に呼び止められたのも、たまたまそんな容姿が目に付いたからに違いなさそうである。
「あの、グリエルモさん。さっきの彼らなんですが、あれはこの国の憲兵です。ですから今後からは出来るだけ逆らわないようにした方が良いですよ」
「ふむ。憲兵とは何かね?」
「あ……それはですね。国民に法律を守らせる事を役目としていまして」
「法律とは掟の事かね?」
「そう、それです。掟の事。掟を破る人間や破りそうな人間、破るようそそのかす人間は、憲兵によって罰せられるんですよ」
「やれやれ、難儀な事だね。それで、この国の掟とはどれだけあるのかね?」
「えっと、確か私が生まれた頃はこのぐらいの厚さでした。今は大分改定が進んでいるので、倍近いかと思います」
「なんと! 君達はこれほどの掟に縛られながら生活しているのかね。まったく、猿とはそうでもしなければ御せないほど野蛮なのかね」
 グリエルモの奇妙な驚きと反応に、バジルは本気で言っているように受け取るまいと半ば一線を引いた苦笑いを浮かべ有耶無耶に流した。もしこの会話を憲兵にでも聞かれていれば、更にもうひと騒動起こったかもしれない。そう考えると自然にそんな苦笑が生まれた。
 まさか本当に憲兵を知らなかったとは。いや、憲兵だけではない。法律を掟と呼び、その掟が何百項目にも及んでいる事が異常だと感じること。それはまるで、まったく人の手の及んでいない未開の地からやって来たかのような反応である。しかし常人離れしているとしか形容出来ない端正な容貌や洗練された衣類から、グリエルモが文明が発達していない土地の出身とは到底思えない。
 あるいは、天の国からでもやって来た者ではあるまいか?
 冗談のようなグリエルモの存在そのものにバジルは半ば戯けた事を考え、それを最後の推察とする。旅をしている人間は多かれ少なかれ、訊ねられたくは無い事情を抱えているものだ。こうしてとぼけた振りをしているのも、案外何らかの言うにやまれぬ事情があるからなのかもしれない。
「ところで、今夜はどちらへお泊りに?」
「これから宿を取ろうかと思っているのだ。そこをさっきのつがい共に捕まっていてな」
「グリエルモさんはお一人で旅を?」
「如何にも。この街にも何となくで辿り付いたところだ」
「それでは宿を取るのは無理ですよ。この国では、身元が明らかでない人間を宿泊させる事は禁止されているのです。旅をされているとは言っても、身元引受人や保証人なんかがいませんと」
「では君がなってくれ給え」
「いえ、その、私では色々と問題がありまして」
「信用が無いのかね? 世間様に顔向けが出来ないとか」
「えっと……まあ、お恥ずかしい話ではありますが、そういった所です」
 グリエルモは何の気も無く言ったのであろうその言葉、だがあまりに今のバジルの身の上を的確に表現する言葉でもあり、バジルは思わず動揺し軽くむせてしまった。そもそも自分は表向きには定職にもつかずふらふらしている事になっているのだから、初めから保証人にはなりようが無い。
「あの、よろしければ我が家へいらっしゃいませんか? あまり大したお持て成しも出来ませんが」
「ではそうする事にしよう。案内し給え」
「あ、ああ、はい……」
 あまりに躊躇いの無いグリエルモの即断に驚き、バジルは何故か自分が申し訳ないように思ってしまった。
 親切な振りをし、旅人を家に泊め寝ている間に襲う手口を用いる強盗も珍しくない。いきなり見ず知らずの人間に勧められても、普通はその危険性を案じて遠慮するものなのだが、迷わず即断するとは。本気で人を疑う事を知らないのか、こんなにも無警戒でいられる神経が信じられない。むしろ、剣で斬りつけられても平然としているような人間だから、物事に対して鈍感になるのだろうか。
 二人はそのまま街を出て郊外へと向かう。バジルが選んだ人目につき難いルートを通ったため、自宅まではやや遠回りになったものの幸い二回目の憲兵との遭遇という事態には至らなかった。おそらく次に問い詰められれば、弁解という選択肢は賢くは無い選択になっているはずである。
「グリエルモさんはどうしてこの国へ?」
「小生、自らの音楽性を磨くために旅をしている最中である。ここを訪れたのはたまたまだろうが、何らかの運命もあるのであろう。『我らはー運命のー操り人形ー』」
 いきなり歌いだすグリエルモを怪訝な表情で一瞥するバジル。田舎から出てきて都会の勝手も分からないからと思ったのだが、もしかすると田舎者というよりは単なる頭の弱い青年なのかもしれない。
 やがて到着したのは一軒の古びた家。周囲には人家も無く、何もない平野にぽつりと佇む物寂しい家屋である。
「ただいま、今帰ったよ」
 家の中は外とはあまり温度差のない肌寒さの残る温度だった。暖房は元より、家そのものが老朽化しているため隙間風が絶えないせいである。
 バジルの声に奥の部屋から足音がこちらへやってきた。しかし足音の主は数歩進む度に咳き込み、それがこちらまで聞こえてくる。
「お父さん? 随分遅かったわね。何かあった?」
「薬屋が珍しく混んでいたんだよ。おかげでくたびれてしまった」
 現れたのは年の頃は十を僅かに超えたぐらいの少女だった。古びた上着を何枚か重ね、しきりに咳き込んでいる。顔色も心なしか思わしくない。
「これは私の娘でソフィアといいます。こちらはグリエルモさん、今夜はうちに泊まってもらうよ」
「それじゃあ今日は御飯を多めに支度しなくちゃ」
「いいよ、お父さんがやるから。お前は部屋に戻って薬を飲んで静かに寝ていなさい」
「そう? でもお父さん、火を使う時は気をつけてね」
「分かってるよ。もう小火は出さないさ」
 振り向き様にグリエルモへ微笑し会釈すると、ソフィアは咳き込みながら奥の部屋へと戻っていった。
「君の娘にしては随分と似ておらんね」
「よく言われます。娘は妻に似て、妻は私には過ぎた女性でした」
「あれは病気かね? 加減が悪そうだ」
「もう二年にもなります。この地方特有の風土病でして、体力の無い者がよくかかるんです」
「なるほど、まだ幼いというのに可哀想に。まあ、たかだか二年だ。いずれ良くなるだろう」
「はあ……」
 何が二年だろう。本来は二年もつきあわなければならないような病気ではないというのに。
 ふとそんな苛立ちが脳裏を掠めるも、きょとんとしたグリエルモの視線に慌ててそれを振り払い平素を取り繕った。