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「くそっ……俺が先にやる、みんな続け!」
 グリエルモの駆使する魔術は想像以上に強力であり長期戦は不利である。そう気を逸らせた一人の憲兵が手にした槍を構え、猛然とグリエルモへ向かって突進していった。その勢いのまま、槍の穂先をグリエルモの胸付近目掛けて繰り出す。しかしグリエルモは無造作に立ったままその一撃を受け止め、そして金属を引っかくような音と共に槍は弾き飛ばされた。
 繰り出した槍は確実にグリエルモの左胸を捉えた。穂先が命中したのをはっきり目で確認したから間違い無い。何かの魔術を行使する素振りさえ見受けられなかった。
 しかし予想に反して、手に伝わってきたのは何か堅いものを穿とうとしたかのような感触だった。剣で切りつけるならば、偶然骨の厚い部分に刃が当たって跳ね返る事があるかもしれない。だが、槍を構え全身でぶつかって行けば肋骨ぐらいなら簡単に砕く。平然と立っている事など不可能、ましてや皮膚に傷一つ負わない偶然など万に一つも無い。
 剣も槍も通じなければ、一体どうやって倒せというのか。
 憲兵達はそんな理屈を頭から取り払い、半ば自棄になって続いた。
「猿が」
 その結果は散々たるものだった。グリエルモは襲いかかる武器など露ほどにも気に留めず、手近な憲兵から順に素手で殴り倒していった。水汲みすらした事がないような細腕は憲兵の体の箇所を問わず強打する。勇まし掛け声の直後に、鈍い音と共に吹っ飛ばされる憲兵達。そのほとんどが、自分が何をされたのか分からぬまま気を失っていた。
 グリエルモが憲兵を片づけるのにはさほどの時間も要さなかった。大人と子供ほどの力量差があっては数の有利など機能するはずもなく、抵抗らしい抵抗も出来ず叩きのめされた格好である。
 憲兵は一人だけ運良く意識が残っていた。胸当ては見たこともない形に潰れていて、胸の奥には激痛が走り呼吸もままならない。自分はここを殴られたから意識が残っていたと気づくが、それは決して幸運ではないと溜息をついた。相手は素肌で武器を跳ね返し、素手で防具を陥没させる化け物である。自分一人が満身創痍で立ち上がった所で勝算の見込みなど無く、むしろ余計な危険を被る可能性が高まるだけである。
 それでも自らの職務を放棄する訳にはいかない。
 最後の憲兵は痛みを堪えながらゆっくり体を起こし、どうにか膝立ちの姿勢を取る。胸の痛みは拳を握るだけの力みすら許さず、痛みを紛らわすために噛み締めた奥歯でさえそれを増幅させてしまう。目眩のするような痛みに息も絶え絶えになりながらじっと耐え、右足で地面を踏もうと腿を持ち上げる。
 だが、その一部始終をグリエルモは無言のまま見つめていた。視線を感じた憲兵がハッと息を飲みながら顔を上げ視線を合わせる。そこにあったグリエルモの目は、まるで爬虫類のように細長の瞳孔を冷たく光らせた、とても人間とは思えないものだった。
 心臓を鷲掴みにされるような恐怖に息を飲み、そして持ち上げかけた足を戻した。とても立ち向かえる気にはなれなかった。勝算云々ではなく、どう立ち回ったところでそれは、蟻が人間に抵抗するのと同じ事だと思ったからである。
「猿にしては骨のある奴とは思ったが。所詮はその程度、種族の格差とはそれほどまでに大きいのだ。まあ、恥入る事はなかろう」
 今の言葉の意味は分からなかったものの、少なくとも命がけで立ち向かった所でどうにかなるような相手ではない事は明白である。憲兵は初めて味わった深い無力感にがっくりと肩を落とし動かなくなった。
 最後の憲兵が完全な沈黙を返すよりも先にグリエルモは踵を返してしまった。向かう先は無論、憲兵に連行されていたバジルの元である。
 バジルは酷い有様だった。よほど激しく追い立てられていたのか、服はぼろぼろに破れ体中に細かな擦り傷が出来ている。その上、手足には鉄で補強した木の枷までがはめられていた。この姿で街を練り歩かせるなど屈辱以外の何物でもない、典型的な見せしめである。
「君は良い娘を持ったね。戻ったらソフィーには額を擦り付けて感謝するんだよ」
 グリエルモは無造作に枷へ手を伸ばすと、まるでパンを小分けするようにちぎり取り、その枷を道端へ捨てた。もはやグリエルモのする事にいちいち驚いてもいられず、バジルは半ばあきれたような微苦笑を浮かべる。
 そして、おもむろに口を開いた。
「グリエルモさん。せっかくですが、このままお一人でソフィアの元へお戻り下さい。私の事は結構ですから」