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 その死刑囚は、異例の措置によって執行が無期限に延期されていた。
 死刑囚の名はバジル。罪状は着服や窃盗が数件というありきたりなものだったが、注目すべきは彼についてまとめられた調書の内容だった。仮にも一地方の統治責任を負う人間の承認がありながら、その内容はとても尋常なものではなかったのである。
 私がこの死刑囚を知ったのは、新たな任務についての説明が行われた日の事だった。全身鎧のように堅苦しい長官から渡された調書があまりに突拍子の無い内容で、我が目を疑わずにはいられないほどの衝撃を受けた。
 このバジルという死刑囚は、王都のある中央大陸より遙か東に位置する東州大陸より護送されていた。如何な死刑囚と言えど、基本的にはその地方を治めるものの統治下にて刑の執行がなされる。王都へ護送される死刑囚は非常に稀で、思想犯などの政治的な問題人物を目の届く所で管理するための措置である。
 たかだか数件の窃盗のみで護送されてくるなど、そんな前例は聞いたことがない。しかしその疑念は、まともなものとは信じ難い調書を読み終わる頃には、この平凡な死刑囚の背後にどれほどの闇が広がっているのか、その一端に触れることで晴らすことが出来た。
 バジルは元々憲兵にはマークされており、身辺もすっかり洗われた後に逮捕されていた。だが逮捕される少し前、バジルは自宅に身元不明の青年を招きしばらく泊めていたという記録があるが、この青年が実は人間ではない疑いが強いというのである。
 青年は長身痩躯で優男顔、髪は非常に珍しい銀髪だという。背には楽器を背負っていたため旅の吟遊詩人と思われるが、付近の店では彼が演奏していたところを目撃した者はいない。その代わりに、数人が憲兵ともめ事を起こしているのを目撃している。その時の青年は怯える風も無く、むしろ理解出来ないという素振りだったという。
 その一方で実際に青年と接触した憲兵達は、いずれも口を揃えて人間とは思えないと震えたという。職務遂行のため実力行使に出たものの、青年は素肌であらゆる刃物を跳ね返し、外見からは想像もつかない腕力を奮うため、ほとんど抵抗らしい抵抗も出来なかったそうだ。
 ここまでなら辛うじて人業の範囲だが、青年には更に報告がある。バジルの自宅へバジルの娘ソフィアを確保へ向かった憲兵は、青年が目の前で竜の姿に変身する様を目撃したというのだ。私観として、これが最も軽視し難い記述である。
 竜などそもそも架空の存在であり、幾ら複数の証言があったとしても集団ヒステリーとして片づけられるのが通常の対応である。しかし国はこの報告に対して保留以上の決定を下し、より正確な事実確認が必要との判断を示した。一体何がこの異例と呼んでも良い判断を選ばせたのかは分からないが、今回の任務はこれに因るものであるのは既に決定済みであり、自分はそれに従う他無い。それに職業柄、現実離れした事件案件は腐るほど取り扱ってきた。中には事実認定に足るものもあるため、一概には竜の存在を否定する事は出来ない。
 バジルの刑執行が延期されたのは、事実関係が明らかにされるまでの数少ない手がかりとしての理由である。任務遂行の第一段階として、まずは彼より事情を聴取する事になる。
 青年の名はグリエルモ。任務の内容は生きたままの拘束。期限は達成するまでの無期。拘束は諜報員の範囲を超えているが、それは今に始まった事でもなく、実動員が不足している現状は仕方が無い。
 おそらく、これまでの活動の中で最も困難かつ危険な任務となるだろう。しかし、自分には従う以外の権限は与えられていない。