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 手足に枷をはめられ、この時間にあえて大通りを歩かせるのはただの見せしめではない。枷で不自由な足で時間をかけ歩かせることで、自分は法律を破った犯罪者だと自覚させ屈服を促す意味合いもあるのだろう。
 夜も更けた大通り沿いには、未だ多くの人が行き交っていた。その中を憲兵に引き連れられるバジルの姿に誰もが視線を止め振り向くものの、すぐ視線を逸らしそそくさとその場から立ち去っていった。それは民衆が、見せしめを行うまでもなく法律を破ることの恐ろしさを憲兵を通じて知っているからである。むしろ彼らには、これは単に明らかな犯罪者へ加虐しているだけのようにしか見えなかった。
 バジルは一言も言葉を発さず、ただ黙々と連れられるまま歩き続けた。一つ異様なのは、何故か表情には余裕のような穏やかさがあり、まるで取り乱した素振りを見せていない事である。
これまで逮捕後に引き回された者は多くいるが、その大半が落ちつきなく周囲を見渡したり、辺り構わず怒鳴りちらしたり、絶望のあまり言葉や表情を放棄したりと、様々な反応を見せていた。今際の際まで落ち着き払った者もいる事はいたが、それは別の街から流れてきた凶悪犯や元から精神がやられていたりと、どれも出自が特殊である。
 だが、バジルは違った。どこからどう見ても何の変哲もない一般人なのだが、妙に落ち着き払い静かに歩いている。実は産まれ持って剛胆な性格なのか、まさに今精神をやられたとしか考えられない。
「随分と余裕だな。これから裁判を飛ばして死刑になるというのに」
「元から覚悟はしていましたから。それに、やるべき事は既に終えました。もう悔いはありません」
「それはお前の娘の事か? 残念だが、お前の娘には共犯の容疑がかけられているぞ。今頃、他の憲兵に確保されているだろう」
 わざとらしい挑発的な言葉で囁く憲兵。明らかにバジルを動揺させようという魂胆が見え隠れしているが、どれだけ露骨なアプローチでも娘の名前を出されれば流石に動揺するはず。しかし、
「さあ、果たしてそううまくいくでしょうか?」
 バジルは悠然と笑みを浮かべていた。それは馬鹿にするというよりも、仮にそうなったところで手は打っているとばかりの余裕に満ちた返答である。バジルの身辺は既に洗い終え、協力するような友人やコネクションが存在しない事は判明している。どう考えても憲兵が娘を確保する事を阻めるはずが無いのだが、この自信の根拠はどこから出てくるのかと憲兵は訝しんだ。だが、そもそもこの状況でまともに物事を把握出来るとは考えにくいのだから、とうに正常な思考力は欠落してしまったのだろう。
 物事を正常に考えられなくなったのなら、どんな返答をされようと訝しむ事は無い。憲兵にとってそれ自体は言葉を控える理由にはならなかった。
「まさか娘をあらかじめ逃がしていたのか? 知っているぞ、お前の娘が病気な事ぐらいは。子供の足で逃げ切れるものか。あえなく捕まるか、どこぞで野垂れ死ぬかだ。一体何を期待しているんだ?」
「まあ、色々です」
 それからバジルは何を問われてもはぐらかすばかりで肝心の核心を打ち明けようとはしなかった。そんな仕草を見て憲兵は、大方根も葉もない嘘を吹いているだけなのだろうと深くは詮索しなかった。むしろ、何を訊いても同じ答えばかりで反応に面白みが感じられなくなったので、すっかり飽きていたのである。
 バジルを引き連れた一同は、やがて街の中心部に位置する大広場へ差し掛かった。この広場は中心部に巨大な噴水と彫刻が建てられ、特に美観には気を配られた作りになっている。普段は人で溢れる大広場だが、今夜ばかりはほとんど人影が見当たらなかった。憲兵達がバジルを引き回している事が既に広まっていて、人々が不穏な空気を察知し早々と帰宅してしまっているからである。特にこういった事件のある時は、何気ないちょっとした事でも憲兵の目に留まれば火傷では済まない仕打ちを受けるのだ。
「憲兵長の指示では、ここで一晩吊るし上げておくそうだ。誰か縄は用意しているか?」
「それなら私が。先に台の方へ通しましょう」
 そして一人の憲兵が噴水の傍にある一つの彫刻に近づいた。その彫刻は他とは違い、頭頂部には縄を通すための穴が空けられていた。この彫刻は元々罪人を吊るし上げておくために置かれたもので、この穴に通した縄で罪人の腕を縛り水で濡らして固め、そのまま処刑まで見せしめにしておくのである。
 縄を通す穴の位置は手を掲げたぐらいでは届かない位置にあるため、憲兵は予め彫刻の背中部分に彫られた窪みに手足をかけ頭頂部へとよじ登っていく。
「……ん?」
 丁度頭頂部に辿り着こうとしたその時だった。不意に頭の上に気配を感じ不可解に思った憲兵は、窪みに手をかけたまま気配のする方を見上げる。
「だ、誰だ……?」
 頭頂部には一人の青年が立ち眼下をじっと見下ろしていた。長身痩躯に鮮やかな銀髪が光っているが、どういう訳かその出で立ちは破れて短くなったズボン一つという、限りなく全裸に近いものだった。その風体だけでも十分異様なのだが、特に際立っていたのは青年の目だった。青年は爬虫類のような細長い瞳孔で、じっと無言のまま無表情で見つめてくるのである。