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「こんなものしか用意出来ませんが、どうぞお召し上がり下さい」
 食卓に並べられたのは、ライ麦のパンと野菜の料理が二皿、そして野菜の破片ばかりの入った薄いスープだった。
「うむ、うまそうだ。ありがたく戴くとしよう」
 グリエルモは早速食べ始めた。意外な事に、思いつきで感じた事をすぐに口にするようなグリエルモが料理に全く文句を付けなかった。これは何の餌かね、などと言われるかと思ったのだが。人を気遣い方便を駆使するような性格にも思えず、本音にしても随分白々しい。改めてグリエルモの感性は、まるで理解に困るものだと思い知る。
 娘以外の人間と食事を共にするのは、バジルにとって久しぶりの事だった。街で犯行を繰り返しては薬屋でなけなしの金をはたいて薬を買う、そんな日々。社会との関わりが希薄になってきた生活を送る者にとって、知り合ったばかりの人間と食卓を共にするのは非常に新鮮だった。
 大した品数でもない食事は程なく終わり、バジルはお茶をいれグリエルモと共にくつろいだ。
 油の節約のため、明かりはテーブルの中央へ蝋燭一つだけが灯されている。日もとうに暮れた薄暗い部屋の中、二人の間に挟まるテーブルの横幅は辛うじて二人の顔が分かる距離である。街で見た時のグリエルモの銀髪はまるで錦糸のように輝いていたが、この暗さではそれもすっかり形を潜めている。幾ら眩しいものでも光が無ければ輝けないものだとバジルはしみじみ思った。
「この街にはどれほど滞在する予定ですか?」
「特に予定は立てておらんよ。元より当てのある旅ではない故に。『まさに渡り鳥さー』」
「羨ましい限りです。私もどこか遠くへ行ってみたいものだな。もっとも、臆病な私には知らない道すらも歩けないでしょうけど」
「知らないものが怖いとは奇異な話だ。普通は好奇心が沸き上がるものではないのかね? 男児の好奇心は燃え盛る炎の如く触れるもの全てを我が物にせんと染め抜きいつしか倫理の鎖から解き放たれ野生の風に肌を吹かれ更なる炎へと燃え上がるのだ」
「さすが、グリエルモさんは饒舌でいらっしゃる。弾き語りなどもされるのですか? 吟遊詩人のように」
「小生は音楽家であるので副業には興味は無いのである」
 グリエルモは一体何者なのか。バジルは今更そんな疑問を思い浮かべた。言葉遣いに難はあるものの、決して悪人という訳でもない。特異な容姿と、それを上回る突拍子もない言動、どういう訳か剣で斬りつけられても平然としている頑丈な体。彼が何時何処で生まれ、どのような生い立ちで、どんな家族構成で、どういった目的で旅をしているのか、興味は尽きない。
 バジルはそんな疑問を遠回しにグリエルモへ何度か訊ねてみたものの、今一つ的を射た返答が得られない。隠さなければいけない事情でもあるのか、とも思ったが、元から見当違いの言動が多いだけに一概にそうとも言い切れない。ただ一つ分かったのは、グリエルモが音楽に対して並々ならぬ情熱を抱いているという事だ。少なくとも悪人ではない。それがバジルが最終的に下した結論である。
「あの、グリエルモさん。代わりに、と言っては何ですが、実はひとつばかりお願いがあるのです」
「何かね? 恩には恩で返すのが我が故郷の仕来り故、何なりと」
「はい。実は、ちょっとした所用がありまして、これからしばらくの間夜は家を空ける事が多くなるのです。ただ、病床の娘を一人置いていくのは忍びなくて。もし良ければ、しばらくの間我が家へ滞在して貰えないでしょうか?」
「護衛代わりかね。まあ良かろう。任せ給え。君も父親である以前に雄だ、夜遊びも必要であろう」
「はあ……」
 何か誤解をしているようではあるが、むしろ誤解されている方が都合はいい。まだグリエルモの特異な感性の実態は掴めておらず、善悪の基準もはっきりしていないからだ。本当の事情を話したところで、物分かり良く受け取ってくれる保証はない。
 あっさりと自分の願いを聞き入れてくれたグリエルモ。それに安堵するのも束の間、不意にバジルはグリエルモの反応はやはりおかしいのではと疑念を持った。そう、何の脈絡のないとまでは言わなくとも、普通こういった頼み事には誰もが僅かなり躊躇いを見せるものだからだ。
「あの、グリエルモさん」
「何かね?」
「質問はないんですか? どうしてとか、何故とか」
「何を訊ねる事があろうか。君が泊める代わりに頼み事をし、小生はそれを引き受けるというだけの事であろう?」
「でも、私達は今日逢ったばかりですよね? 普通、初対面の人間に自宅の留守を頼むなんて有り得ないとは思いませんか?」
「なんだ、今の頼みは嘘だったのかね?」
「いえ、そうではありませんが。ただ、あまりにもあっさり聞き入れてくれたので、何か企んでいるのではと逆に不安に思ってしまって。こちらから頼んでおきながら、失礼な言い種ではありますけど」
「小生が疑わしいのなら、初めから頼まねば良かろうに。疑わしい人物に留守を預けるなど正気の沙汰では無い。逆に小生も疑うべきではと思い始めたぞ」
「す、すみません。本当にそんなつもりではなくて」
「君は疲れているのであろう。まあ、留守は小生に任せ夜の街でゆっくりはめを外してきたまえ。君の娘、ソフィア嬢にはそれとなく言い繕っておこう」
「はい、よろしくお願いします」
 グリエルモに指摘され初めて気づいたが、確かに見ず知らずの他人に留守を預けようとする自分の行動はおかしいものだ。グリエルモからは悪人の匂いがしないという直感だけで、留守を任せるほど自分はいい加減な性格ではないと思っている。けれど、どうにかこの青年を家に留めておきたくて仕方なかった。そのためには期限を明確に切らず留守を預けさせるのがいいと思いついたのも、それのせいである。
 しかし、どうしてこう簡単にこの青年を信用するに至ったのだろう? 自分がもうこれ以上一緒にいられないかもしれないと、心のどこかで覚悟を決めているせいなのだろうか? だから、誰か信用出来る人物に預けようと? 親戚縁者のいない自分に代われる、信用出来る赤の他人に。
 自分でも不可解なグリエルモへの頼みに考え込んでいる最中、不意にグリエルモは席を立った。
「さて、少々君の娘と会話でもして来よう。早めに打ち解けておかねば、留守を任されるには及ばなくなってしまうからな。そうだ、お近付きの印に一曲進呈しよう」
 そう言ってグリエルモはこちらの返事も待たず一方的に奥の部屋へ行ってしまった。相変わらずマイペースな人だと、バジルは肩を軽くすくめ自分も立ち上がりお茶を入れ直すべく台所へと向かう。だが程なくして、激しい物音が奥から聞こえてきたかと思うと向かったばかりのグリエルモが戻ってきた。珍しく表情には不満の色が浮かび、ぶつぶつと何事かをしきりに呟いている。
「あ、あの、何か?」
「君の娘は失敬だな。着替えの最中だから入ってくるな、と椅子を投げてきたぞ」