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 食事は終始和やかな雰囲気で行われた。
 ソフィアは言葉少なくエミリアルはヴィレオンの指示以外では口を開く事もないため、会話は専らグリエルモとヴィレオンで交わされていたが、ヴィレオンは時折ソフィアやエミリアルにも話を振り会話へ参加させる気遣いを見せていた。だがソフィアはそれに対し言葉少なく無難に答えるばかりで、あまり発展はしなかった。
「それでは、たった一人で憲兵と大立ち回りを?」
「当然である。小生にしてみれば、物の数にも入らないからね」
 いつしかソフィアは、そんなグリエルモの不用意な発言に対しても口を挟む事をしなくなった。そのせいかグリエルモは親身に話を聞いてくれるヴィレオンに対し、普段ならすぐソフィアに阻まれるような話までを打ち明けてしまっていた。
「ソフィアさん、あまり進んでおられぬようですが、お口に合いませんか?」
「いえ……少し疲れているのかも」
「そうですか。それではこの後、疲れの取れるマッサージを紹介いたしましょう」
 ソフィアのいつにない物静かさにグリエルモは多少の違和感を感じたものの、今はまだ話し足りないという欲求の方が強く、すぐにまた話の続きを始めてしまった。
「これまで、どれほど楽譜を起こしたのですか?」
「もう数え切れぬほどだよ。かれこれ五十年近くそうして来たが、まだ満足はしておらぬがね」
「いいですね、その情熱は。人は情熱を持てなければ生きていく意味がありませんからね」
「はっはっは、小生は人間ではない、竜だよ」
「なるほど、通りでお若く見える訳だ」
 そう和やかに笑い、しかし直後グリエルモは息を飲んで口を閉じ青褪めた。グリエルモは正体を迂闊にばらさぬよう、ソフィアには人前で竜という単語そのものを使わぬようにきつく言いつけられているからである。
 瞳孔を広げ青褪めるグリエルモの様子に首を傾げるヴィレオン。グリエルモは弁解よりも先に、おそるおそる傍らのソフィアへ視線を向けた。
「ソフィー?」
 しかしグリエルモは、問いかけるようにソフィアをぽつりと呼んだ。今までヴィレオンとの会話に夢中で気がつかなかったのだが、いつの間にかソフィアはテーブルの上に突っ伏していたのである。
 呼びかけても起きようとしないため、そっとソフィアを抱き起こす。頬を軽くつついても反応しないため、胸に耳を当て心臓の音を確かめ、続いて唇に手のひらをかざし呼吸を探ってみる。だがいずれにも異常は見当たらず、ソフィアの生体は普段通りのリズムを刻んでいる。
「ふむ、眠っているようだが……」
 確かに異常はないのだが、それが逆に異常であるとグリエルモは思った。少なくともソフィアは常に緊張感を持って行動しているため、見知らぬ人間の前で寝るほど無用心な事はあり得ないからである。ここ数日は別段体を酷使するような出来事も無く体力には余裕があったはず。にも関わらず、呼びかけても目を覚まさないほど深く眠るのはどう考えても普通ではない。
「安心し給え。ただの睡眠薬だよ」
 すると、困惑したグリエルモの疑問に答えるかのようにヴィレオンが口を開いた。
「睡眠薬? ああ、いわゆる眠り薬だね。眠れない時に服用する」
「その通りだ。しかし驚いたね、グリエルモ君。君にも同じだけ薬を盛らせたのだが、君の方はまるで平気なのだね」
 近所へ散歩に行くかのような軽々しい口調で打ち明けるヴィレオン。睡眠薬を盛った事が自分であると隠す意図は無く、むしろ自分が犯人であると知らせようとしているかのような態度である。
 鈍いグリエルモでもこれが非常事態であると認識でき、たちまち警戒心を露わにした。すぐさま自分をソフィアとの間に位置取り、軽く上半身を屈めた臨戦態勢を取る。
「貴様、何を企んでいる」
 グリエルモの表情が変貌する。それは人間が引用するレベルの変貌では無かった。ヴィレオンを睨みつけるグリエルモの顔は、表情だけでなく骨格すら変形しているかのように思えるほど険しさを増している。瞳孔は縦長に伸び、僅かに開いた口からはまるで獣のような鋭い牙が覗いている。声も心なしか妙な濁りを帯び始めた。
 すかさずエミリアルもヴィレオンとの間へ割って入ると、胸元から取り出した一本の短剣逆手に構え応戦する意思を見せる。しかし常軌を逸したグリエルモの様相には動揺を隠せず、気丈に見せつつも指先は緊張と恐怖で小刻みに震えていた。
「エミリー、やめ給え。グリエルモ君も構えないで貰いたい」
 そんな一触即発の二人に向かって、ヴィレオンは普段通りの落ち着いた口調で言い放った。
「不躾な方法になってしまったが、私には特別害を加えようという意思は無い」
「貴様の意図など知った事か。ソフィーにこのような狼藉を働かれれば冷静ではいられない」
「それは君が非暴力主義者だからかね?」
「何だと?」
「ソフィアさんも夜には目を覚ますから、どうかここは収めて、私の話を聞いて貰いたい。暴力よりも音楽を。それが君のポリシーではないのかな?」
 ヴィレオンに自分の主義を言い当てられた事に驚くグリエルモは、半分は警戒しつつも表情を元に戻し着席する。依然剥き出しの殺気をしきりにぶつけてくるが、ひとまず話は聞いてくれるようだとヴィレオンは満足そうに頷いた。
「ほら、エミリーもよしたまえ。まったく、どうやってこんなものを持ち込んだのか。この国にこんなものを持ち込んだら捕まってしまうよ」
 ヴィレオンは緊張のし過ぎで硬直したエミリアルの手から短剣を掠め取る。驚いたエミリアルはとっさにヴィレオンの方を振り向くと、ネジが回り出したかのように頬を紅潮させ慌ただしく反論した。
「わ、私は、ヴィレオン様の護衛もかねておりますから、必要とあれば持ち込みます。そもそもヴィレオン様は無警戒過ぎます! もう少し、その、御身を大事になさって、ヴォンヴィダル家の誇りを忘れず、紳士的な振る舞いを」
「相変わらず真面目だね、君は。それよりも、もう刃物は隠してないだろうね」
 そう言ってヴィレオンはいきなりエミリアルの胸元へ手を突っ込む。突然の事でエミリアルはまたも硬直し、更に顔を紅潮させた。
「あ……ヴィ、ヴィレオン様、人前でそのような真似は……その……」
「冗談だよ。少しは抵抗したまえ。淑女らしく」
「はあ……」
 うやむやの内に場の緊張感がすっかり解けてしまう。元の位置へ一同が戻り会話が再会される。しかしグリエルモは警戒心を完全には無くしておらず、常に片手でソフィアを庇うように構え続けている。無造作に構えたもう片方の手は、いつでも襲いかかれるとばかりの威嚇に見えた。だがヴィレオンはそれを前にしても全く動じる素振りを見せていない。
「さて、グリエルモさん。まず単刀直入にお訊きしますが、あなたは竜ですね」