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 予想もしなかったバジルの言葉に、グリエルモは小首を傾げ露骨に眉を顰めた。
「何を言っているのかね? 小生は、ソフィーが悲しんでいるから連れて帰ろうと言っているのだよ」
「ええ、分かっています。ですが、私は法を破った犯罪者として連行されている身ですから。このまま下される罰を甘んじて受けようと思います」
 表情こそ普段の穏やかなものではあったが、その言葉にはとても嘘冗談を言っているとは思えない強い力が込められていた。おおよそこのまま黙ってグリエルモに従う意思は無いが、グリエルモにとってそれは、気持ちをさほども揺らがせるには至らない程度の事だった。
「ふむ、良くは分からぬが、小生は君に従う理由などないよ。いいから黙って連れられたまえ」
 バジルの言葉になど聞く耳持たぬとばかりに、グリエルモはバジルの体を荷物のように抱え上げようとする。このままでは本当に済し崩し的に連れ戻されると感じたバジルは、慌てて全身を揺すり手足を振り回し抵抗した。
「待って下さい! 今更どうして娘に顔を出せますか! ソフィアは私のせいで罪人の娘になったんですよ!?」
「君は私欲で罪を犯した訳ではなかろうに。親ならば誰でもああするはずだ。ソフィーもそれぐらいは分かっているよ」
「たとえそうだとしても、私は罪を正当化するつもりはありません。親として子供の手前、それだけは出来ない」
「分からんな、君も。拾える命なら拾いたまえ。ソフィーが言っていたよ? この街で捕まったらみんな処刑されると。何も好き好んで死ぬこともあるまい。憲兵など心配するな、小生は非暴力主義ではあるが、ソフィーのためなら幾らでも戦おう」
「捕まった罪人は、自分の意思で別れの挨拶を交わす事すら許されない。それがこの街の掟です。私だけ特別扱いという訳には行きません。ましてや、人の力を借りてまで自分だけ助かろうなど、とんでもない事です」
 グリエルモはしばし首を傾げ思い悩むと、やがて抱え上げたバジルを下ろした。
 これ以上の問答はバジルの態度を硬化させるだけであり、あまり時間をかけてはこの場のの異変を察知した憲兵の増援が来る可能性もある。果たしてグリエルモがそこまで深く考えていたかは分からないが、とにかくグリエルモはバジルの考えを変えるのは容易ではないと判断し説得する事を早々と諦めてしまった。
「君は賢い人間ではないが、その生き様は記憶に留めるに値する。しかし、本当にそれで良いのかね? 生き死には取り返しがつかないのだがね」
「正直心は揺れました。まさかグリエルモさんがこれほど強いなんて。色々と都合の良い筋書きだって考えてしまいましたよ。でも、それはいけません。私は罪を犯したのですから、罰せられるべきなのです。たとえ悪法とはいえども法には従うべきです」
「呆れた馬鹿正直さだ。ソフィーならきっと、名より実を取るよ。君よりずっと賢い」
「でも、私の愚かな考え方をグリエルモさんは理解してくれているではありませんか」
「単に記憶に留めるなら綺麗なまま留めたいと思っただけだよ。悲劇というものは、美しければ美しいほど人の心に強く訴えかけるからね。君の事はいずれ、清書して作詞の種にさせて貰うつもりだ」
 あまりに自分勝手なグリエルモの物言いに、普段通りの彼だとバジルは微苦笑する。
 普段から人を逆撫でするような言葉を悪意も無く口にするような彼なのだから、今更急に神妙になられてもその方が不自然である。むしろ最後に、グリエルモ独特の節が聞けて良かったとすら思った。それはグリエルモの感性に毒されているという事なのだが、決して不快な感覚でもなかった。
「私はこのまま彼らが目覚めるのをここで待っています。グリエルモさんは早急にお帰り下さい」
「子を置いて勝手に死ぬなど、無責任な親もいたものだね。ソフィーにはちゃんと説明しておこう。怒られないか心配だが」
「大丈夫、あの子は何も言わなくともちゃんと分かってくれますよ」
「ソフィーは君を、人の親切を反故にする愚か者だと考えているのかね? 荒んだ親子関係もあったものだ」
 バジルは否定も肯定もせず、ただ少し肩をすくめ微笑んで見せた。何だその態度は、とグリエルモは眉をひそめるものの、それ以上バジルは説明する事はしなかった。
「どうかソフィアを宜しくお願いします。あの子は母親に似て、口では強気でも根は寂しがり屋で優しい子ですから」
「君は見ず知らずの小生に、その優しい娘を預けるのかね?」
「あなたの正体なんて関係ありませんよ。あなたは清廉で強い方ですから。ただ、この巡り合わせを神に感謝するだけです」
「神など良くは分からぬが、君は人を見る目はあるな。ソフィーの事は小生が守る故、君は安心してどことなり行くと良い」
 そう言ってグリエルモは名残惜しむ事も無くくるりと踵を返すと、そのまま通りの反対側へ向かって歩き始めていった。しかし少し歩いたかと思った途端、唐突に足を止めてもう一度バジルの方を振り返る。
「最後に一つ、冥土の土産とやらに打ち明けようか。君がどういう者に娘を預けようとしているのか」
「実は人間ではなくて竜なんでしょう?」
「知っていたのかね?」
「いえ、ソフィアがそんな事を言っていたので、試しに言ってみただけです。なるほど、それならあんなに強くて当然ですね。まさか本当に竜がいるなんて、驚きですよ」
「君も案外食えない男だね」
「一度こういうセリフを言ってみたかったんです。何かの参考になりますか?」
「ならんね。君の言葉はさっきので終わりだ。そういう蛇足まで留める必要はない」
 そして踵を返し再び歩き始めたグリエルモは、徐々に自らの体を変形させていく。やがて一匹の竜に姿を変えたグリエルモは、颯爽と夜空へ飛び去って行った。
 バジルは目を細めながらその一部始終を眺めていた。あっと言う間にグリエルモの姿が見えなくなりしばらく経った後、おもむろにその場へ腰を下ろすと、最後に溜息をつきかけ、思い留まって自ら飲み込んだ。そして最後まで残った心の揺らぎを自ら握り潰し、平素の表情を無理に取り繕った。